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須賀:自然の中にいると、子どもや嫁さんの表情がすごく柔らかいんですよ。その顔を見ていると自分も幸せな気持ちになる。そのときに、「移住」というか「二拠点」のようなキーワードが頭に浮かんできました。ちょうど、自分自身が一般社団法人移住・交流推進機構という「移住と交流」のビジネスを官民で作り出すプロジェクトの理事を務めていたこともあり、「移住」という暮らし方があることを情報として知っていたのも大きいですね。

──最初から、福岡が移住の候補地だったんですか?

須賀:はじめは、安曇野や松本、山梨の富士五湖だったら自然に近い暮らしができるかもしれないと考えていましたが、あるとき家族旅行で福岡に行ったんです。旅行中、市内中心部にある百貨店で開催されていた「糸島くらし展」に足を運んでみました。本当にたまたまだったんですが、糸島の暮らしを発信するその「糸島くらし展」で、炙り鯖寿司を出すカフェのご主人である池戸伸輔さんと出会いました。池戸さんに何気なくぽろっと「移住も含めて、いまいろいろ考えています」とこぼしたら、「糸島は住むには最高の場所」「明日見に行ったらよか」と言われた。お店のチラシもいただいたので、とにかく見てみようと、翌日糸島に家族で見に行きました。

──そこで、糸島が気に入られた?

須賀:ええ。中心地の天神から電車で30分ほどの距離に、いきなり海と山が広がっていることにすごく衝撃を受けました。また、糸島へ向かう電車の中で子どもが泣き出したときの周囲の反応も印象的でした。東京だと「うるさいな」という視線を感じることもありますよね。「早く泣き止ませろ」みたいな。でも、福岡はそうじゃなかった。大人たちが子どもの泣いている姿を見て微笑んでいるんですよ。この余裕はなんだろうと驚きました。

移住先のオフィス前に広がる青い海

移住先のオフィス前に広がる青い海

でも、福岡は遠いし、移住はやはり無理かなと思っていました。東京に戻ってから嫁さんといろいろ調べてみると、東京から福岡空港までは飛行機で約1時間。しかもアジアに近くて、九州経済の中心です。これからの可能性も含めて考えると、いままで見てきた山梨や長野よりもいいのではないかと思い、2か月後にもう一度行ってみたんですね。そこで糸島の海を見て、よし、ここに住もうと移住を決意しました。

(後編に続く)

<プロフィール>
須賀大介(すが・だいすけ)
1976年生まれ。茨城県水戸市出身。明治大学で税務・会計を学んだ後、システムインテグレーターに入社し、EC・Eラーニング構築のSEとして勤務した後、キノトロープでテクニカルディレクターを経験。2002年に、システムとデザインで企業を支援するスマートデザインアソシエーションを創業する。会社を継続しながら、2012年に福岡県福岡市に移住。自らの移住体験をもとに福岡への移住希望者をサポートする「福岡移住計画」を立ち上げ、地方での働き方、本質的な生き方に関する情報を発信している。
福岡移住計画

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン編集部
文/三田村蕗子