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今年はブラジルのリオでオリンピックが開かれ、同時にパラリンピックも開催されることは誰もがご存知でしょう。しかし、デフリンピックを知っている人は多くないのではないでしょうか。耳の不自由な人たちのスポーツ大会「デフリンピック」について、東京都聴覚障害者連盟 会長で全日本ろうあ連盟スポーツ委員会 委員の粟野達人(あわの・たつひと)さんにお話を聞きました。
※このインタビューは手話通訳者を介して行われました。

デフリンピック(Deaflympics)とは
障害当事者であるろう者自身が運営する、ろう者のための国際的なスポーツ大会であり、また参加者が国際手話によるコミュニケーションで友好を深められるところに大きな特徴がある世界大会です。
(全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会 デフリンピック啓蒙ウェブサイトより抜粋)

■パラリンピックより長い歴史

——デフリンピックに日本人選手はいつから参加していますか。また、メダルはどれくらい獲得していますでしょうか。

粟野達人さん(全日本ろうあ連盟スポーツ委員会 委員)

粟野達人さん(全日本ろうあ連盟スポーツ委員会 委員)

粟野:デフリンピックは夏季大会が1924年フランスで、冬季大会は1949年にオーストリアでそれぞれ始まりました。パラリンピックより古いんですね(注:パラリンピックは1948年より開催)。日本人選手は1965年の夏季大会に初めて出場し、冬季大会は1967年に初出場しています。初参加の時、選手はたった11人、冬季大会においては2人だけということもありましたが、毎回少しずつ増えて、これまでの最高出場選手団数は夏の244人、冬の48人です。
直近の夏季大会(2013年)では金2個、銀10個、銅9個の計21個、冬季大会(2015年)では金3個、銀1個、銅1個、合計5個のメダルを獲得しています。

来年、2017年はトルコのサムスンで開催されますが、日本からは選手が150人くらい、スタッフと役員が70人くらいの参加になるでしょう。

——デフリンピックの認知度はあまり高くないようですが、なぜでしょうか。

粟野:日本であまり知られていない理由は、パラリンピックと違ってマスコミでとりあげられないことと、スポンサー不足が挙げられます。
また、活動する環境も課題です。会社員の選手は、大会出場のために休暇をとるのが難しいこともありますし、旅費も選手自身が負担することが多いという状況です。オリンピック、パラリンピックの場合は、メダルをとると報奨金が出ますが、デフリンピックの場合はそれもないのです。

最近の夏季大会でメダル獲得数3位の韓国では、国から報奨金が出たり、家がもらえるという話も聞いたことがあります。日本人選手も技術的には世界上位の国々に負けないと思いますが、たとえばメダルを1個とったら報奨金がもらえるとしたら、もっとがんばるかもしれませんね。

——日本がとくに強い競技、また選手が多い競技は?

粟野:夏季大会では、陸上に注目の選手が何人かいます。水泳も有力です。卓球はとくに女子が伸びていますね。団体競技は女子バレーが強く、これらは必ずと言っていいほどメダルを獲得しています。
冬季大会は、とくにスノーボード、それからハーフパイプですね。スキーは伝統があるので、選手層も厚く世界のレベルが高いのですが、ハーフパイプは2007年に正式種目に加わった比較的歴史が浅い競技だということもあり、世界と日本の競技歴の差がなく、日本が特に強いのではないでしょうか。

競技人口は、陸上とサッカー、水泳、バレーボール、それからとくに多いと思えるのは卓球ですね。

戦前は、ろう者のためのスポーツというと野球だけで、戦後、少しずつ種類が増えてきました。それでも、ろう学校で行われるスポーツはいくつかのものに限られていて、それ以外の競技を独自に練習して大会に出る選手も多いのです。

■耳の不自由な選手たちが力をつけるために必要な環境

——いちばん苦労するのは、やはり費用でしょうか。

粟野:費用の面でも苦労しますが、トレーニングに必要なコミュニケーションの方法も難しいところです。

たとえば、体操選手が鉄棒で大回転するとき、手を離すタイミングを練習しようとしても、健聴者のようにコーチのかけ声をきっかけに動くことができず、自分で試行錯誤しなければならないことがあります。私もデフスキー競技者でもありましたが、コース上のポールの回り方について、コーチからはその場でではなく下まで滑り降りてから教えてもらっていました。

このように、技術を習得するのに時間がかかり、なんらかの補助が必要なので、御社の岡部祐介さんのようにアスリートとして会社に雇用され、活動できることはすばらしいと思います。
ただ、デフリンピック代表団のスタッフのなかにも、最近は積極的に手話を覚えて教える健聴者のコーチも増えていますよ。

——当社でも、岡部の入社をきっかけに手話の勉強を始めました。社員のダイバーシティに関する意識がさらに高まるといいなと思っています。選手として活躍するために、コーチとのコミュニケーション以外に必要なことはありますか。

粟野:情報収集も必要です。世界大会ではドーピング検査が厳しくなっていて基準が毎年変わります。連盟では、各競技協会の代表者がデフリンピックやアンチドーピングの情報を得たり、選手のメンタルや食事、生活改善などについて専門家の話を聞いたりする機会を設けています。毎年変わる競技ルールについても指導しています。

——聴覚障害者のスポーツ特有のルールなどはありますか。

スタートラインに設置されたスタートランプを合図に選手がスタートします

スタートラインに設置されたスタートランプを合図に選手がスタートします

粟野:陸上や水泳では、号砲の代わりにスタートランプを使ったり、柔道や空手は、審判が笛を吹くと試合場の端にあるランプが点灯します。バスケットのゴールにもランプがついています。
デフリンピックにはない競技ですが、ろう者と健聴者のラグビーの試合で、観客が審判の笛に合わせて黄色いボードを挙げるのを見て、そのときは感動しました。
[参考]デフラグビーについて(公益財団法人日本ラグビーフットボール協会)

冬季大会では、スノーボードやアルペンスキーのスタートをランプの色で知らせます。クロスカントリーでは、一般的なルールとして前を走る選手を追い越すときに声をかけますが、代わりにストックで前の人のストックをたたきます。

でも、それ以外はオリンピックと同じルールでみんな戦っているんですよ。だから競技としてのレベルが高いんです。

■手話で世界中の人たちと仲良くなれる

——全日本ろうあ連盟スポーツ委員会の活動について教えてください。

粟野:聴覚障害者は日本に33万から35万人いると言われています。病気や事故、高齢が原因で聞こえなくなる人が増えています。みなさんに手話や、ろう者がスポーツでもオリンピック選手と同じようにがんばっていることを知ってもらいたいというのが私たちの願いです。

オリンピックおよびパラリンピックの監督経験のある方が、デフリンピックでは手話やジェスチャーを使って世界中の人と仲良くなれるのを見てびっくりした、という話があります。もともと音声言語を使わないろう者同士、国際手話にジェスチャーや表情などを加えてすぐにコミュニケーションがとれてしまうのです。

ほかの大会では、選手全員と交流するのは難しいでしょうが、デフリンピックの場合は違う。そういう良さを知ってもらうことが大事だと思っています。

<プロフィール>
粟野達人(あわの・たつひと)
学生時代はスキークラブで役員および自身も選手として大会に出場。社会人になってからは全日本スキー連盟公認東京スキークラブや東京デフスノーボードクラブを創部。全日本ろうあ連盟スポーツ委員として、2013年の第22回夏季デフリンピック、2015年の第18回冬季デフリンピック等で日本選手団総監督を務める。現在、公益社団法人東京聴覚障害者総合支援機構理事長、東京都聴覚障害者連盟会長等を務める。

●全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会

<クレジット>
取材・インタビュー撮影/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/長谷川圭子