写真左:岡部祐介(ライフネット生命保険)、右:長屋宏和さん(レーシングドライバー、車いすファッションブランド「ピロレーシング」代表)

車いすレーサーとして、ファッションデザイナーとして活躍する長屋宏和さんと、ライフネット生命のデフ(ろう者)アスリート社員・岡部祐介による対談。手話対談でありながらも二人の話は大盛り上がり。実は長屋さん、以前会社にろう者の方がいたので、手話はできないものの口の動きでおおよそのコミュニケーションができるそうです。対談後編では、異なる障がいのある二人の目に映る社会についても話が及びました。
(前編はこちら)

■まわりの人の意見を聞いて、相手の立場で考えられるようになった

岡部:個人的な質問ですが、今日は長屋さんの奥さんとの馴れ初めについても聞きたいと思っていました。

長屋宏和さん(以下、長屋):僕が事故直後にリハビリをしていた施設に、妻がたまたま研修に来て知り合いました。僕は転院する前に文字を書く練習をして、その時に手紙を渡しました。「俺がいなくなったら寂しくなるだろうけどがんばって」と、ものすごく上から目線で(笑)。それから時々メールするくらいの関係になり、その数年後に一度付き合ったんです。でも茨城と東京で距離が離れていたこともあって、寂しくなった僕はメールばかりしてしまった。それが原因で、「重い」と言われて3か月で別れました。

そこから数年間、連絡を取っていなかったけれど、東日本大震災の時に「大丈夫かな」と思ってメールしてみたんです。そしてまた会う約束をして、今度は結婚前提で付き合ってほしいと言いました。彼女からの返事は半年待たされたけど、今度はメールをしたくても、しないように我慢しました。まわりから「今はまだメールをするな」と止められていたこともあります(笑)。

長屋宏和さん(レーシングドライバー、車いすファッションブランド「ピロレーシング」代表)

岡部:ご著書の『それでも僕はあきらめない』のタイトルの通りですね(笑)。お二人の運命的な出会いも素敵ですが、彼女を想って半年待てたことも素敵です。

長屋:相手の気持ちを考えることができたのは、まわりの人のおかげでした。

岡部:僕も、陸上しか頭になくなるくらい集中してしまうタイプなので、何にでも集中してアプローチしてしまうのは、少し気持ちがわかる気がします。まわりの意見を知ることも大切ですよね。長屋さんは、ご自身の活動をどのように広げてきましたか?

長屋:僕はブログがまだなかった20年くらい前から、自分でホームページを作るなどインターネットで発信をしています。インターネットの世界では、耳が聞こえても聞こえなくても関係ないので、岡部さんの活動も多方面に広げられると思いますよ。

岡部:僕は手話が母語なので、日本語の文章を書くのは苦手で……。文章を書くのに、少し抵抗があるんですよね。

長屋:フェイスブックを拝見しましたけど、とても良かったですよ。僕も文字を間違えたりもしますけど、文章は細かい技術より、気持ちで書くことのほうが大事ですから。

岡部:そう言っていただいて、勇気が湧いてきました!

■「ろう者のオリンピック」デフリンピックを広めたい

長屋:岡部さんはいつから陸上をされていますか?

岡部:僕は生まれつき耳が聞こえなくて、飛行機へ乗った時にエンジン音をやっと認識できるくらいですが、中1までは健聴者と同じ学校に通っていました。中2からろう学校に通うようになって、その時に陸上を始めました。

長屋:「ろう者のオリンピック」と呼ばれるデフリンピックにも出場されているんですね。

岡部:2013年のブルガリア大会、2017年のトルコ大会にも参加しましたが、今回は過去2回よりもいい成績を収めたいですね。前回のリレーでは5位に終わったので、「このままでは終われない」という気持ちです。

400メートルを全力で駆け抜ける岡部(岡部祐介Facebookより)

長屋:世界のトップを狙うのはすごく大変で、高い壁もある。でも壁があるからがんばれますよね。

岡部:そうですね。デフリンピック自体がまだまだあまり知られていないので、オリンピック、パラリンピックのように多くの人に知ってもらいたいという目標もあります。

岡部祐介(ライフネット生命保険)

長屋:岡部さんのようなデフアスリートの方は、聞こえないことによる不安もあると思います。練習などで困ることはありませんか?

岡部:僕は普段、耳が聞こえる人と練習をしていますが、コミュニケーションに苦労することがあります。皆さん、なにげない会話の中で新しい発見をすることもあると思いますが、僕の耳には入ってこない。後から「今どんな話を?」と聞いても、みなさんは意識していないことなので「何か話してたっけ?」「今忙しいからゴメンね」となってしまって、なかなかコミュニケーションが取れないことがあります。ほかにも、耳が聞こえる選手は互いに走っている時の足音をチェックしながら「今日はいい音じゃない」と話しているけれど、僕にはわからない。それでも聞こえる人たちに交ざって練習をしていると、得るものは多いと感じています。

長屋:厳しい環境に身を置くことで目標に近づけると思います。2021年の大会は僕も注目してますね。

■「すみませんの嵐」は「ありがとう」で止む

岡部:長屋さんが、奥さんやヘルパーさんなど、近くの人に頼る時のコミュニケーションで気をつけていることはありますか?

長屋:僕は一人では生活できません。電車に乗るのも駅員さんのお世話になる。街に出れば急な坂に行き当たって、誰かの助けが必要なこともある。カフェで注文した商品を店員さんにテーブルまで持ってきてもらうのもそうですね。その時にやっぱり、感謝の気持ちを伝えることが大事だと思います。車いす生活が始まったばかりの頃、手助けをしてくれた人に「すみません」と言った時に、「なんで自分が謝るんだろう?」と、ふと思ったんです。そこは「ありがとう」という場面なのに、つい「すみません」と。

岡部:つい言ってしまうんですよね。僕も謝る場面でない時に「すみません」と言うと、耳が聞こえない責任を自分が負っているような気になってしまう。陸上の練習中も、通訳をしてくれる方に「すみません、今コーチは何の話をしていましたか?」と聞くと、「すみません、忘れていて」と返されて、「すみません」の嵐になる。

長屋:「すみません」と「ありがとう」は伝わり方が違う。お互いが笑顔になるのは「ありがとう」ですよね。僕は感謝の気持ちを後から振り返る意味で、3日おきくらいにブログに「ありがとう」と書いています。感謝の気持ちがその場で過ぎてしまうのはもったいないと思って。

岡部:たしかに普段の生活の中で、そういう出来事は通り過ぎてしまいますよね。僕も「すみません」と言っていることのほうが多いかもしれない。感謝の気持ちを忘れないようにしようと思います。そのほうが相手もうれしくなるだろうし。

「ありがとう」の手話をする岡部

■困った時に助けてくれる人は多い。その人たちのことを見ていきたい

岡部:チェアウォーカーになって、世の中の偏見などに気づくことはありますか?

長屋:事故前は健常者だった僕自身、「車いすは高齢者や一時的な怪我人が乗るもの」という偏見を持っていました。街で今の僕みたいな人を見かけることもありませんでした。だから最初は、車いすに乗るということに抵抗がありました。

岡部:車いすへの抵抗感は、いつどのようになくなっていったのですか?

長屋:最初にいた病院では車いすが大きくて、重たいものでした。それはまさに、僕がもともと持っていた車いすへのイメージ通り。でも転院先の病院の車いすは、シンプルでカッコよくて、それを見た瞬間に「これはマシーンだ」と思ったんです。そこから車いすに対する見方が変わりました。

岡部:車いすで街に出て、気づいたことはありますか?

長屋:先ほど(前編)も言いましたが、健常者の頃、世間の人たちは冷たいと思っていました。でも実際には、スロープで「車いすを押しましょうか」と言ってくれる方や、ちょっとした段差で苦労している時に集まってくれる方たちがたくさんいます。エレベーターから出たところで倒れてしまって「すみません、起こしてくれませんか?」とお願いした時、そっけない態度で無視されたことだってありました。さすがにそれはショックを受けましたが、その時もすぐに別の人が助けてくれた。それ以来、僕は偏見を持つことをやめました。世の中には助けてくれる人とそうでない人がいるから、助けてくれる人のことを意識するようにしよう、と。

岡部:僕も無視されてしまう経験はたくさんあります。僕はショックを受けたままになってしまうけど……。たしかに、落ち込んでも時間がもったいないですね。サッと切り替えて、いい人を見る、というのも大事だと思います。今は昔よりバリアフリーが進んで、優しい人も増えてきたように思いますし。長屋さんは街のバリアフリーや街ゆく人たちの変化についてどう思いますか?

長屋:東京オリンピック・パラリンピックが近づいて、いい方向に街が変わってきていると思います。でも道路や設備がよくなることよりも、人の気持ちが大切。街の中で、僕たち障がい者はまだまだ特別感があるので、皆さんがどうやって接したらいのかわからないことが多いと思います。だからこそ、障がい者がどんどん外に出ていくべきです。たとえば、岡部さんがカフェに行くことにも、大きな意味があります。また同じように耳の聞こえない方が同じお店に来た時に、店員さんは同じように対応ができるわけですから。

岡部:そう考えると、明るい気持ちで外に出られそうです。

長屋:街に明るい気持ちの人が増えると、健常者にも障がい者にもいい社会になっていくと思います。 (敬称略)

<プロフィール>
長屋宏和(ながや・ひろかず)
1979年生まれ、東京都渋谷区出身。レーシングドライバー、車いすファッションブランド「piroracing(ピロレーシング)」代表。14歳からカートレースを始め、2002年に全日本F3選手権に参戦。同年10月、F1日本グランプリの前座レースの事故で頚椎損傷C6の怪我を負い、車いす生活となる。その後、アメリカと日本でのリハビリ生活を経て、2004年12月にカートレース復帰。世界で初めて、指が使えないドライバーとしてカートレースを完走する。2013年、人間力大賞グランプリ受賞、内閣総理大臣奨励賞受賞。

岡部祐介(おかべ・ゆうすけ)
1987年生まれ、秋田県由利本荘市出身。陸上競技(400m)でデフリンピック2回出場(日本代表)経験あり。聴覚障がい者向けの唯一の国立大学、筑波技術大学卒業後、大手電機メーカー勤務を経て2016年5月よりライフネット生命保険株式会社に勤務。2021年のデフリンピックでのメダル獲得を目指して日々練習に励みながら、聴覚障がい者に対する理解を促すための講演や取材対応など幅広い活動を行っている。

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/香川誠
撮影/村上悦子