写真左:稲場弘樹さん(ゴールドマン・サックス証券株式会社 法務部 シニア・カウンセル ヴァイス・プレジデント)、右:藤田直介さん(同社 法務部長 弁護士 マネージング・ディレクター)

もし部下がLGBTの当事者としたら、上司はどのように対応すればいいのだろう。また、あなたが当事者で上司や職場にカミングアウトをしようと思ったらどうやって伝えたらいいのだろう。これは誰にとっても無縁の問題ではありません。

ゴールドマン・サックス証券の法務部長である藤田直介さんに対して、部下の稲場弘樹さんは当事者であることをカミングアウトしました。部下のカミングアウトに対して藤田さんはどう対応し、当事者の稲場さんはその後、どのように変わっていったのでしょうか。ライフネット生命で社員向けに毎年行われている「ダイバーシティ研修」でお2人にお話を伺いました。

二人のお話しから浮き上がるのは何よりも信頼関係の大切さ。LGBT当事者の人も、そうでない人も、誰もが安心して自らの能力をフルに発揮し活躍できる職場や社会を実現していくために、私たちが何を理解し、どう行動すべきなのかをリアルな「上司と部下のカミングアウトストーリー」が教えてくれます。

■カミングアウトした一番の理由は上司の存在

──稲場さんは2015年5月にカミングアウトされたとのこと。そのときの状況を教えてください。

稲場:私が社会人になったのは1990年代。その時代には職場でゲイだとカミングアウトするなんて考えられないことでした。私よりちょっと上の世代になると、女性と結婚している人も少なくなかったですからね。私が社会人になってからは独身の人も増えてきて、あえて女性と結婚する必要がなくなり、良い時代になったとは思っていましたが、カミングアウトとなると社会人としては自殺行為に等しいことでした。

──稲場さんはゴールドマン・サックスに入社されたのは2002年ですよね。

稲場:社会人としてのスタートは日本の銀行で、2002年にゴールドマン・サックスに転職しました。それから13年たってカミングアウトをした一番の理由は、隣にいる上司の藤田の存在です。当社はもともと積極的にダイバーシティに力を入れていて、LGBTに対しても非常にフレンドリーです。

実は、こういう取り組みはスタートしてすぐに消えていくんじゃないかと、横目で見ていましたが、5年たってもその気配はなく盛んになる一方で、幹部もLGBTに関してはしっかりと教育を受けている。藤田もこの問題に熱心で、会社主催のLGBTの研修会などに参加するたびに「こういう人と会って感銘を受けた」とか、「隣の人がLGBTかもしれないから言動は常に配慮することが必要だ」といつも当時者である私の隣で言っていました(笑)。

自分の部の上司がこんなに気を使ってくれているのに、当事者の私が黙っているままでは申し訳ないと思ったのがカミングアウトの一番の理由です。

藤田:LGBT研修については部門の会議などで共有をしていましたが、身の回りでカミングアウトしている人は誰もいませんでした。ある意味、受け身で研修を受けて、その内容を話していただけともいえますね。当時は、稲場がゲイということも全く知りませんでした。

■話してくれてありがとう

──稲場さんは どんな状況で切り出されたんですか?

稲場:毎月、ゼネラルキャッチアップという1対1で部下から上司に報告する機会があるので、それを活用しようと思いました。キャッチアップの終わりに「ところでもうひとつお話があります」と切り出しました。

藤田:「話がある」と言われたときには、、何を話すつもりなんだろう、会社を辞めるのかなとちらっと思いました(笑)。でも、そうではなかった。「僕はLGBTの当事者です」と言われたんです。

──そのときの藤田さんの率直な感想を聞かせてください。

藤田:一瞬空白がありました。どうレスポンスすればいいのか、頭がぐるぐる回ってしまいまったんです。一番悩んだのはここでどう反応すればいいか、ということ。いろいろな研修を受けてきましたが、カミングアウトされたときにどうするべきかという研修は一度もなかったんです。

ただ、気持ちとしては、私のことを信用していなければ話してくれなかったと思うので本当にうれしかったし、まずは「伝えてくれてありがとう」と返事をしました。カミングアウトをすることは相当勇気がいることだと思いましたから。

稲場:私は藤田を信頼していたので、変なことを言われるとはまったく思っていませんでした。「ありがとう」という言葉をもらってうれしかったですね。自分としても初めてのカミングアウトなので、うまくできてほっとしました。かなり緊張はしていたと思います。やはり初めてのことをするのは勇気がいります。

■顔から霧が晴れた気がした

ゴールドマン・サックスで使用されている、アライであることを示すカード

──そこまで勇気を振り絞ってカミングアウトに至ったのには、何か特別なきっかけでもあったんでしょうか?

稲場:2015年5月はLGBT関連の出来事がたまたま重なった時期でもありました。この月、社内のボランティア活動プログラムのコミュニティ・チームワークス(CTW)で、LGBTの就活生に対するメンタリングプログラムを取り上げることになったんですが、当事者であることを隠しつつメンターをするのは難しいし、メンティ(指導される側)にも失礼だと思ったのがひとつ。

また、親しいフランス人の友人がフランスで同性のパートナーと結婚したのもこの月でした。そして東京地裁の労働部でLGBT研修を実施することが決まり、なぜかその講師の話が私のところにも来たのも同じ時期。

ほかにも2、3件、LGBTがらみのできごとが続いたので、これだけ重なることに運命的なものを感じたんです。もしカミングアウトするなら今月しかないと決意しました。

藤田:そんな事情も知らずカミングアウトを受けたわけですが、これを話すとみな、「それ、本当なの?」と言われる出来事を覚えています。カミングアウトした後、稲場の顔から霧が晴れたような気がしたんですよ。肩の荷が降りたような、そんな印象を受けました。

──「ありがとう」と告げた後、何か稲場さんにかけた言葉はありますか?

藤田:カミングアウトといっても限定的なのか、あるいは全面的なものなのか。自己決定の重要な部分だと思ったので、稲場には「このことを話したのは僕が初めてなのか」「私が誰かに伝えていいのか」と確認をしました。予想外に広がってしまうとバッシングなどがあるかもしれないとも思ったからです。

「今後、どういう風な配慮をしたらいいのか」「問題があるときにはいつでも言ってほしい」「できるだけの支援をするよ」と伝えました。今となって思い返してみれば、我ながらよくできたのかなと思います(笑)。

ダイバーシティ研修の最後に、ライフネット生命保険 社長の岩瀬大輔が、数年がかりで社内有志がLGBTフレンドリーな保険商品の対応について研究し、業界に先駆けて死亡保険の受取人に同性パートナーを指定できるようにした経緯を振り返りながら、会社としてダイバーシティを今後も尊重していく決意を新たにしました

(つづく)

<プロフィール>
藤田直介(ふじた・なおすけ)
早稲田大学法学部卒業、米国ミシガン大学ロースクール法学修士。1987年弁護士登録。国内法律事務所、米国法律事務所を経て、2009年3月よりゴールドマン・サックス証券株式会社法務部長。同社LGBTネットワーク・MDアライ。LGBTとアライのための法律家ネットワーク(LLAN)共同代表

稲場弘樹(いなば・ひろき)
京都大学法学部卒、米国ニューヨーク大学ロースクール法学修士。国内金融機関、外資系金融機関を経て、2002年4月よりゴールドマン・サックス証券株式会社勤務。現在シニアカウンセル、ヴァイスプレジデント。同社LGBTネットワーク共同代表。LLAN・理事。

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/三田村蕗子
撮影/村上悦子