太田陽子さん(仮名)

もし突然、会社の健康診断でがんの可能性を指摘されたら──。そんな場面をイメージすると、誰もが強い不安を覚えるでしょう。

7年前に乳がんの罹患を経験した太田陽子さんは、闘病中の日々を書き綴った「ブログ」や、そこで出会った「ブログ仲間」との対話が、大きな支えになっていたと話します。当時、太田さんがどのように病と向き合ったのか、詳しくお聞きしました。

■「まさか、自分が」 突然始まった闘病生活

太田さんが乳がんに罹っていると判明したのは、2010年12月のこと。当時35歳でした。勤めていた会社の健康診断には子宮がん検診や乳がん検診が含まれていて、乳がんのエコー検査で「嚢胞(のうほう)、水が溜まっている」と指摘されたのです。

元々胸にしこりがあると感じていた太田さんは、親友と叔母の強い勧めによって、乳腺専門の病院で詳しい検査をすることにしました。2人は癌経験者だったのです。

検査の結果は、ステージ1の乳がんでした。

「叔母と親友が、絶対に行った方がいいと言ってくれなかったらと思うと、今でもぞっとします。実際に診断された時は、『まさか自分が』という気持ちでした。がんは、もっと年を取ってから罹る病気だと思っていたからです」

がんと聞くと、「不治の病」というイメージを持たれる方が多いですが、実際は、そんなことはありません。初期のうちに見つかれば、乳がんの方の10年相対生存率は、なんと95%にのぼります*。太田さんの場合も、初期のステージ1でみつかり、かつ、進行が遅いがんであることが分かりました。ただ、がんの組織が正常な形からどれだけ異なっているかを示す「異型度」は3段階中3。悪性度を測る指標のひとつであるこの数値が少し悪かったため、しっかり治療に取り組むことになりました。

*参照:全がん協部位別臨床病期別10年相対生存率

ここから闘病生活がスタートします。まずは、手術前にさまざまな検査を行いました。他の臓器に転移がないかを診る、CTでの検査。骨に転移していないかを診る、骨シンチグラフィー検査。手術に耐えられるかどうかを調べる、肺活量の測定。その他、エコーやX線写真、血液検査……。およそ1か月間、病院に何度も足を運んだそうです。

「外科手術の準備は入念にすると思いますので、これは標準だと思います。検査は回数こそ多いですが、意外と精神的なストレスはありませんでした。でも、私の病気のことは上司にしか報告していませんでしたので、職場とのやりとりが少し大変でした」

最終的に、初期のがんであることから、手術は全摘ではなく、一部切除の「乳房温存手術」に決まりました。

■お金の心配があまりなかったから、前向きに治療に取り組めた

検査から治療が終わるまでにかかった期間は、約1年間。手術の痛みや、抗がん剤の副作用による苦しみなど、治療によるストレスは長い間続きました。

ただでさえ不安やストレスが強まる中、お金の心配がなかったことは不幸中の幸いだった、と太田さんは言います。

「休職ができたので、傷病手当金を受給していました。標準報酬日額の3分の2にあたります。高額医療費制度も利用することができました。それから、たまたま入っていた掛け捨ての医療保険に女性特約をつけていたおかげで、放射線治療と手術の費用はすべて賄うことができました。ただ、抗がん剤の費用は出ませんでした」

治療は想像以上に長く時間がかかり、治療費も高額でした。手術を含め、入院は4泊5日。その後、白血球の数値を見ながら、大体3週間に1度、合計6回の抗がん剤治療が続きます。さらにその後、体力がある程度戻ってから、月曜日から金曜日までの5日間を5週間、放射線治療を行いました。

費用は、手術が約25万円。抗がん剤は、1回あたり3万円、6回で18万円。放射線治療が1回あたり約8千円ですから、25回分を合計して約20万円。

さらには、思いの外、治療以外にかかるお金がたくさんあったそうです。

「中でも、通院費は大きな出費でした。病院は、電車で行ける距離ではありましたが、自宅から40分かかります。抗がん剤治療中は、本当に体力が失われますから、お手洗いに行くのがやっとという状態です。電車にも乗れず、タクシーを頻繁に利用しました」

それから、抗がん剤の副作用で髪の毛がすべて抜けてしまったことで、ウィッグを購入しなければなりませんでした。人毛のもので、約14万円。この出費も大きかったと言います。

抗がん剤の副作用を抑えるための薬も、たくさん処方されました。中には、1粒720円もする高額なものもあったそうです。

「とにかく、薬、薬、薬、でした。飲む量が多く大変でしたが、薬代もバカになりませんでした。貯金と、保険と、会社の福利厚生にはすごく助けられましたね」

太田さんの会社は、働きやすい環境が整えられていて、福利厚生のみならず、社長も治療に理解を示してくれたそうです。

「休職できる環境は、実際には当たり前ではないと思うんです。会社を辞めなくて、本当に良かったです」

■軽い気持ちで始めた「闘病ブログ」が心の支えになった

太田さんは、闘病中、抗がん剤の副作用に非常に苦しめられました。比較的副作用が強く出てしまい、「なぜ、何万円もかけて、こんなに苦しまなければならないんだろう」と不満が募ったと言います。

「両親や夫は、すごく心配してくれたようで、情報収集をしてくれたり、家事をやってくれたりしました。私はお皿一枚洗うのも苦しかったので、本当に助かりましたね。できるだけ普通に接してくれたことが救いでした。でも、夫が忙しい時、少し苛立っている時がありました。申し訳ない気持ちを感じることも多々ありましたね」

それでも、治療は続けなければならない。ストレスが高まる中、夫や実母に当たってしまうこともあったそうです。家族は温かく支えてくれたものの、やはり、負担もかかります。太田さん自身も、気を遣われることに対する罪悪感が強くなっていきました。

「治療中はあまりにも孤独でした。休職中だったので、1日のほとんどはひとりで家にいます。そんな時に、自分の気持ちを書いてみようと思い立ちました」

元々、罹患者たちのブログの存在は知っていました。乳がんの治療法や病院を調べようとすると、インターネット上には怪しい情報がたくさん散らばっています。どれもあてにならない。そういった中、最も参考になったのが、実際に乳がんにかかった人たちのブログだったのです。

罹患者たちのブログは、経験者ならではの有益な情報がたくさん載せられていました。ブラジャーにはタオルを詰めれば、今まで使っていたものを使用できるとか、ウィッグはフリマアプリで安く買えるなど、参考になるものばかり。

そこで、太田さん自身も闘病生活を綴るためのブログを始めることにしました。すると、次第に闘病中の読者たちが集まってきて、コメントをやりとりするようになりました。ブロガー同士のコミュニケーションもするようになったそうです。

軽い気持ちで立ち上げたブログでしたが、意外にも、太田さんの大きな支えになってくれたと言います。

「私のブログに来てくれる人たちは、みんな私と同じ罹患者でした。その仲間たちとは共感し合うことが多くて、ずいぶん支えられたんです。みんなアクティブで、実際に会って話をする機会にも恵まれました。今でも交流が続いています」

■経験者にしか分からない気持ちを分かち合える場がありがたかった

治療がだいぶ落ち着いたころ、太田さんは、ブログを通じて知り合った仲間たちが開催する「オフ会」に参加するようになりました。平日の夜、20人ほどのメンバーが集まり、テーマに沿って話をする場が設けられたのです。

太田さんが参加した時のテーマは、「治療中のモヤモヤ」。各自が自己紹介をした後、治療中に感じたこと、あるいは悩みやストレスなどざっくばらんに発表します。

「すごく話しやすかったです。みんな同じ経験をしているから。普段、日常で会う人には、話が重く捉えられてしまうかなと思って、なかなか言えないことがたくさんありました。でも、ここでは言える。ありのままに言える場があるというのは、すごく大きな支えになりました」

経験した人でなければ分からないことがたくさんある。同じ仲間たちと交わす言葉は、ひとつひとつが深く染み入るものでした。

「この会では、誰かが発言したことを否定しないんです。それがすごくありがたかった。家族であっても、病気に関しては、どうしても分かり合えない部分があります。その部分を、ただただ聞いて欲しい時があるんです」

治療から6年。今、太田さんはご主人の転勤に伴って職場を変え、派遣社員として働きながら、発病前と同じように生活しています。治療が終わってもなお、当時のブログ仲間とは、今でも普通の友だちのように会って話をするそうです。

「頻繁に連絡することはありませんが、時々、一緒に美術館に行ったり、ごはんを食べに行ったりします。すごくいい出会いだったな、と思いますね」

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/森脇早絵
撮影/村上悦子