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「お金は人生を楽しくするための手段だ」というのが僕の持論です。

今の世の中、お金にまつわる話題というと暗めのものにかたよりがちですけれど、本来、お金は人が幸せになるために使うものですよね。このコラムでは、「私たちが幸せになるためにはお金をどう使えばいいのだろうか」という問いについて、若いみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

J-CAST「ライフネット生命保険 会長 出口治明さんと考える『幸せなお金の使い方』」(2016年7月20日配信)を転載しています

■クレーのおしゃれな封筒に驚き

ビアスの『悪魔の辞典』によると、「お金(money)」とは、「使うとき以外は何の役にも立たない有難きお恵み」。悪魔がそう皮肉るような「しょーもない」ものなのです。やはり使ってこそのものなのですね。

自己紹介がわりに、僕のお金との「出合い」についてお話ししましょう。僕は三重県の片田舎で育ち、高校までは自らお金を使うような生活をしていませんでした。実家の周りは4、5軒の民家とあとは山。学校まで自転車で通学し、お金を使う場所がない。ですから、お金を使う機会ができて、お金を意識して生活するようになったのは、僕が大学に入った18歳のときです。

大学の近く、京都の百万遍の角にあった第一銀行(当時。合併を経て現在はみずほ銀行に統合)に口座を開きました。高校から卒業祝いにもらった印鑑で手続きをし、手持ちの2万円だったかを預けました。銀行からもらった封筒にパウル・クレーの絵があしらわれていて、「都会の銀行はなんておしゃれなんだ」と驚いた記憶があります。

その口座に家からの仕送りが月1万円、日本育英会と三重県上野市(当時)から奨学金が合わせて月1万3000円、振り込まれます。市電の回数券が100円(15円きっぷが7枚で5円割引)の時代、下宿代がたしか月4500円、授業料が月1000円でしたから、月の生活費は1万5000円ぐらいだったでしょうか。

これが僕の「お金を使う」生活のスタートでした。

■カレーだって10円玉いくつかで

若いみなさんはご存じないでしょうが、僕が在学していたころの大学は学生運動が盛んで、僕もデモを見に行ったりしたものです。しかし、普段は本を読んだり、自転車を飛ばして友だちの下宿に行って議論を交わしたり、市電に乗って京都の街をめぐったり、たまに仲間とギョーザを食べて焼酎を飲んだりといった学生生活ですから、それほどお金がかかるわけではありませんでした。学生食堂のカレーだって10円玉いくつかで食べられたのではなかったでしょうか。

ところが。

計算上は、1日500円は使えるわけですから十分に余裕があるはず。なのに、なぜか仕送りが振り込まれる3日も4日も前に、銀行の残高が3000円ぐらいになることがしばしばあったのです。そこまで減ると、さすがに心細くなります。2回生になると、先輩の世話で家庭教師や塾の講師などのアルバイトをするようになりました。

当時、物価が年に5%以上も上がり、仕送りや奨学金はそのままでしたから、徐々に苦しくなるのは当たり前ではあったのですが、それにしてもお金が減るのがはやすぎます。

いったい僕は何にお金を使っていたのでしょうか。

(つづく)

J-CASTで2016年7月20日配信した原稿を転載しています