坂本龍一さん(第30回東京国際映画祭TIFFマスタークラス 第4回“SAMURAI(サムライ)”賞授賞記念「坂本龍一スペシャルトークイベント〜映像と音の関係〜」2017.11.1@六本木アカデミーヒルズ)

2017年、第30回東京国際映画祭マスタークラス第4回“SAMURAI賞”を受賞した音楽家・坂本龍一さんによる受賞記念「スペシャルトークイベント~映像と音の関係~」が六本木ヒルズで行われました。

坂本龍一さんにこれまで携わられた映画音楽の作曲の話、ご自身の映画音楽論について、司会者(音楽・文芸評論家の小沼純一さん)と会場からの質疑応答で会は進みました。

Q:坂本さんは30年以上映画音楽の仕事をされています。『戦場のメリークリスマス』から『レヴェナント』、そして、今月から公開になる『CODA』まで、さまざまに担当されて実践し試行されてきたかと思います。坂本龍一の音楽と、映画の音楽とは、どういうふうに関係していくのかお伺いできたらなと思っています。ではまず、映画の仕事をする場合、まず仕事の依頼があるわけですよね。

A:そうですね。映画の仕事は、僕のような音楽家は、もしかしたら俳優さんもそうかもしれないけど、こっちからやりたいといくら言っても、監督が使いたくなければ駄目です。基本的に仕事は全てオファーされるんですが、僕が生まれて初めて映画音楽をやったのは、『戦場のメリークリスマス』なんですが、これは、僕からオファーしたんですよ。生意気なことに。

Q:それはどういう形で。

写真左から、司会の小沼純一さん(音楽・文芸評論家)、坂本龍一さん

A:監督の大島渚さんが自ら台本を持って1人で僕のオフィスに来られて、それで僕に「お願い、出て下さい」と言われた。当然「はい、お受けします」というところを、僕は何を血迷ったか、僕から「音楽もやらせてくれるなら出てもいい」みたいなことを言ったんです。本当にね、何を考えていたのか今となっては分かりませんけど、本当にそんなことをつい言ってしまったら、大島さんはもうその場で「はい、お願いします」って言うわけ。でもずぶの素人ですよ。映画音楽も、それからもちろん役者をやるのも初めて。

生まれて初めてのことが二つも重なったんですけど、大島さんはYMOを聴いておられたかもしれないけども、映画の中に使う音楽を、果たしてこいつができるかどうかなんていうのは、もう分からないわけで。勇気あるなあ。今の一つのエピソードからでも、とても勇気のある方だと実感します。

Q:一種の賭けみたいなものですよね。

A:賭けも賭け。どうなるか分からないわけですから。

Q:もしそれが役者としてのみのオファーだったら、坂本さんの今後の人生は変わっていましたでしょうか。

A:ずいぶん変わってたでしょうね。それは考えたことなかったですけども、そう言われてみたらそうですね。

Q:それでは、『戦場のメリークリスマス』の音楽はどのように作られたのですか。

A:本当にずぶの素人なのに、大島監督は何も教えてくれないんですよ。でも最初に何をしたかというと、粗く編集した粗編集の映画があって、そのビデオをもらって、自分でどこに音楽を入れたいかっていうのを素人ながらリストアップしていって、それで大島さんと会って大島さんが同様に作ったリストと合わせたら、95パーセントぐらい同じだったんです。

で、その時点で大島さんはもう「ああ、こうだ。好きにやってくれ」って言ってくれました。それでも、好きにやってくれって言われてもねえっと思ってまず、テーマから考えましたね。で、メリークリスマスだからクリスマスソングだろうと。単純です(笑)。有名なクリスマスソングってありますよね、いくつか。それを改めて聴いてみて。別に共通性はないですね。ただ、鐘のような音が入ってくることが多くて。やはりチャーチで、そういう鐘。

だけどこの映画のクリスマスは、舞台が南洋ですね。南太平洋のどこかの島の、多分アジアの島ですよね。なので、サンフランシスコやヨーロッパのあちらのクリスマスではなくて、南洋の暑い島のクリスマスの話ですから、要するにヨーロッパの教会の音じゃ駄目なんです。なので一応理詰めで考えて。2週間ぐらい、いろいろ試行錯誤してたのかな。ある午後、ピアニストなのでピアノに向かって、ああでもないこうでもないとやっていて、ふと意識がなくなったんですよ。それで次に目覚めて、ふと見たら譜面が書いてある。何かを書いてみたらしい。便利ですよね。記憶が飛ぶと、もうあるっていう。


Q:自動記述ですかね。

A:自動記述、自動筆記みたいな。やっぱり殴られたのかな(笑)。それであのメロディーが譜面に書いてあって。だけど、ハーモニーが若干違うのね。そこはこっちのほうがいいかなとか、ちょっと調整して直して。だけど基本的な和音も一瞬で合ったので、自分でつくった気がしないんですよ(笑)。そのタイミングが本当だと思ってるので。

Q:この鐘の響きは教会ではなく、ってどっちかというと東南アジア系のガムランとかドラ系の音ですね。

A:実際、基本となっているのは、あのころよく使っていたサンプラーに入っていた、ワイングラスの音なんです。要はそれが、ああいうメロディーだからかもしれませんけども、少しアジア的な響きがしますね。舞台設定はもちろんアジアのどこかなんですけども、この映画も、実は場所が特定された映画ではなくて、一種の神話的な映画なんですよ。だから、この僕の音楽は特定のどこかのインドネシアとか、そこを想起させるのではなくて、東洋人から聴いても西洋人から聴いても、どこかエキゾチックなファンタジーの、アジアのどこかの国というね。具体性を何となく取ってしまったんですね。そういうふうにつくってみました。

Q:話題を変えて、やはり音による音楽と、映像の音楽は違うんですよね。


A:違います。それで速さが変わってきますね。音楽っていうのは、ほとんどの場合始まったら一定のテンポを刻んでいきますよね。それから、やはり音楽として安定してるのは、4つのまとまりとか、3つのまとまりって。それがもう全然まとまりがないとか、コロコロ変わるとかっていうのは、もちろんそういう音楽もありますけども、それは音楽上の面白さであって、そういう音楽上の面白さって、映画にとってはじゃまになることが多いんですよ。

それで、武満徹さんの一音主義っていう言葉があって、武満徹さんが言ってた言葉ですけど、映画の中の音楽っていうのは1個の音でも成立するんだ。1音だけでもいいんだと、極端に言えば。ところが、普通の音楽だけを聴く音楽の場合、1音鳴らして、はい終わりましたっていうのは、そういうものもありますけども、前衛的な何か。そういうわけに行きません。1音も、やっぱり音楽は音楽の文法がある。でも音楽の文法って、映画の中にはさむとじゃまになっちゃうことのほうが多い。そこをうまく、じゃまにならないように。で、単なる補完するようになってしまう。なるべくだったらば映像と音楽が対等な関係で、というふうに何か起こすような、拮抗していい効果が出るような、いいものになるような。1足す1が3になるようなものをつくりたいですね。

──(会場からの質疑応答)──

Q:2019年に向けて、「LIFE」20周年ということでオペラを計画なさっているということなんですけども、映画というパッケージを作っていただく計画とか、ご興味などについて、お聞かせいただければと思います。


A:映画、さっきも言ったように好きなので、もちろん関わってきましたから、その映画づくりの現場とか監督たち、周りのスタッフたち、よく見てるんですけども、もう彼らは一種狂人なんですよ。何て言ったらいいかな。もちろん天才なんだけど、とにかくもう好きの度合いが全く違います。もっと人生を賭けているし、映画って怖いところがあって、本当に人が亡くなったりするんですよ。映画製作の中で。だからそこはもう、音楽よりも異常度が強いというか。
僕はちょっと異常さが足りない。ノーマル過ぎちゃって。というのは嘘で、才能がないんです。だから才能がない人がつくっちゃ駄目だと、重々自分に戒めるの、自分で自分に。ただ、『戦メリ』で初めて映画に関わって、その後たけしさんが映画を始められて今でもつくってますよね。そのときに大島さんと話すことがあって、「たけしが映画をつくり始めたじゃないか。坂本君はなぜやらないんだ」「いや、僕は才能がないですから」って言ったら、「お前は卑怯者だ」怒られちゃって。そんなふうに言われても。ペコペコ謝ってね。あの人ですから、すぐ怒るんですけどね(笑)。「卑怯者だ、お前、才能がないなんて」って言われて。

ですけど、それでも、いや、自分には才能がないと思って。最近はiPhoneでも4Kでビデオが撮れますから、実際iPhoneだけで映画をつくるような人も、プロでも出てきてますから。それは普段撮ってるようなiPhone映像をつなげれば、自分だけで見る分にはいい記念になるかもしれませんが、とてもとても人様にお見せできるようなものは。本当に僕ね、映像というかビジュアルの才能がないんですよ。他の才能もないんですけど、やっぱり才能がない人がやっちゃ駄目ですね。すいません。

Q:もし私が坂本龍一さんの研究家になるとしたら、後世にどんなことを残していけばいいのか、教えていただきたいです。

A:後世、要するに死んだ後ね。基本的に死んだ後のことは考えていないんですけども、面白いのは、あなたもそうだし、僕もそう、皆さんそうなんだけど、割と聴いている音楽とか、読んでいる本とか、みんな亡くなった人たち。死んだ人たちの音楽をよく聴いて。だって、バッハにしろ、モーツァルトにしろ、ベートーヴェンにしろ、ドビュッシーにしろ、ラヴェルにしろ、もうみんなとっくに亡くなってますよね。それを言ってみりゃ後生大事に僕らは聴いて育ってきて、本もそうですね。

みんな、ギリシャはギリシャ時代のプラトーンから始まって、もう何千年前に亡くなった人たちのものから、トルストイだドストエフスキーだといったって、もう100年ぐらい前でしょう。そういう人たち、亡くなっている人たちの遺産というのかな、残してくれたものを滋養にして僕たち育ってきているのね。それは面白いなあと思うんです。あまり普段考えないことだけどさ。

だから別に僕が死んだ後にどうなってるって言ってるんじゃないんですが、それは僕が死んだ後に人がどう思うかっていうのは、本当に自分では決められないし、自分では分からないし。ただ、とても親しんでいた、例えば武満徹さんというのは、何度か人生の中で交流もあって、亡くなっちゃいました。で、よく思うのは、武満さんの音楽は100年後の人たちも聴いているかな。

ピエール・ブーレーズの音楽は100年後もみんな聞くのかな。ビートルズは多分100年後の人間たちも聴いてるだろうなとかね。よくそんなことは考えますね。だから自分は別に聴かれたいとは全然思ってないんですよ。別に忘れ去られても全然かまわないんですけど、そういうことをよく考えますね。

だから別に自分が何を残したい、後世のために。みんなそんなこと考えてないんじゃないかなあ。どうなんでしょう。何かそんな気がします。みんな割ともっと目先の興味で一生懸命。本当にものをつくるっていうのは、どうしても近視眼的になりがちで。どんどんどんどん対象に近づいて行って。だから大きなものが見えなくなって。みんなそういうふうに近視眼的にやっていることが多いので、そんなに100年後、200年後、自分の作品が残るだろうかって思っている人はそんなに多くないような気がするんですけどね。

最後にまとめですが、僕は自分の過去を振り返って、自分の仕事をああだこうだって言う趣味はないので。今日言いたかったことは、音楽が音楽として存在している場合と、映像と一緒になった場合、あるいは映画の中、映画のコンテンツの中に入った場合の役割としては、違うと。その存在の仕方も違うと僕は思ってるということを言いたかったわけですね。だから改めて言うと、映画の中の音楽、あるいは音っていうのは、音楽としては仮に例えば役不足でも、十分ある種の機能を果たすというか、役割を果たせる場合も多々あるということです。そこが分かると映画を見ていても、また面白いんじゃないかなと思うんですね。

<クレジット>
取材・文・撮影/ライフネットジャーナル オンライン 編集部

Powered by ライフネット生命保険

人生と仕事とお金について考えるメディアライフネットジャーナル オンライン 公式Facebook