大和新さん(クラシコ株式会社代表取締役社長)

お気づきでしょうか? 最近、医療系ドラマに出てくるドクターやナースの白衣がかっこよくなっていることを……。おしゃれとは結びつきにくい白衣へのイメージを変えようと、「かっこいい白衣」を作り続ける白衣ブランドのクラシコ。アパレル業界に、医療業界に、新風を吹かせるクラシコ創業社長の大和新(おおわ・あらた)さんに、ブランド誕生秘話を尋ねました。

■全国の医師が「おしゃれ 白衣」で検索していた

──人気ドラマやテレビCMの衣装として起用されるなど、クラシコの白衣はこれまでにないスタイリッシュなデザインで注目されています。白衣にファッション性を持たせるという着想はどこから得られたのでしょう?

大和社長(以下敬称略):10年ちょっと前に、中学時代の同級生と飲み会を開く機会がありました。その中に医師になった友人がいて、彼が話の流れの中でこうこぼしたんです。「毎朝、髪形も服もバッチリ決めて家を出るのに、病院のロッカーを開けてペラペラの白衣を羽織った瞬間にテンションが下がる。かっこいい白衣があったら自分は欲しいし、周りの医師も絶対に欲しがるよ」と。

当時の僕はウェブサービスを提供する会社で営業として働いていたので、アパレルや医療の業界に伝手があったわけでもありません。彼も僕に何かを期待して言ったわけではないのですが、白衣がかっこいいかどうかなんて考えたこともなかった僕は、その話を新鮮に面白く聞いていました。

──飲みの席で盛り上がることはよくある話ですが、多くの人は翌日になると忘れてしまったり、興奮が冷めたりすると思います。そうならなかったのはなぜですか?

大和:飲み会の帰り道に、ネットで白衣のことを少し調べてみたんです。すると、本気で白衣を売ろうとしているところがなかった。ネットショップの画像は肖像権の関係でモデルさんの顔に目線が入っていたり、「パンツはセットではありません」といった余計な注意書きがあったり、とにかく雑な作りが目立ちました。

じゃあかっこいい白衣はどこにあるんだろう?と思って、今度は「おしゃれ 白衣」、「かっこいい 白衣」といったワードで検索をしてみました。

すると一番上に出てきたのが「かっこいい白衣ってどこで売ってるの?」というようなタイトルの、「2ちゃんねる」のスレッドでした。白衣に不満を持つお医者さんも、興味本位で調べただけの僕も、行き着く先が同じだったというわけです。

さらに海外のアマゾンも調べてみましたが、日本と同じようなものしか売っていなかった。日本だけでなく海外のニーズも掘り起こせばものすごいことになるぞ、と気づいてしまったんです。酔っ払いながら(笑)。

■戦友となるデザイナーは、高校時代の後ろの席にいた

──その気づきは大きかったと思いますが、実際に行動する人は限られます。当時大和さんは会社員でしたが、もともと起業志向があったのですか?


大和:漠然とですが、いつか会社をやりたいな、とは思っていました。学生時代に、ゴミになる家具をもらってリメイクして販売していたことがあったので、価値を高めてそれを買ってもらうという、ものづくりの楽しさのようなものは知っていました。

──具体的な動きとして、最初は何から始めましたか?

大和:白衣の話をしてくれた友人に頼んで、彼の勤める東北の病院で30人くらいの医師にアンケートを取ってもらいました。それとは別に、東京の医師にも何人かヒアリングしています。するとみんながみんな、今の白衣に不満があるというのです。

一般的な白衣は一着2、3千円程度のものですが、「いい白衣なら2万円くらいは出す」という声が多くあり、中には10万円出す(!)という人もいました。その段階で自分の仮説に確信が持てるようになり、「これは自分がやるべきだ」と思いました。

──そこから一緒に動く仲間を探すのも大変だったと思いますが、業界に伝手がないなかどうやって?

大和:たまたま高校時代に僕の後ろの席に座っていたクラスメートが、銀座にあるオーダースーツの有名な工房で職人として働いていたんです。スーツの技術を駆使して、仕立てが良くて動きやすい白衣を作ったら面白いんじゃないか、という話をしたら彼も乗ってきました。

そのクラスメートが、クラシコのデザイナーでもある大豆生田(おおまめうだ)(伸夫取締役)なのですが、僕が連絡を取る前から、彼の会社には医師のお客さまから「白衣を作ってほしい」というオーダーが稀にあったそうです。つまり、高級白衣というジャンルは昔から存在していたわけです。それこそアルマーニに特注の白衣を作ってもらっているお医者さんもいるくらい。

クラシコの白衣は、生地の上質感、縫製の美しさ、おしゃれな裏地など細部まで徹底的に作り込み、高い品質を追求

──デザイナーが見つかって、いよいよモノづくりが始まる段階。そのタイミングで独立されたのですか?

大和:いいえ。しばらくは会社に勤めながら個人事業としてやっていました。というのも、当時は僕も大豆生田も、給料が高くないのに毎日飲んでいたのでお金を持っていなかったんです。二人で白衣をやろうってなった時に、出せるお金はそれぞれ2万5千円が限界。二人で合わせて5万円(笑)。会社を辞めたら生活ができなくなるので、最初は個人事業主としてできる範囲のことから始めました。

■白衣の重みでカーテンレールが折れ曲がった時、独立を決めた

──白衣を作ってくれる工場を探すのも大変だったのでは?

大和:会社でもなく、実績もお金もない。そのうえ大豆生田の要求は高い。知人の紹介だけでなく、電話帳でもしらみつぶしに工場を当たっていきましたが、ことごとく断られました。それでも福島県相馬市にあった家族経営の小さな会社が、僕たちのやろうとしていることに興味を持ってくれて、「30着の注文を集めてくれれば後払いでいいよ」と受けてくれたんです。

──30着の注文は集まりましたか?

大和:実は、初月は注文が30件に達せず、工場では製造できませんでした。でも実際に注文が入ってきているので、大豆生田が自分の親戚でミシンを使える人を集めて、何とか納期に間に合わせました。その後、2か月目からは30着以上の注文が集まり、工場で作ってもらえるようになりました。

──個人事業期間はどのくらい続きましたか?


大和:10か月ほどです。その頃になると、個人事業の収入がサラリーマンの給料を超えて、新たに投資もできるような状態でした。生活面での目処がついた、というのが独立の理由の一つですが、それ以外に独立せざるを得なくなった、という事情もあります。

当時僕は、カスタマーサポート、経理、ウェブの更新といった作業を、仕事から帰ってきて夜中に一人で行っていました。経理もホームページ作成も素人ですけど、誰かに頼むようなお金もなかったので自分で本を読んで勉強しました。

大豆生田も、会社が終わってから白衣のデザインや工場への発注をしていました。土日に二人で梱包や発送の作業をするのも大変でした。当時は事務所を借りておらず、工場から送られてきた白衣は大豆生田のアパートのクローゼットに保管していましたが、毎月の注文数が倍々で増えていくとそこにも入らなくなり、カーテンレールにかけ始めました。

すると白衣の重みでレールが折れ曲がって、「これはもう無理でしょ」と(笑)。そこで正式に独立を決めました。

(つづく)

<プロフィール>
大和新(おおわ・あらた)
1980年、栃木県生まれ。2003年、立命館大学経営学部卒業。IT関連企業の営業や事業開発を経て、2008年3月、高校時代の同級生でオーダースーツ職人の大豆生田伸夫とともにクラシコを創業。「かっこいい白衣」づくりを開始する。同年12月に会社設立。当初30着だった月間販売量は、現在約6,000着にまで伸びている。2017年、開発した聴診器「U scope」が国際的にも権威のあるドイツのデザイン賞「iFデザインアワード2017」で最高位の金賞「iFゴールドアワード2017」を、同じくドイツの「レッドドット・デザイン賞」で「ベスト・オブ・ザ・ベスト」を受賞した。
●クラシコ

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/香川誠
撮影/横田達也