写真右:高橋佳吾さん(JAMMIN合同会社 共同設立者)。創業から3年目で寄付累計額1,000万円突破

社会をよくしたいと思う人の気持ちを、少しずつ、たくさん集めて、ほんのちょっとでも社会をより良くしていきたい──そんな気持ちから生まれた京都発のファッションブランド「JAMMIN」。毎週、社会問題をテーマにデザインした新作アイテムを1週間限定発売し、1着の購入につき700円がNPOに寄付されるという仕組みで運営されています。

創業者のひとりである高橋佳吾さんは、開発コンサルタント時代の同僚・西田太一さんとタッグを組み、退職後にアパレル業未経験でブランドを設立。試行錯誤の連続だったというJAMMIN誕生の道筋について、お話をうかがいました。

■大きなプロジェクトに関わっているのに、目の前に広がる貧困問題には何もできなかった

──JAMMINはどういったきっかけで始められたんですか?

高橋:前職は、開発コンサルタントという仕事をしていました。国や行政の方と一緒にどういう街にしていきたいか、インフラをどうするのかといった、専門的な内容をコンサルティングしていました。僕は、途上国の上下水道分野に主に携わっていました。

仕事をする中で、現地で活動されているNPOを知る機会が少なからずありました。直接関わることはありませんでしたが、僕がフィリピンのマニラに出張した時、スラム街で活動する日本のNPOの存在を知って、心に引っかかるものを感じたんです。僕らは現地でインフラを建設するという大きなプロジェクトに携わっているのにも関わらず、プロジェクトは何十年とかかる長期的なもの。一方、短期的には目の前にあるスラムやストリートチルドレンの問題には何も出来ていないことに葛藤を感じていました。

そんなもやもやが心の中にずっとあって、徐々に「個人としてできることを大事にしていきたいな」と思うようになりました。

会社に入社した2008年頃、社会起業家やグラミン銀行などが注目され始めて、社会貢献を仕事にするというスタンスが世の中でもてはやされるようになっていました。新卒で同期入社だった、現在の相方の西田と「こういうの、面白そうだよね」と話し合いを進めるうちに、実現は難しいかもしれないけど、一歩踏み出してみようという気持ちを固めたんです。

──そこから、どういう経緯で「チャリティTシャツ」に?

JAMMINのオンラインショップ。毎週異なるNPOの活動をテーマにしたデザインのTシャツやトレーナーなどが並び、購入1枚につき700円がその団体に寄付される。NPO側には初期費用などの負担は一切ない

高橋:最初は、途上国などで行うNPO活動をイメージしていました。井戸を掘って、現地の人たちからお金をいただいて、資金が回るという仕組みとかですね。

しかし、正直なところ、そういった活動は楽しそうだったのですが、事業継続をするアイデアが出てこなかった。30歳での起業ということもあり、継続的な方法が他にないかと情報収集をしていくうちに、NPOとのコラボTシャツを週替わりでデザインし、限定販売する「Sevenly」というアメリカのチャリティブランドを知りました。1枚売れるごとに7ドルを寄付する仕組みです。

アパレルで社会貢献できるというシンプルな形がスムーズに頭の中に入ってきて、「これをやってみよう!」と思い立ちました。

ただ、アメリカと日本では、チャリティに対する意識や考え方が異なるので、このままもってきても絶対に失敗すると思ったんですよね。やろうと決めてからの2〜3年は、自分たちのやり方というのを磨いていきました。

──大企業から、ニッチな領域に飛び込む怖さはありませんでしたか?

高橋:それがまったくなく、新しいことができる、社会を変えていけるワクワク感でいっぱいでした。

──NPOとの交渉は、割とスムーズだったんですか?

高橋:実は、最初の頃は正直言ってうまくいきませんでした。NPOさんは「この人たちが集める寄付は、信用して大丈夫なの?」というところを心配されていました。

当時、僕らはウェブサイトもTシャツも持っていなかったので、プレゼン資料だけ用意してコラボを依頼しに行きましたから。寄付というのは、誰からでも受け入れてはいますが、当然、得体の知れない団体からの寄付は嫌がられることがあります。下手をすれば、NPOさんのイメージにも悪影響が及ぶ可能性もありますからね。

最初のコラボ先はテラ・ルネッサンス。中央:NPO法人テラ・ルネッサンスの栗田さん、右:取り組みを取材いただいた京都新聞の大西さん。

はじめにコラボしたのは、僕らと同じ京都で活動されている、NPO法人テラ・ルネッサンスさんです。武装集団に突然拉致され、戦いを強要される「子ども兵」を救う活動をしていらっしゃいます。すでに実績のあるNPOとして有名なテラ・ルネッサンスさんがOKしてくださったことで信頼を得て、ようやくスムーズに行き始めました。まだ実績も信用もない僕らと組んでくださったNPOさんには、本当に感謝しています。彼らがいなかったら、今のJAMMINはありませんでした。

あと意外なところでは、僕らの前職にも助けられました。「途上国でインフラのプロジェクトに関わっていました」という経歴を伝えると、単純にアパレル業界からやって来たというより、実際に現地に行った人がやっていたという方が、説得力があったようです。

■関西は「ものづくりの魅力に溢れた地域」だった

JAMMINのビジネスモデルは、NPO(/NGO)、顧客、社会、JAMMINの「四方良し」

──京都に拠点を置いて、よかったところはありますか?

高橋:魅力的なものづくりの素材がたくさんあることです。例えば、奈良だったら靴下の製造。和歌山だったらスウェットやパーカーに使われている裏毛。少し離れていますが、愛知は元々毛織物や染め物が有名。こういったところは、物作りの面ではすごく恩恵を受けられたと感じます。

あと、関西はライバルが少ないということも大きかったですね。そもそも、チャリティをコンセプトにしたアパレルは日本には無いのですが。だからこそ、JAMMINは注目されやすかったところがあります。

■外出時にも着てもらいたいから、日本製の高品質Tシャツにこだわった

綿100%の素材をなめらかに編み上げることができる機械で、JAMMINのTシャツの土台はじっくりと作られる

──事業を始める時、特に苦労したところはありますか?

高橋:Tシャツをはじめ、ものを作って売ること自体が初めての経験だったので、そこのハードルが高かったですね。

最初は、中国の工場にTシャツの製造を委託しました。僕たちの考えが未熟だったのですが、B品の割合が少し多くて。時間的な理由も大きかったのですが、それでスタートしました。

でも、やはり僕らが納得するクオリティのTシャツを作りたかったので、信頼出来る知り合いの業者さんにお願いして、またイチからものづくりを始めました。時間も手間もかかりましたが、「顔が見える」パートナーさんが見つかって、今も工場を訪問し相談しながら、安定して良い品質のTシャツを生産しています。

もともと、「チャリティ」ということ抜きでも買ってもらえるように、耐久性があって、誰が着ても心地よく、高いクオリティのものを出したかった。現在JAMMINで販売しているTシャツは、すべて日本製のものです。

──クオリティが高ければ、購入者も他の人に勧めやすいですよね。

以前「ライフネットジャーナル オンライン」で取材した「キッズドア」もJAMMINで取り上げられ、1週間で30万を超える寄付を集めた

高橋:そうなんですよね。よく、Tシャツはすぐに寝間着にされてしまうんです。JAMMINの本来の目的は、寄付だけではありません。Tシャツのデザインを通して、社会問題を世の中に伝えることも大事なことです。上質でデザイン性にも優れているTシャツを作れば、外出する時に着てもらえるし、長い間着続けることができます。

──そうですね。今やそれが累計1,000万円を超える寄付になった。

高橋:本当にありがたい話です。ただ、僕らの目標はもっと高くて。最終的には、1週間のチャリティで100万円以上集めたいと思っているんです。

なぜ100万円かというと、それくらいの資金があれば、NPOさんはひとつのプロジェクトを1から作り出すことができるからです。

また、そういう状態になると、将来JAMMINがNPOさんと協力して、途上国に学校を建てる!とか新しいことに挑戦しやすくなるかもしれません。分かりやすい成果が出せるようになる規模まで拡大することが、僕らの当面の目標です。

(つづく)

<プロフィール>
高橋佳吾(たかはし・けいご)
1983年名古屋生まれ。名古屋工業大学在学時に、ラッパーのJay-Zが行っていた社会貢献活動に衝撃を受け、一生の仕事にしようと決意。開発コンサルタントであるパシフィックコンサルタンツへ入社後、日本国内の上下水道計画、東アジア地域の水道開発計画に従事。会社の同期だった西田太一氏とともに、2013年JAMMINを設立。
●JAMMIN

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
執筆/森脇早絵