田島麻衣子さん(国連職員)

田島麻衣子さん(国連職員)

これまで国連職員として、60か国の人と仕事をしてきた田島麻衣子さん。監査法人の仕事を辞めて現在の仕事にかかわった経験から、先日『世界で働く人になる』を上梓しました。田島さんが現場で目の当たりにした、世界で仕事ができる人の共通点や、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちと働くコツなどについて、お話をうかがいました。

■監査法人から途上国での現場スタッフに転身

──田島さんは、なぜ「世界で働こう」と思ったのですか?

田島:外国語とは一切縁のないような普通の家庭で育ちましたので、よく聞かれます(笑)。私は、いわゆる帰国子女ではなく、ごく普通の高校生活を送りました。

大学時代は、バックパック旅行が好きでした。また、大学3年のとき交換留学生として参加したキャンプがすごく楽しかったんです。持ち回りでタイ人はタイ料理を、日本人はお寿司のようなものをつくったり、ロシア人がピロシキをもってきてくれたり。そのとき味わった嬉しさやワクワク感が、私に「国連のような場所で、さまざまな国籍の人とともに働きたいな」と思わせたんですね。

国連で働きたいと思ったものの、新卒には門戸が全く開かれていなくて、どうしたらいいのだろう、と悩んでいました。大学3年で留学してしまって、帰ってきたら就職の機会を逃した自分に気がついたんです。そこで、アメリカでビジネスを少し勉強した勢いで資格をとって、監査法人に就職しました。

──監査法人でのお仕事は、かなり忙しかったのでは?

田島:はい。拘束時間も長く、残業も多くありました。オフィスが霞が関だったので、終電を逃して外に出ると、ビルにまだ煌々と明かりがともっているんですよね。そんな風景を見ながらタクシーで家に帰ることもよくありました。

仕事しか無いという生活を続けて行くうちに、夜中にタクシーに乗って、疲れた身体をシートに沈めたときなどに、ふと、世界で働きたいと思ったバックパッカー時代の記憶が甦ってきたんですね。それで、本当に私がしたかったことは何だったんだろう、と考えるようになって。まだ若かったですし、人生は1回しかないと思い、自分の未来を修正する決心をしました。そして、国連で働くという夢を実現するために、まずNGOの現場で働いた後、イギリスの大学院に進みました。当時、NGOで働くという選択はそれほどメジャーなことではなかったので、監査法人を辞める理由を伝えたところ、周りの方には「え! NGOに行くの?」とずいぶん驚かれました。

■ラオスの現場で学んだ、違いを乗り越えて「分かり合う」秘訣

ラオスで学校給食を届ける田島さん

ラオスで学校給食を届ける田島さん

田島:国連に入って2番目の勤務地であるラオスの職場には、現場経験豊富なフランス人にフィリピン人、地元のラオス人といった人たちがいました。そこへ現場担当としては新人の私がぽっと入り、いわゆるマネージャーの立場で、海千山千のメンバーを束ねながら学校給食などのプロジェクトを進めていくことになったのです。初めはどうしていいのかわからず、壁にぶつかる時期も結構ありました。

自分はマネージャーとして入っているので、先輩たちをちゃんとリードしなくちゃいけない、と気負っていました。個々人で見えやすい差、例えば髪の色や肌の色とか、性別とか年齢とか、そこにこだわっていたときは、うまくいかなかったんです。あの人は私よりも経験があるから、とか、あの人は私のことをどう思っているだろう、と考えてたり。

それを断ち切って、チームの目的や進んでいくべき一歩先に視点を持っていった時に、「呼吸が合った」と感じる瞬間がありました。そこで、どんなに異なる存在の相手とも、息を合わせて働く秘訣に気づいたのです。

横の人との目に付きやすい差異や好き嫌いを気にしている限りは、前には進めない。人を気にするのではなくて、その人たちと何を目指すのか、というゴールに全身全霊でフォーカスすることが大事なんだと気がつきました。そうすると、個々の違いの方が溶解して、お互いのコンプレックスが消えたりするんです。

オフィスの人間関係は、どこの国でも大切です。私も日本企業で働いた経験があるので、日本独特のあの感じも良くわかります(笑)。一見、異次元の存在に見える気難しい同僚や先輩と付き合うコツは、自分の視点を相手という「人」から共通の「ゴール」に意識的にずらすことだと、世界中の人々と働いてきて実感しています。

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