嶋浩一郎さん(博報堂ケトル共同CEO)

女子力、加齢臭、イクメン、美魔女、インスタ映え……。日々生まれる新語の中でも、社会的に広く定着し、今では日常的に耳にするようになった言葉たち。こうした言葉はなぜ生まれ、使われるようになったのか?

博報堂ケトル代表取締役社長・共同CEOである嶋浩一郎さんは、これら「流行語」の一種といえる言葉を「社会記号」と呼び、その誕生から普及に至る過程を著書『欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング』(一橋大学の松井剛教授との共著)で分析しています。

そのメカニズムについて解説していただいた前回に続き、本記事では広告の仕事だけでなく、書店経営からカルチャー誌「ケトル」の編集長まで手がける、嶋さんの企画力の秘密に岩瀬大輔が迫ります。

(前編はこちら:「社会を変える『ことば』はいかにして生まれるのか? 博報堂ケトル・嶋浩一郎さんに聞く」)

■なぜリアル書店では本を買いすぎてしまうのか?

岩瀬:前回は新著(『欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング』)の概要から、イノベーションを生むためにはムダ知識が大切であるということまでうかがいました。本当に膨大なインプットがある嶋さんは、そのエッセンスを『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』という書籍で明かしています。下北沢でB&Bという書店も経営されていますが、どうして嶋さんにとって本屋は重要な存在なのでしょうか?


嶋:本屋って、自分の好奇心を発見するための装置としては今のところネットよりすごいと思うんです。30坪の小さな本屋でも、そこには世界を構成するさまざまなジャンルの本がありますよね。棚を見れば野球の本があり、ガーデニングの本があり、哲学の本も恋愛小説もある。そういう棚をぐるっと見てまわるのに、30坪の本屋だったら5分もかからないじゃないですか。

でも、その5分で得られる情報量はすごいんですよ。ネットで5分だけ自由に調べていいよと言われても、おそらくひとつのことしか詳しくなれないですよね。例えば「マダガスカルのことについて調べなさい」と言われたら、相当詳しくなれるかもしれない。

しかし、いい本屋に5分いたら、そもそも買うつもりがなかった本を買ってしまいます。買うつもりがなかった本を買ってしまうということは、自分自身でさえも気が付いていなかった欲望が、本屋で情報のシャワーを浴びることで言語化されて、つい買ってしまうわけです。

それに対して、ネットは欲しいものをピンポイントで買うのにはすごく便利です。村上春樹の小説が欲しい人は アマゾンで検索すればデビュー作から最新作までずらっと出てくるわけで、買うものが決まってる人は アマゾンで全然いい。

よく僕は「アマゾンがあるのに、なんで今さら本屋を作ったんですか?」と聞かれます。しかし、ネット書店とリアル書店はまったく役割が違うと思っているんですよ。ネット書店は欲しいものを買うためにはいい本屋ですが、買うつもりがなかったものまで買わせる力はリアル書店のほうが強い。

これはすごく重要なことで、『欲望する「ことば」』にも書いたんですが、人はすでに言語化できる欲望に応えてくれるサービスにはあまり感謝しないんです。

■レクター博士に学ぶ欲望の正体

岩瀬:それはどういうことでしょうか?


嶋:ネット書店は買いたい本を検索すればほとんど見つかります。でも、それを「すごい」と言う人はいませんよね。でも一方で、「ここに行くと、つい欲しくなかった本まで買っちゃうんだよね」という本屋は好きになります。

人間は不器用で、欲望をそんなに簡単に言語化できない生き物です。何が欲しいか自分自身もはっきりとはわかっていない。だけど、それが目の前に現れたら、さも以前から欲しかったかのように「そうそう、これが欲しかった!」と手を伸ばす生き物でもあります。

こうした人間の欲望のあり方について、『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士がとてもいいことを言っています。「われわれは欲求の対象になるものを意識的に探し求めるのではなく、日頃目にするものを欲求する」と。

この指摘を思想家の内田樹さんは、ご自身のブログの中で「欲望というのは自存するものではなく、『それを満たすものが目の前に出現したとき』に発動するものなのである」とまとめています。

ここには覚えておいたほうがいいことが2つあります。ひとつは「人間は自分の欲望をそう簡単に言語化できない」ということ。もうひとつは「そのくせ、人間の欲望はとんでもなく都合がいい」ということです。

例えば、ウォークマンが発売される前に「歩きながら音楽を聴きたい」という欲望を自覚していた人は決して多くはなかったはずです。スターバックスが上陸する前に「美味しいコーヒーが飲めて、ゆったり作業できるカフェがあれば500円以上払ってもいい」という人もほとんどいなかった。しかし、どちらも実際に形になったら大ヒットしました。

■潜在的な欲望に応えることがファンを生む


嶋:こうした密かな欲望の言語化を得意としてきたメディアが雑誌です。光文社の『美STORY』(現『美ST』)は「美魔女」という言葉を生み出し社会的なブームを作り上げました。雑誌発の言葉が、前回言及した「社会記号」になったわけです。

同じく光文社の『VERY』は「イケダン」という言葉をブームにし、主婦と生活社の『LEON』は「ちょいワルおやじ」、小学館の『CanCam』は「エビちゃんOL」といった社会記号を生み出しました。いずれの言葉も雑誌が売れただけでなく、それに関連した商品やサービスもたくさん生み出し、ひとつの市場を作り上げました。

しかし、例えば「美魔女」という言葉を『美STORY』が発信する前に、自分を美魔女と名乗る女性はいませんでした。実際にいたのは、「アラフォーになっても自由に恋したり、おしゃれをしたい」と心の中で“なんとなく”思っていた女性たちです。彼女たちの密かな欲望を「美魔女」という言葉で顕在化してあげることで、同誌は読者から「そうそう、これが私のしたかったことなのよ!」と熱烈に支持されました。

このように潜在的な欲望に先回りして応えてあげると、読者はすごく感謝してくれる。雑誌の編集者たちはそれを経験的に知っています。これはメディアビジネスだけでなく、あらゆるビジネスにとってファンを作るコツではないかと思っています。

岩瀬:その文脈でいうと、「ネット生保に入りたい」と思ってもらうためには、どういうアプローチの仕方がいいと考えられますか?

嶋:なかなか難しい質問ですね。ネットはすでに欲望がわかっている人にリーチする能力は高いんですよ。ポルシェのホームページを調べている人にスポーツカーの広告を出すみたいなことはすごく得意です。だけど今、スポーツカーに興味がない人に、「スポーツカーのある生活はいかがですか?」と気が付かせるのは、今のところネットよりも雑誌とかテレビのほうが向いていると思います。

ネット生保でいうと、ネット上で生命保険というキーワードに興味がありそうな人を探すことはできるんですが、自分でも保険の大切さに気が付いていない人を振り向かせるためには、今のところネット以外のメディアでPRしていったほうがいいかもしれません。

■本屋大賞がヒットを続けられる理由

岩瀬:もうひとつ、嶋さんといえば本屋大賞の創設メンバーとして知られていますが、これが長年ヒットを続けているのは、どんな潜在的な欲望に応えているからなのでしょうか?


嶋:本屋大賞は僕の仕事の中でも、潜在的な欲望に応えることでワークしたものといえます。では、どんな欲望かというと、それは本屋さんの「私には売りたい本がある」というものです。

本屋大賞を企画する前、本屋さんをまわっていたときに多くの書店員さんが、「なんで直木賞にあの本が選ばれるんだ!?」と文句を言っているのを耳にしました。それで「どんな本が選ばれてほしいんですか?」と聞いてみると、僕も知らないような作家の本がどんどん出てきました。

それなら書店員さんの投票で大賞を決めたら、自分が面白いと思う本を売りたい書店員さんにとっても、自分が知らない本に出会いたい読者にとっても、どちらにもうれしい企画になるはずだ、ということで書店員さんの有志たちと立ち上げたのが本屋大賞なんです。

僕は潜在的な欲望の見つけ方として、「文句」に注目しています。人のクレームを聞くのも大好きで、スーパーで店員に文句を言っているおばちゃんがいたら、つい聞き耳を立てちゃうほどです(笑)。

「なぜ直木賞がこれなんだ」という文句は、「私には別に売りたい本がある」という欲望の裏返しです。これに気が付いたら、あとは企画を変にひねらずに、その欲望を100%叶えてあげるように設計すればいいんです。

本屋大賞がヒットしたことで、「◯◯大賞」みたいな二番煎じがいくつも作られました。でも、みんな勘違いしているのは、「◯◯大賞」を作ったからヒットしたわけじゃないんです。そこに欲望が反映されていたからワークしたわけで、手段と目的を履き違えてはいけない。

欲望は自覚できないものだから、言語化もできない。しかし文句は言えます。そこには人が言語化できていない「本当にしたいこと」が隠されています。クレームはビジネスチャンスといいますが、僕は人々の「文句」にこそ、企画のヒントがあると思っています。

『欲望する「ことば」 「社会記号」とマーケティング』(集英社)

<プロフィール>
しま・こういちろう
1968年生まれ。上智大学卒。博報堂ケトル共同CEO。PR視点で企業コミュニケーションを手掛ける。本屋大賞実行委員会理事。東京・下北沢に本屋B&Bを運営。著書に『嶋浩一郎のアイデアのつくり方』『なぜ本屋に行くとアイデアが生まれるのか』など

<クレジット>
取材・文/ライフネットジャーナル オンライン編集部
写真/村上悦子