アメリカの名門大学を出て三井物産へ。エリート街道まっしぐらの志の春さんは、ある日落語と出会って、落語家の道へ進もうと決意します。大反対の親を3か月かけて説得した後、いよいよ会社の上司に辞意を伝えるときがやってきます。(前回の記事はこちら)

写真右:立川志の春さん(落語家)、左:岩瀬大輔(ライフネット生命保険 社長)

写真右:立川志の春さん(落語家)、左:岩瀬大輔(ライフネット生命保険 社長)

■「ハイリスク・ローリターン」な落語家への道

岩瀬:次に説得するのは、会社の上司ですよね。三井物産から落語家に転身というのは前例のないことですよね?

立川志の春(以下、志の春):そうですね。2002年の9月末に辞めるというのを決めていたので、8月の頭くらいに上司である室長に「ちょっと大事な話がありまして」と、時間を取ってもらいました。すごくドキドキしていましたけど、隠さずに正直に言おうと思っていました。
「私、どうしてもやりたいことができまして、会社を辞めさせていただきたいんです」
「何がやりたいんや?」
「あのぅ、落語家になりたいんです」
「ほんまか」
「本当です」
「ほう、誰のところや」
「立川志の輔師匠です」
「わかった。上に通したる」

そんな会話を交わすと、室長は横長のフロアの端っこにいる部長のところまでいって、何やら話し込んでいました。すると、室長と本部長が満面の笑みで私の席のところまで来て、本部長が「小島(本名)! おまえ落語家になるんか! ハイリスク・ローリターンやのう」と大きな声で言って。

岩瀬:会社の人たちは、志の春さんが毎日落語に行っていることを知っていたのですか?

志の春:いえ、落語のことは誰にも言っていなかったので、フロアにいたみんなが「え!?」となりました。私が「コンサルティング会社に行きたい」とか言い出したのなら、上司も「それならうちにはこんな仕事がある」と留意してきたかもしれませんが、“落語部門”だけはさすがの総合商社にもなくて、辞める話はすぐにまとまりました。

岩瀬:辞める前に、志の輔師匠からどんなことを言われましたか?

志の春:落語家になると決めた時、私は師匠に、落語家になりたいと手紙に書いて送ったんです。そうしたら、話をしてあげるから履歴書持参でNHKのスタジオに来いと言われました。

岩瀬:イェール大学や三井物産の経歴にはどんな反応を?

志の春:「これ本当か?」と、びっくりしていました。そして「入ろうと思っても入れない会社だろう。悪いこと言わないから、会社を辞めるのは止めなさい。落語というのはアマチュアでやっている人もたくさんいる。そのほうが幸せな落語との付き合い方だ」と言いました。私はこの時、師匠にとても失礼なことをしたと思いました。会社に勤めながら「落語家になりたいです」という奴が来て、本気に取ってくれるわけがない。だから次に会う時は辞めてから会おうと決心しました。師匠の言葉とは逆ベクトルに向かって走り始めたわけです。次に会ったのは会社を辞めて5日後。師匠は、「そっちの“やめろ”じゃないんだ。辞めるのを止めろと言ったんだ」と呆れていましたが、「会社を辞めたならしょうがねえ、そのへんウロウロしていろ」と。

岩瀬:それはつまり、弟子入りが認められたということですか?

志の春:そうですね。談志師匠が志の輔入門時に言った言葉と同じです。

■さだまさしと伊奈かっぺいのライブテープ

岩瀬:これは僕の勝手な憶測なんですが、志の春さんが落語家に転身したのは、お父さんの影響があるんじゃないかと思うんです。兄弟揃って異色の道を歩むというのは、偶然ではなく必然だったのだろうと。子どもの頃に、すでに落語の世界に通じる何かがあったんじゃないでしょうか。

志の春:今振り返ってみて、落語と私の接点といえるのは、車のカーステレオで繰り返し聴いていた2本のカセットテープでしょうか。私は小学生時代、親父の仕事の関係でアメリカに住んでいたのですが、ドライブに連れ出された時には、親父が日本から持ってきた、さだまさしさんと伊奈かっぺいさんのライブのテープをいつも聴いていました。おふたりともトーク時間が長く、というか、私はほとんどトークしか聴いていませんでした。子どもが聴いても、おふたりの話はとても面白いんです。

岩瀬:同じ話をずっと聴いていたんですか?

志の春:何回も何回も、テープが擦り切れるほど同じ話を繰り返し聴いていました。

岩瀬:子どもにもスッと入ってくるというのは、話のリズムが相当いいんでしょうね。

志の春:そうなんです。実はおふたりとも落語が好きで、ものすごく影響受けているんですよ。今思えばおふたりのMCには、落語の枕みたいな趣があって、何度聴いても同じところで笑ってしまうんです。それにすごくハマっていましたね。

岩瀬:子どもって延々と同じことを繰り返しますよね。少し違いますけど、僕も小学校5年生くらいの時に、『オペラ座の怪人』にハマったことがありました。セリフを全部言えるくらい繰り返し聴いていたので、好きな話を何回も聴くという楽しさはわかります。なるほど、合点がいきました。大人になった志の春さんが落語に出会ってビビビ! ときたのは、新発見というよりも、再発見だったんじゃないですか?

志の春:そうかもしれません。私の中での落語の原点は、少年時代に聴いていたあのテープだと言っても過言ではありません。

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