植松侑子さん(舞台芸術制作者、NPO法人Explat理事長)

植松侑子さん(舞台芸術制作者、NPO法人Explat理事長)

「好きなことをやっているならいいじゃない」。薄給・激務の下積み時代に、何度もこの言葉をかけられたという舞台芸術制作者の植松侑子さん。現在はフリーランスの制作者として、そして業界で働く人たちの労働環境整備のための活動などを行うNPO法人の代表として活動する彼女の半生は、挫折の連続でした。

■月給8万円の下積み時代

──植松さんはなぜ、舞台関係の仕事をしようと思ったのですか?

植松:もともとダンスをしていた私は、愛媛から上京して大学の舞踊科に入りましたが、自分の実力ではダンサーとしては通用しないことが分かっていて、ダンサー以外でダンスに関わる道を探していました。その頃、私の興味は舞台の裏側に移っていて、制作の仕事をしたいなと思うようになっていたんです。

──それはどんなお仕事ですか?

植松:一言でいえば舞台の公演を作っていく仕事です。企画を立ち上げるところから始まり、予算の作成、キャストやスタッフの手配、会場の調整、広報、公演当日の運営など、裏方の作業全般を統括します。

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──縁の下の力持ちのような仕事ですね。大学卒業後は、すぐに制作の仕事に就けたのですか?

植松:私は幸い、大学4年時に学生アシスタントとしていろいろな団体を出入りしていたことで、大学を卒業した2004年にとあるダンスカンパニーに制作者として入ることができました。でも当時は多くの劇団、ダンスカンパニーがそうでしたが、そこは舞台が好きな個人の集合体で、法人化しているわけでもない。労働環境は全く整備されておらず、公演が近づくと労働基準法が定める上限の週40時間の倍は働いていました。

──給料は出ていましたか?

植松:月に8万円もらっていましたが、それは時給でも成果給でもなく、どうやって決まったのか分からない金額でしたね。でも周囲にはノーギャラの人もいたので、「これでもまだマシ……?」と思うこともありました。当然このお金では生活できないので、私は親から仕送りをもらっていました。大学を卒業して働いてはいるけれど、それが社会人といえるのかどうか。自分でも自分の立場が説明できませんでした。

──他のメンバーはどうでしたか?

植松:最初はみんながんばるんですが、半年くらいすると「これでは食べていけない」ということに気づいて、仕送りがない人や蓄えがない人は次々に辞めていきました。とはいえ給料が安くてもやりたい人はたくさんいるので、常に人が入れ替わっていく状態でした。そんな様子を見て「これを職業にするのはムリだ」と思って、結局、私も1年ほどで辞めてしまいました。

■インドで感じた無力感が、舞台芸術の世界に戻るきっかけ

──その後、一旦就職されたようですね。

植松:子ども向けの英会話教材の会社で働き始めましました。特に英会話に興味があったわけではありません。私は舞台の世界しか知らず、自分が何を生業にしていいのかが分からなかったので、とりあえず就職雑誌で見つけた先に応募してみたらたまたま採用してもらえただけです。

でもここでの経験はとても大きかったと思います。成果に応じたインセンティブがあったので、がんばればそれだけの対価がもらえるということを初めて知ったのです。お金が貯まっていくのが楽しくて、自分はまだまだいける、と思っちゃいましたね。失った自信を取り戻しました。

──うまくいっていた仕事を辞めてしまったのはなぜですか?

植松:自分が50代、60代になってもこの仕事を続けていけるのか考えた時に、それは無理だろうな、と。その頃は「みんなどうやって自分の生涯の仕事を決めているんだろう」と不思議でなりませんでした。結局私という人間は、愛媛と東京、舞台と教材販売しか世界を知らない。そこでもっと広い世界が見たくて海外放浪の旅に出ることにしました。幸い、ある程度の蓄えができていたこともありました。

──最初はカナダにワーキングホリデーで行かれて、その後は中南米のほか、インドにも渡ったそうですね。

植松:はい。インドではマザーテレサが開いた「死を待つ人の家」という施設でボランティアとして働いていました。その名の通り、人の死を看取るための場所ですが、ここでの衝撃はあまりにも大きかったですね。施設があるコルカタの街の道路には行き倒れている人が当たり前のようにいて、そういう人たちが次から次に運ばれてきては亡くなっていく。その繰り返しでした。

外国人ボランティアのひとりでしかない私はそれをただ見ていることしかできない。インドの政治や社会を根本から変えるくらいじゃないと、この状況を変えることは不可能ですが、外国人の私には選挙権もない。圧倒的な無力感がありました。

そんな状況なのに、世界各国からきているボランティアスタッフが、施設で笑顔で写真を撮ったりしているのも信じられなくて。「私もみんなも偽善者だ」と落ち込みました。でもそれが人生の大きな転機になりました。

インドで味わった無力感に比べれば、日本で無理だと思っていたことは、絶対に手も足も出ないというほどではない。もし自分ができないことがあっても、それをできる人とつながることができる。そう思って日本に帰って、再び働くことにしたのです。

──舞台の世界に戻ったのも、インドでの絶望感に比べたらできることが多いと気づいたからなんですね。

植松:そうですね。ただ今度は、どうせ業界に戻ってきたのなら、私が辞める原因となった労働環境を改善しないといけないというリベンジ意識が強くありました。帰国後は「フェスティバル/トーキョー」(F/T)という舞台芸術の国際フェスティバルの制作を4年やらせてもらいました。

F/Tの労働環境はしっかりしていたので長く続けることもできましたが、業界全体としては同世代で辞める人もまだまだ多いので、それを何とかしたいという気持ちが強くなったのと、制作者としてどん欲に次のステップへのチャレンジをしたいという気持ちが強くなったことで、2012年にフリーランスの道を選びました。

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■フリーランスにこそ保険は「必要なもの」

──フリーランスになって大変なことはありますか?

植松:自由と引き換えにすべての責任が自分にあり、誰も守ってくれないこと。そして、国民年金と国民健康保険を自分で払っていかないといけないことが大変ですね。それと健康のことをこれまで以上に考えるようになりました。40代前半くらいまでは今と同じペースで走れるかもしれませんが、その先もずっと同じ働き方ができるかは自分でも分かりません。制作というのは、頭も心も気もつかうハードな仕事。

だけど、フリーランスの場合、健康を損ねたら何の保証もないので、すべてがそこで終わってしまいます。私は幸い病気もせずここまで来ているけれど、周りにはメンタル面でリタイアしてしまった人もいて、長く続けるための労働環境がまだ整っていないのが現状です。女性の場合は、妊娠・出産を機に辞めてしまうことも多いです。経験を重ねた人が辞めてしまうのは、業界にとってももったいないことです。

──ライフネット生命には、フリーランスの人にもおすすめしたい、長期間働けなくなった時に給与のように支払われる就業不能保険という商品があります。

植松:そういう保険は私たちにとって「あったほうがいい」というよりも、「必要」な保険です。最近よく、周りの人と2030年の働き方について話しますが、AIとロボットの技術がもっと発展した時代が訪れると、人間の働き方の概念すら変わってくると思います。10人いたら10通りの働き方になるでしょうね。その時に今の法律のままだと、社会の変化に追いつかない。「この人にはこういう保障」といったように、ニーズの細分化が進むと思います。

──昨年、NPO法人Explat (エクスプラット)を立ち上げました。植松さんはそこで、舞台芸術制作者の人材育成や就労支援などに力を入れているようですね。

植松:はい。そこではフリーランスの方だけでなく、雇用されている方、雇用する側の方も含めて支援しています。非正規雇用も多く、同じ人でも組織に入ったりフリーランスになったりと、流動性がとても高い業界なので、就労形態にかかわらずサポートしていきたいと思います。これまで本格的に行われたことのない、業界のあらゆる働き方の人を対象にした舞台制作者の労働環境の実態調査も進めています。

──その活動の最終ゴールは?

植松:個人的に、この業界には未来を創る能力の高い人が多いと思っています。アーティストが作る作品を、行政や企業と協働しながら、観客に届けるための「公演」に具現化していくという作業は誰でもできることではありません。

その人材リソースに他の業界からもアクセスできるようにExplatが仲介役になる。私たちも他の業界から学ぶことが多いので、業界の壁を超えた人材や情報の交流がもっと増えれば、舞台芸術業界が今よりもっと活性化するのではないでしょうか。

そうやって業界の風通しをよくすることで、少しずつ労働環境を整備することができるんじゃないかと思っています。10年前の私なら「こんなことは無理だ」と思っていたことも、今は「信念を持って挑戦すれば、何でもできるんじゃないか」という気持ちです。人生の挫折を、結局は年月をかけてリベンジしているような気がします。

<プロフィール>
植松侑子(うえまつ・ゆうこ)
舞台芸術制作者。1981年愛媛県生まれ。大学在学中より複数のダンス公演に制作アシスタントとして参加。卒業後はダンスカンパニー制作、一般企業での勤務、海外放浪を経て、2008年からフェスティバル/トーキョー制作。12年には1年間韓国・ソウルに留学。現在はフリーランスの舞台芸術制作者・大学院生・NPO法人Explat理事長の3足の草鞋を履く。

<クレジット>
取材・文/香川誠
撮影/村上悦子