株式会社ペイシェントフッド代表 宿野部武志さん

株式会社ペイシェントフッド代表 宿野部武志さん

透析患者としての自らの経験を踏まえて社会に貢献したい。芽生えてきた思いは、腎臓疾患や人工透析に関するさまざまなサービスを提供するペイシェントフッドへの起業へと宿野部武志さんを駆り立てます。ライフネット生命で開かれた勉強会でのお話を続けましょう。(前編はこちら)

■自分が本当にやりたいことをやろう

ソニーの人事グループに所属し、メンタルヘルスや病気に関する相談を数多く受けていた宿野部さん。面接者といっしょに泣いてしまう場面も多々あったといいます。突然、病気にかかり、亡くなってしまう方、家と人工透析の往復で精神的に落ち込む人。さまざまな人生模様に接するうちに、宿野部さんは自分は何をすることで社会に役に立てるのかを真剣に考えるようになりました。

「私は3才のときに腎臓の病気にかかり、以来、ずっと病気とつきあってきました。この経験を生かして、何か福祉の仕事ができるんじゃないかと思ったんですね。35、6才のときに、社会福祉士という国家資格をとって、病気の人の相談を受ける仕事をしたいという具体的な目標が見えてきましたが、親に猛反対されました。社会福祉士になると言ったら泣かれたんです。親からすれば、病気の息子が会社に入って働いて安心できていたわけですからね。親を心配させて泣かせるのはさずがにまずいと、いったん思いとどまりました」

しかし、その2年後に宿野部さんの病状が一変します。副甲状腺機能亢進症という症状により、全身麻酔の手術を受けることとなったのです。この手術を機に、宿野部さんの決意は固まりました。自分が本当にやりたいこと、やるべきことをやろう。宿野部さんの決意を両親も受け入れ、会社の上司や仲間からも理解を得て、38才でソニーを退職。ソーシャルワーカーとして働くために、社会福祉士の資格取得を目指して専門学校へと通い始めます。

■原点に立ち帰り、患者の新しいあり方を創造する株式会社を設立

専門学校に1年間通学した翌年、晴れて試験に合格した宿野部さんは医療ソーシャルワーカーの仕事を探しますが、なかなか採用には至りません。悩んだ結果、練馬区の社会福祉協議会のソーシャルワーカーとして働き始めます。

「地域の駆け込み寺」と呼ばれ、病気、介護など多種多様な相談が飛び込む毎日。得難い経験を重ねられる環境ではあったものの、ハードワークによりドクターストップがかかったため、宿野部さんは退職に踏み切ります。次にどこに行けばいいのか、何をすればいいのか。模索する宿野部さんは自分の原点に立ち帰りました。

「やはり私がやるべきことは、腎臓病と透析で悩み苦しんでいる人を助けること。それ以外にないと思い、起業したのがペイシェントフッドです。単純に思いだけで突っ走りました(笑)。よく『NPOにしなかったのはなぜですか』と聞かれるんですが、私としては、株式会社にすることで、患者の自立やアグレッシブなイメージを作りたかった。『人のやらないことをやれ』というソニーでの教えも頭の中にありましたね」

治療を受ける患者はどうしても受け身の存在におさまりがちです。しかし、「医療」における当事者として、患者が自分の治療に積極的に参加するようになれば、多くの問題を抱えた医療業界に貢献できるはず。その意識が結果的には患者の生き方も前向きにするに違いありません。ペイシェントフッドに貫かれているのは、患者の新しいあり方を創造したいという宿野部さんの志。14年間勤務していたソニーで育まれたチャレンジ精神が頭をもたげ、志を掲げる宿野部さんの背中を力強く押した。そんな情景が浮かびます。

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