田中美咲さん(一般社団法人防災ガール 代表理事)。看板とパソコンと、災害時に役立つように研究中のドローンを手に。

田中美咲さん(一般社団法人防災ガール 代表理事)。看板とパソコンと、災害時に役立つように研究中のドローンを手に。

「もっと防災をオシャレでわかりやすく」。一度聞いたら忘れられない印象的なコンセプトを掲げ、20~30代の若者に向けて防災の啓蒙活動を展開しているのが、一般社団法人防災ガールの代表理事・田中美咲さんです。

以前、ソーシャルゲームのプランナーとして活躍していた田中さんは、復興支援に携わりたいという思いから会社を退職。福島に移住し、現地雇用創出事業に取り組んだ後、2013年に防災啓蒙の必要性を感じて防災ガールを立ち上げました。

防災のことをもっと知ってほしい、そして自分たちでできることを考え、気軽に日々の暮らしに取り入れてほしい。防災について明るく楽しく軽快な口調で語る田中さんへのインタビュー前編をお届けします。

■もっと多くの人が幸せになる社会を作りたい

──まず最初に、田中さんがなぜ防災の啓蒙活動に取り組むようになったのか。そのきっかけを教えてください。

田中:私が新卒でサイバーエージェントに入社したのが2011年。その直前に東日本大震災が起きました。「ぽぽぽぽーん」のCM(補足:ACジャパンの全国キャンペーン公共広告)が毎日流れて、楽しい思い出になるはずの卒業式や卒業旅行がなくなってしまった世代です。だから、震災なしには物事を考えられないんですね。社会人になってからもずっともやもやが消えない。復興支援に行って、助けなきゃいけない人がいるのに、このままでいいのか、被災地のために何かすべきではという気持ちを抱えていました。

──サイバーエージェントではゲームのプロデュースをされていたんですよね?

田中:はい。といっても、ゲームがすごく好きだったわけではないんですが(笑)、サイバーエージェントは1番入りたかった会社ではあります。ただ、私はもともと、もっと多くの人が幸せになる社会を作りたいと考えていたんですよ。じゃあ、ゲームはどうかというと、瞬間的に人を幸福にするかもしれませんが、根本的には違うかなと。会社に勤め続けるよりも、もっと本格的に東北で復興支援に携わりたいという思いが膨らんだので、会社を辞め、福島に移住しました。それが防災ガールのそもそもの始まりです。

──福島に移住してすぐに防災ガールを設立したのでしょうか?

田中:いや、サイバーエージェントを辞めていきなり福島に行く勇気はなかったですね。なので、最初は公益社団法人 助けあいジャパンに転職する形です。助けあいジャパンを設立したいしじゅん(石川淳哉)やさとなお(佐藤尚之)さんが私の恩師で、まずは福島事業の事業責任者として最低限の給与をもらう形で福島に行きました。

──助けあいジャパンでの活動はいかがでした?

田中:福島県町から助成金をもらい、福島県広報課の方といっしょに県内の被災者向けに情報発信を行っていました。事務所運営費の予算はあったので、事務所兼自宅みたいな感じで、生活していました(笑)。そうした活動を通して知ったのが現地とメディアとのギャップです。

防災ガールを応援したいと手を上げた方と、それぞれの強みを活かして何ができるかを話し合う、ステークホルダーミーティング

防災ガールを応援したいと手を上げた方と、それぞれの強みを活かして何ができるかを話し合う、ステークホルダーミーティング

──行ってみないとわからないことがたくさんあったのでしょうか?

田中:多かったですよ。メディアから発信される情報は、被災された方の悲しいストーリーとかお涙頂戴の内容に偏っていますが、現地では悲しさよりも何よりも、とにかくやっていくしかないわけですよ。取り上げるんだったら、もっと復興支援で活躍している人や現地の笑顔をクローズアップしてほしいと思っていました。支援物資に関してもいらない物ばかり送られてきたり、避難生活の中にまだたくさんの課題があるのにそれが取り上げられていなかったり、行く前にはわからなかった現実に直面しました。

■防災がオシャレになったら、防災意識は高まる

──助けあいジャパンでの活動が、防災ガールに結びついていったのでしょうか?

田中:震災から3年目ともなると、段々、現地で若い女の子ができることが少なくなったんです。ビジネスを現地で作るフェーズに入った。自分が次のフェーズとして何ができるんだろうと考えて、たどりついたのが防災です。女性や若者にターゲットを絞り、これからの災害に向けて防災を広め、民間に根付いた活動を始めようと思いました。

──確かに防災は大事なことのわりには、あまり関心を持たれていないですね。

田中:防災って、つまらないじゃないですか(笑)。避難訓練をやれと言われたら、みんな義務だからやるけど、自分から進んでやろうという人はいないですよね。すごくダサくて面倒くさくてネガティブなメージがある。でも、防災がオシャレになったら、防災意識は高まると思うんです。

──だから、防災ガールのコンセプトは「もっと防災をオシャレでわかりやすく」なんですね。

田中:ええ。ネーミングも、私よりも若い女の子にうんと楽しんでもらって、堅苦しい団体じゃないとわかってもらうことを優先させました。自分でもちゃらちゃらしているなと思いますが(笑)、「防災」の後に「ガール」とつけたのは、何をやっている団体なのかぱっと見てすぐにわかる名前にしたかったから。それから、当時、山ガールとか森ガールが流行っていたので、それと同じように考え方やライフスタイルの一つとして防災ガールがいてもいいよね、と思ってネーミングしました。

■100人の若いボランティアに支えられて

──田中さんは2015年3月に防災ガールを一般社団法人化しています。NPO法人を選ばなかったのはなぜ?

田中:最初は、何か縛られるような感じがして、そもそも法人格にしようとは考えていませんでした。でも、法人格を取らないとコラボできない企業や自治体の案件が出てきちゃって。

──企業や自治体からのオファーが増えてきた?

田中:こっちで「やりたい」と言っていると「うちとやりませんか?」と言ってくれるところが出てくるんです(笑)。でも、根本が営利目的ではないので、まず株式会社を除外しました。後は、NPOにするか社団法人にするか。その中で、一般社団法人にしたのは、設立日を選べるからです。私はどうしても3月11日を設立日にしたかった。そこだけはこだわりたいと思いました。

──復興支援や防災活動に対する田中さんの思いの強さを感じます。法人化してから1年、具体的にはどのように防災ガールを運営されていますか?

田中:普通の会社と違って、フルコミットしているのは私ひとり。あとは数名業務委託メンバーがいて、そして力強いボランティア100人で運営しています。サイト制作もお金をかける余裕がないので、ウェブを学び始めたばかりの人にどんどん告知をしていいからと言って、作ってもらいました。お金は払えないので、その都度、焼き肉をごちそうするとか、バーターですね(笑)。

1年ぐらいは身銭を切って無給でやってきましたが、1年を経て、大きな仕事も決まってきています。ただ、いまは投資の時期ととらえています。お金がなくても運営できるのが私たちの強み。これもネットやSNSのおかげです。なかったらもう絶対に無理。

──ボランティアの平均年齢はいくつぐらいなんでしょう?

田中:若いですよ。最近急に若くなった。いまは平均25才くらいです。連絡に使うツールもFacebookメッセージからLINEやスナップチャットに変えられたりしました。

平均年齢25歳の若いメンバーたち。SNSなどのテクノロジーを使いこなし、ボランティアでも仕事のスピード感は抜群

平均年齢25歳の若いメンバーたち。SNSなどのテクノロジーを使いこなし、ボランティアでも仕事のスピード感は抜群

──もうLINEでもないんですか。

田中:そうなんですよ。ブログも使っていないし、共通言語がなくなってきていることを感じます。私もまだ27才なんですけどね(笑)。それから皆、夜行性ですね。私は早寝早起きなのでその点はつらい。

──体力がありますね。

田中:彼女たちは行動するスピードも早いです。また、社団法人はいろいろと融通が効くのでその点はよかったかな。同じ時期にNPO法人を設立したサイバーエージェント時代の先輩に聞くと、運営がなかなか大変みたいで。信用度や助成金の利用のしやすさに関してはNPO法人の方に分があるようですが、変更のスピードが早く、柔軟に動けるのは一般社団法人ですね。

(後編に続く)

<プロフィール>
田中美咲(たなか・みさき)
1988年奈良生まれ、横浜育ち。立命館大学産業社会学部卒業後、株式会社サイバーエ ージェントに入社。ソーシャルゲームのプランナーとして活躍した後、福島に移住。情報による復興支援を行う公益社団法人助けあいジャパンに転職し、福島県庁や8市町村と連携した復興支援事業プロジェクトマネージャーとして現地雇用創出・事業推進に携わる。2013年3月防災ガールを設立。2015年3月に一般社団法人化を果たし、代表理事に就任。世界防災ジュニア会議(減災産業振興会主催/第3回世界防災会議パブリックフォーラム)グッド減災賞優秀賞

<クレジット>
取材・撮影/ライフネットジャーナル オンライン編集部
文/三田村蕗子