江口康二さん(株式会社メディロム 代表取締役社長)

ビジネスのアイデアは、いつどこでひらめくか分かりません。リラクゼーションスタジオ「Re.Ra.Ku(リラク)」を展開し、ビッグデータ解析にも力を入れるメディロムの代表取締役、江口康二さんが巨大なビジネスチャンスに気づいたのは、ぎっくり腰になったときに訪れた治療院等で、問診票に記入をしている時のことでした。(前編はこちら)

■中古車販売業時代からビッグデータを扱っていた

江口康二社長(以下敬称略):僕が大学を卒業した1996年は、まさにITバブル前夜、そして就職氷河期の始まりという時代でした。新卒で入社したのは、ジャック(現カーチス)という中古車販売会社です。当時、会社の中でITビジネスを強化していて、僕はデータベースマーケティングの部門に配属されました。今で言う、ビッグデータを解析してビジネスにつなげる仕事です。

――学生時代からデータ解析を得意としていたのですか?

江口:大学では海底地質学を専攻していました。子どもの頃から宇宙にあこがれていたので、本当は宇宙工学の道に進みたかったのですが、学校の成績がそうさせてくれなかった(笑)。ただ、海底にも未知のことは多いんですよね。たとえば日本近海の海底には、膨大な地下資源が眠っています。それこそ、本気で開発をすれば日本が資源・エネルギー輸出国になるほどの埋蔵量です。

大学では音波探査などをして、海底にどのような資源があるか、それをどう効率的に開発できるかを研究していました。データ解析を行っていたわけではありませんが、WindowsとMac、両方のマシンを駆使してデータ変換の作業をするなど、当時の学生としては珍しいことをやっていたとは思います。

――データに近いところにずっといるんですね。中古車販売会社が行うビッグデータ解析はどのようなものでしたか?

江口:たとえばスポーツカーを所有する20代後半の男性がいたとします。データを解析してみると、この条件の人が次に乗り換える車は、80%の確率でワゴン車だと割り出せるんです。面白かったのは、地域と車種にも関連性があったこと。つまり年齢と住所と車種が分かれば、次にどんな車を買うのか、だいたい予測ができてしまうのです。

20代後半でスポーツカーを下取りに出す埼玉県北部のお客さまに「次はツーリングワゴンタイプをお考えではないですか」と言うと、「何で分かるんですか!?」と驚かれたり。そういうお客さまに「ツーリングワゴンの最新型で何台かいいのが入っていますよ」と営業をすると、マッチングしやすいんです。

――当時はインターネットの黎明期ですが、ネットの活用もされていましたか?

江口:3年目の時に、インターネット事業部の部長に抜擢されました。そこではデータ解析やネットオークションの立ち上げ、ネット広告を作る仕事などをしました。「あなたの愛車、今いくら」みたいなバナー広告、見たことありません? 実はあれを最初に作ったのは、僕なんです(笑)。当時100億円くらいしかなかったインターネット広告市場で、僕だけで4、5億円の広告費を使っていたので、相当なプレイヤーだったと思います。

■自社株が化けて億万長者に。自分を見失って気づいた大切なこと

――その後、どのような社会人生活を送っていましたか?

江口:26歳の頃に、僕は突然、億万長者になりました。会社の持株会に入って自社株を360万円分ほど持っていたのですが、上場を機にそれが一気に1億2千万円になったんです。億万長者になると、どこから話を聞きつけたのか有名なファッションブランドからパーティーのお誘いが来たり、証券会社から「XXXという会社があるんですけどご存知です?」と株の購入を持ちかけられたり、見たこともない世界が広がっていました。


江口:そして証券会社に言われるがままに株を買っていたら、1億2千万円が3か月で3億6千万円になった。こうなると、仕事がバカバカしくなってしまうんです。調子にのって、「いけ好かない奴」にもなりました。親族や友達がやけに増えて、「お金を貸してくれ」という人によく貸していました。そういうお金はほとんど返ってこず、今でも1億8千万円くらいは戻ってきていません。

ここで学んだのは、お金を貸した瞬間に友達ではなくなってしまうということです。やがてITバブルが弾けると僕の周りからは人がいなくなりました。極度の孤独を感じて、「お金を追いかける人生よりも、世の中に貢献をして友達にも恵まれる人生を送りたい」と思うようになりました。

――それがヘルスケア事業を始めるきっかけに?

江口:もちろんそういう思いで経営をしてきましたが、起業のアイデアは別のところから生まれています。“江口バブル”も弾けて消沈していた27歳の頃、たまたまぎっくり腰になってしまいました。すぐに治したかった僕は、整体からリラクゼーションからカイロプラクティックから、いろいろなお店を訪ねました。行く先々で問診票を書かされますよね。名前、住所、電話番号、Eメールアドレス、既往歴、アレルギー、飲酒量と頻度、喫煙の有無。そういうことを繰り返し書きながらふと、「これってよく考えたらすごいデータだな」と気づいたんです。

僕は職業柄、情報の取得にいくらお金がかかるのか、1件あたりの相場を知っていました。Eメールアドレスは35円。名前と住所も込みだと55円。趣味嗜好が加わると150円。情報の深度が進むほど取得単価が高くなる。僕が各店舗に提供していたような情報には、極めて個人的な医療の情報が入っているので、もし取得しようと思ったら1万円から1万5千円はかかります。もし自分がヘルスケアの店を出したら、普通なら手に入らない貴重なデータがどんどん蓄積されていく。それを使って世界を変える大きな冒険ができるんじゃないかと思ったんです。

――当初から壮大なビジネスの構想があったんですね。

江口:この分野なら、グローバル企業になるチャンスがあると思っていました。グローバル企業になるためには、国境、人種、宗教、年代など、すべてのボーダーを越えていかなければなりません。それができる分野は、金融、情報通信技術、マテリアル、生命科学の4つだけです。我々の事業はこのうちの生命科学に当たります。考えてみると、世界の医療は格差だらけです。病気や治療法について詳しい人とそうでない人の間には情報の格差があります。海外で合法な医療が日本では違法ということもあるように、リーガルの格差もあります。でもこれって、「この先にボーダーレスな時代が待っている」ということでもあるんです。

■その日が来るかどうか分からなくても進むベンチャー魂

――さまざまな障壁があることが、起業家にとってはチャンスということですね。しかし長年そこにある壁を、御社のようなベンチャーが急に来て動かすことは難しくありませんか?

江口:小さな会社でも、テコの原理で大きなものを動かせます。そのためには「業界の風上」に立つこと。逆から考えてみましょう。病気に苦しんでいる方々は製薬メーカーを必要としています。製薬メーカーは病院を必要としています。病院は保険組合を必要としています。では保険組合は何を必要としているのかというと、現在健康であるものの将来的に疾患のおそれがある人のデータです。ここが風上で、ここさえ押さえれば風下まで一気に押さえられる構造になっています。

当社がビッグデータ解析の実績をつくって保険組合を創設すれば、病院を買収し、製薬メーカーなどを傘下に収めることも可能です。つまり世界的な医療コングロマリットを作ることができる。ここで大事なのは、海外にも病院を持つこと。先述の通り、国内の医療と海外の医療の間にはリーガルの壁があります。他の先進国では合法なのに日本では非合法である薬や治療法が数多くある。このギャップは日本の厚生労働省が新しい医療を認めるまでに、平均で約8年もかかるために発生しています。日本の医療は、常に世界から8年遅れているとも言えます。

――御社はそのギャップを埋めるためにデータ解析事業に力を入れ始めたのですね。

江口:その通りです。より多くのデータを集めるために、店舗数を増やしていく。そして集まったビッグデータを解析して、どんな生活習慣が病気の原因となりやすいのかを明らかにしていく。そうすることで、当社は未病のプラットフォームを築いていくことができます。

――江口さんにお話をうかがうまで、リラクゼーションの店舗事業が医療革命につながるとは想像をしたこともありませんでした。

江口:これが普通のIT企業だと大ぼら吹きになってしまいますが、うちは変わったIT企業なので(笑)。起業から17年間、地に足をつけて店舗経営をしてきたことが今につながっていると思います。品質が業界ナンバーワンと認められるようなった今、ようやくデータ解析の事業を本格化させるところまで来ました。

――最初にこのビジネスモデルを思いついてから、長かったですね。

江口:実は焦っています。もう44歳ですから。60歳まで働くとすると、自分の思い描いた世界をあと15年くらいで体現しないといけない。最終的には、トヨタ自動車の売り上げを超えて、子どもの頃に夢見ていた宇宙に飛び出してみたいとも思っています。宇宙空間に製薬工場をつくって、そこで難病の子どもを救うために新薬を開発するんです。その日が来るかどうかは分かりませんよ。でもベンチャーってそういうものじゃないですか。大風呂敷が大事なので(笑)。

<プロフィール>
江口康二(えぐち・こうじ)
1973年東京都生まれ。1996年東海大学海洋学部海洋資源学科卒業後、中古車販売のジャック(現カーチス)に入社。同社インターネット事業部の部長に就任後、企画提案した独自のインターネットオークションシステムで「日経優秀製品・サ-ビス賞」を受賞する。2000年に株式会社リラクを設立。2017年1月、株式会社メディロムに社名変更し、データ解析事業を強化。ライフログ解析により、生活習慣病の撲滅に挑む。会社のトライアスロン部に自らも参加するスポーツマン。
●メディロム

<クレジット>
取材・文/香川誠
撮影/横田達也