■言い出しっぺとしての責任を忘れたことはない

――しかし、海外進出が視野に入ってくるぐらいの事業にするためには、周囲の人を巻き込んでいく力が不可欠だったのではと思うのですが。

福田:自分が素人だということを隠さないようにはしていましたね。飾らずに必死でぶつかっていったから、近大や漁協の方々にも少しずつ熱意が伝わったのではと思います。たとえ無謀でも声を上げたら、誰かが反応してくれます。

――そうやって動いていけば、やがて協力してくれる人が現れる。

福田:人との出会いに恵まれたことは間違いないです。完全養殖クロマグロの事業化を目指していた頃、(豊田通商の)食料本部の部長が「福田にもうちょっとやらせてやってくれ」と社内を説得してくれていた。そうやって延命してくれなかったら、ワシントン条約でマグロの危機が話題になるところまで事業が存続できず、結果として「ツナドリーム五島」も設立できなかったでしょう。

――部長さんが上層部とのパイプ役になってくれたんですね。

福田:そうです。そうしたら、今度は副社長が「応援するよ」と言ってくれて、社内でも支持してくれる人が一気に増えた。ほかにも、事業をやると決まってから近大や漁協の人たちが本当に親身になって協力してくれました。

――福田さんの熱意が会社の外にも伝わったと。

福田:「ツナドリーム五島」の従業員も頑張ってくれました。クロマグロの中間育成は朝4時から夜の20時くらいまでずーっと炎天下でやる仕事なんですよ。しかも、エサやりをしないといけないから休むこともできない。事業が立ち上がったばかりの頃は従業員も少なくて、みなさんが本当に休みもなく魚のケアをしてくれました。

――そういう方々と触れ合うことで、福田さんの責任感も高まった。

福田:ええ。これは今でもそうですけど、「自分が言い出しっぺなんだ」という責任感はあります。これだけの人々を巻き込んで、協力してもらって、こんな大きな事業にまでつながった。もう引き返すことはできないぞ、という責任は強く感じています。

(後編につづく)
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弊サイト編集長の岩田(左)と福田さん(右)

<プロフィール>
福田泰三(ふくた・たいぞう)
1997年、豊田通商入社。経理・財務でキャリアを重ねていたが、2008年に社内の新規事業公募で「完全養殖クロマグロ」の事業化を提案。以後は同事業の立ち上げに奔走し、2010年に「ツナドリーム五島」を長崎県五島市に設立する。現在はツナドリーム五島の取締役であり、豊田通商の水産養殖チームでチームリーダーを務める

<クレジット>
聞き手/岩田慎一(ライフネットジャーナル オンライン編集長)
取材・文/小山田裕哉
撮影/小島マサヒロ