長く暮らしてきた東京を離れ、見知らぬ土地の福岡へ──。ウェブ制作とマーケティングの会社、スマートデザインアソシエーションのCEO、須賀大介さんは、東日本大震災をきっかけに仕事や家族、人生のありようを考え、Iターンを実現しました。
移住先の福岡で、これまで通り会社経営を行いつつ、自分と同じように移住した人の働き方、生き方も支えたいと「福岡移住計画」を立ち上げ、「コネクション」「リサーチ」「サポート」の3本柱で情報発信を行っています。「福岡移住計画」に至るまでの道のりと思いをお聞きしました。
■ぼろぼろの自宅アパートの一室で起業
──須賀さんが起業されるまでのキャリアについて教えてください。
須賀:出身は茨城県の水戸市です。東京の大学に行き卒業後、埼玉のシステム系ベンチャーに就職しました。そこでエンジニアとしてキャリアを積んだ後、デザイン会社を経て独立したのが26才のときです。
──26才での起業というのは周囲にもあまり例がなかったのでは?
須賀:そうですね。今でこそ、若くして起業される方が増えてきましたが、僕らの時代ではほとんど例がなかった。周囲の大半はやめたほうがいいという意見でした。ただ、僕はシステム会社とデザイン会社の両方を経験したので、そのキャリアを生かしたいと、たったひとりで起業しました。
──事業の内容はシステムとデザインの両方ですか?
須賀:自分自身がシステムエンジニアですから、一人派遣会社というか、フリーのエンジニアとしてスタートし、徐々にデザインの仕事も始めました。社名にある「アソシエーション」という言葉通り、僕が目指したのは、トップダウンの組織ではなく、スキルを持っている人間がお互いの力を生かして運営する組織です。状況に合わせてプロジェクトや仕事を作っていくというスタイルですね。
──起業した時のオフィスはどちらにあったのでしょうか?
須賀:代々木上原にあったボロボロの自宅アパートです。最初は、合資会社だったんですよ。1年間企業活動をした後で僕の後輩が一人仲間に加わり、有限会社を経て3年目に株式会社に移行しました。
■東日本大震災をきっかけに家族との時間を増やした
──会社は順調に成長していったんですね?
須賀:いえ、結構大変でした。僕らが起業した時代は、仕事を受注するにも代理店が一番上にあって、そこから下請け、孫請け、曾孫請けという形で仕事が流れていました。現在のような、大手企業と制作系のプロダクションが直接プロジェクトを組むということはほとんどなく、孫請けにあたる僕たち会社は会議にも同席させてもらえなかった。伝言ゲームで仕事を進めていくしかない状況でしたから、企画の意図を掴むのにとても苦労しましたね。ただ、システムはシステム会社、デザインはデザイン会社が担当するのが当たり前の時代に、デザインとシステムを融合させた会社は少なかったので、売上を伸ばすことができたんです。社員も35名にまで増えました。
──順調に業績が伸びているのに、どうして福岡への移住を思い立ったのでしょう?
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