2016年6月12日、アメリカ、フロリダ州オーランドのナイトクラブで男が銃を乱射し、50人が死亡し53人が負傷するという悲しい事件が起きました。犯人はイスラム教との関連も指摘されていましたが、宗教的な理由ではなく、単なるセクシャルマイノリティーに対する暴力行為である、という見方もあるようです。
前回のブログ(第4話)で書いた、フランス人のイスラム教徒の親友宅に泊まらせてもらったときのことです。日曜の朝、親友夫婦とソファーに座ってテレビを見ていると、この事件のニュースが流れてきました。ちょっと意地悪な気持ちが芽生え、“イスラム教って同性愛が禁止されてるんだよね?この事件、どう思う?”と話題を振ってみたところ、親友の奥さんが
「確かに、教義の上では、イスラム教徒は同性愛を禁止されているよ。けどね、だからと言って、イスラム教徒じゃないゲイやレズビアンを攻撃していい、という教えはないし、そこは関知しなくていい。私たち(注:イスラム教徒)はほっとけばいいんだよ」
と言っていました。すでに、以前ほどフランス語を理解できなくなっているぼくに、「ほっとけばいい」の部分は”it’s not our business”と英語で言い換えてくれました。この”it’s not our business”というフレーズ、ネガティブに聞こえるひともいるかもしれませんが、ぼくには、いい意味で肩の力が抜けたような、ポジティブな響きがありました。
言われてみれば、ぼく自身、異性愛であろうが同性愛であろうが、他人の恋愛事情にはいずれにしろ興味ないし、“it’s not my business”という感覚です。親しい友達には、異性愛の場合も、同性愛の場合も、真剣に愛する人がいるなら、その人と幸せに暮らしてほしいな、と思うだけで、ことさら“同性愛”だからと言って、何か特別な意見があるわけではありません(幸せに暮らす礎となる公的保障のために、日本政府には同性婚を認めてほしい、とは思いますが)。
と、わかったようなことを書きましたが、こんな風に自分の考えを整理できたのは、以下のブログ記事にばったり出会ったからでした。
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▼昨今のLGBTなんちゃらで思うこと
“理解とか共感よりも(みんながみんなできないのもわかる)、「事実を知ること」が必要で、その上で「嫌い」「苦手」って思うのは自由。
でもその「嫌い」「苦手」っていう感情は誰かを攻撃したり制限したりしていい理由には全然ならなくて、じゃあどうしたらいいかって言うと、関わらなければいい。”
(ブログより引用)
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この“関わらなければいい”というフレーズを見たときに、フランスでの親友との会話と”it’s not our business”というフレーズが頭の中にブワッと共起したのでした。性的指向も、政治的信条も、信じる宗教も、猫派/犬派論争も、きのこの山/たけのこの里論争も、好きなサッカーチームも、”it’s not my business(自分には関係ない)”、どれも他人を攻撃していい理由にはなりませんよね。
セクシャルマイノリティーの問題に関わらず、ふっと力を抜いて“it’s not my business(自分には関係ない)”とポジティブに言えそうなのは、ロンドンにいるからでしょうか?