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大変だったのは授業だけではありません。ルームメイトとはささいなことでトラブルになり、耳障りな目覚まし時計の音をめぐってケンカをしたこともあったとか。しかし、口論のたびに文化の違いを実感するばかりでした。

「僕が拙い英語で『お前には一緒に生活する友人に対する思いやりがない!』と詰め寄っても、向こうは『それはお前にコミュニケーション能力が不足しているからだ!』と一歩も譲らない。日本人だったらとりあえず謝ってしまうところでも、絶対に主張を曲げないんです。ついには自分の目覚まし時計を床に叩きつけて出て行ってしまった。こういうトラブルが積み重なって、『オレはどうしたらいいのだろう……』と途方に暮れましたね」

アメリカ人の主張の強さを前にして、日本人がたじろいでしまうのはよくある話。当時、留学したばかりだった児玉さんも例外ではなかったのです。

「英語の壁から文化の壁、立ちはだかる様々な壁はありましたが、でも負けるわけにはいかない。帰るわけにはいかない。このときから、僕は腹をくくって“パンツを脱ぐこと”を決めたのです」

■パンツを脱いで裸でぶつかることが突破口に

児玉さんが言う「パンツを脱ぐ」とはどういうことか? それは自身の著書『パンツを脱ぐ勇気』で、次のように説明されています。

〈当然物理的にパンツを脱ぐということではない。心にまとっているもの、自分を無意識に防御しているものをすべて脱いでとっぱらってしまうということだ。自分の弱いところ、恥ずかしいところ、くだらないプライドをすべて脱ぎすてて、素の自分、自分の情熱を臆面もなくさらけ出してしまうということだ。〉