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自然豊かな環境で家族と過ごす時間を大切にしたい。そんな思いから、福岡移住を決意した須賀大介さん。福岡で暮らしながら、東京で起業した会社、スマートデザインアソシエーションの経営を継続するという選択は、決して平坦な道のりではありませんでした。

須賀さんはいかにして課題を解決し、やがて移住希望者をサポートする「福岡移住計画」の立ち上げに至ったのでしょうか。お話が続きます。
(前編はこちら)

■社員全員が驚いた、社長の移住宣言

──福岡に移住することを社員に伝えたときの反応はいかがでしたか?

須賀:社員にも生活があり家族がいます。すべてを畳んで福岡に来ることはできません。じゃあ、会社をそのまま続けるにはどうしたらいいか、とにかく考えて、僕がいなくても経営が継続できる仕組みを社員の前で発表しました。「僕は福岡に移住するけれど、長くみんなと一緒に働いていけるような会社を作りたい」と伝えたわけですが、みな「社長は、何を言っているのか」という反応でした。

当時、農業系の事業も立ち上げていたので、社員の中には茨城と東京を行き来する社員もいましたが、まさか社長が一人で移住したいと言い出すとは誰も想像していなくて、衝撃だったようです。

──そこからどのように説得されたんでしょう?

須賀:みんなと何度もキャッチボールをし、半年かけて、会社運営を継続させる仕組みを練り上げていきました。それまでは営業が仕事を取ってきてそれを制作スタッフに渡すというやり方でしたが、社員みんなが自分で仕事を作り出す方向に変えたんです。そして、僕の給料はスタッフより下げて、会計もすべてオープンにしました。社長の給料や経費を全部オープンにして、自分で仕事を作って利益が出たらその半分を社員に渡す方式です。社員でその利益を賞与として分担してもいいし、何か違うプロダクトを作るときに投資してもいい。

こうした仕組みを作る過程で、35人いた社員は半分に減ってしまいましたが、残ったメンバーでなんとかやっていこうと思ってくれて、僕は2012年の8月末から移住生活をスタートすることができました。

■移住先の苦労から生まれた絆と新しい仕事

──福岡に来て順調に仕事は進んだのですか?

須賀:苦労しましたね。正直に言うと、福岡に来たらこれまでの実績を元にどんどん仕事をとれるはずだという自信がありましたが、半年後に、それは大きな勘違いだと気づきました。福岡の人はオープンで、一緒に酒を飲んでくれたりしますが、地元へのプライドを持って仕事をしているので、仕事の受注はそう簡単には行きません。具体的に言うと、営業に行くと過去の制作事例だけではなく、福岡のために何ができるかを必ず考えてプレゼンしてほしいと言われる。「その土地のため」という視点は、東京でやっていた頃にはまったくなかったものです。

──そんな苦境をどのように切り抜いてこられたのでしょうか。何か転換点がありましたか?

須賀:地域を含めて自分に何ができるのかをとことん追求していく中で、次第に軌道に乗り始めましたが、イベントで出会った糸島のカフェ池戸さんや福岡R不動産の片岡さんといった方々に本当に親身になって支えてもらいました。移住してから1年くらい経ったときに、しんどいながらもなんとかやってこられた経験をベースに、今度は自分が移住希望者をサポートする活動をしたいと考えるようになったんです。

──それが「福岡移住計画」?

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