■中国の酒席は戦いの場
──中国人とビジネスする機会を持つ日本人は増え続けていますが、対中国ビジネスの大先輩として、心構えを伝授いただけますか。
羽子田:中国に赴任中、東京本社から人を寄越す時に、「こんどは体育会系の者を送り込むから安心しろ」と言われました。そういう時は決まって、こう答えたものです、「体育会系じゃなく、演劇部にいたヤツにしてくれ」と(笑)。
中国でビジネスをするのは、とても難しいんです。役人の立場が強いので、向こうに嫌われたら、下りる許可も下りなくなってしまう。嫌われても、恐れずひるまず、相手の懐に飛び込んでいくことが大事です。
中国人は情にもろい人も多く、「ここでなんとか許可を出して下さい、先生! お願いしますよ」と泣いて訴えたこともありました。すると、「じゃあ、こんどゆっくりお酒を飲みながら話しましょう」ということになったり…。駐在中は中国の人と、ものすごくお酒を飲みました。
――お酒は元々お強いんですか?
羽子田:私は柔道をしていて、講道館の五段ですからね。酒には慣れています。中国でビジネスするなら、必要なのは、体力より演技力。それと「100回の会議より1回の飲み会」です。
飲み会といっても、気は抜けません。向こうの人はお酒の飲み方から、人柄を見ているんですね。半ば冗談ですけれども、「1杯しか飲めない人は1回の付き合い。3杯しか飲めない人は3回の付き合い。それ以上飲んで酔っ払うのは構わない。そこから本当に商売ができるかを見極める」と言います。ですから、向こうの宴会は勝負の場なんです。
中国の人の63パーセントは「仕事で酒は飲みたくない」という調査結果が出ていて、仕事だから仕方なく飲んでいる。最近は中国の人もワインを飲みますけれど、たいていは白酒(パイチュウ)。これはアルコール度数が47度ありますが、小さなカップに入れて飲みます。
ご存じですか? 中国では日本みたいに手酌でついだらいけないんです。自分勝手に飲んではいけない。相手の家族の健康を祝ったり、誰かの昇進を祝ったり、何かを祝して杯をあげて、一気に飲み干す。そのうち乾杯する理由がなくなったら、「さあ、皆さんで一緒に飲みましょう」と言ってまた飲む(笑)。
だから、ずっと飲んでることになります。小さな杯ですけれど、お酒自体が50度近くありますので、普通の日本人であれば、13杯も飲めば酔いつぶれます。
――中国の人たちはみなさんお酒が強いですか?
羽子田:それが社長をはじめ、えらい人たちは宴会部長を連れてくるんです。そして途中から、社長自身ではなく、その部長が代わりに飲んでいます。私も酒は強いほうだったのと、最初は言葉がわからないので、どんどんどんどん、一緒に飲みました。そしてニコニコやっているうちに、互いになんとなく気持ちがわかってきて、結果的に商売がうまくいったということは結構ありました。
――お酒が飲めなかったらどうしましょう?
羽子田:飲めなくてもいいんです。要はその酒席に付き合えばいいんですから。その代わり、飲めないなら飲めないと、最初から言わないといけません。飲んだり、飲まなかったりするのが駄目です。
■中国家庭にバーモントカレーを売る
――「米を食べる民族は絶対、日本のカレーライスを受け入れるはず」ということを確認するために、羽子田さんは上海に「カレーハウス」をオープンしました。そして、3年間頑張られて、レストランも黒字になって……その後、台湾で何をなさってたんですか。
羽子田:台湾は1999年から4年担当していましたが、それもカレーハウスです。中国で店を出す前に、アメリカで展開していたカレーハウスは、現地の人たちにとって結局は、エスニック料理でしかなかった。しかし、中国のカレーハウスは目的が違いました。〝同じ米を食べる民族〟として、「カレーを外で食べたらおいしいよね」で終わるのではなく、中国の一般家庭でハウス食品のカレーライスを作ってもらうというのが最終目標です。
――外食と内食ではアプローチの仕方が全然違うと思いますが。
羽子田:そうですね。まず、中国の「カレーハウス」という店は5~6年やって、3店舗までで役目を終えました。その後、看板を「カレーハウス」から「カレーハウスCoCo壱番屋」に架け替えてから、バーン!と外食カレーチェーンとして中国全土に増えて行きました。
一方、中国家庭に売るための中国版バーモントカレーの開発に着手しました。最初、日本の研究所でバーモントカレーの試作品を作って、上海へ持って行って、中国人に食べさせたんですね。すると、みんなおいしいとは言うんですが、「何か物足りない」と……その足りないものがどうしてもわからなくて、香辛料のクミンやコリアンダーなど色々、入れてみました。それらを足したり引いたりしてみましたが、どれもちょっと違うという結果になり……。
研究所で味の開発に携わっていた女性が、「とにかく家庭調査してみましょう」と中国の家庭の中に飛び込んで行ったんです。そして、台所の中に入れてもらって、あれこれ調査したり見せてもらったりしたところ、中国の家庭には必ず、八角(はっかく)という香辛料があるとわかりました。日本でも中華料理の店に行くと、ちょっと独特な匂いがしますが、あれです。これを向こうの人は豚の角煮にでも何にでも入れます。
――星形をした茶色の香辛料ですね?
羽子田:はい、香草(パクチー)と一緒で、最初は抵抗がありますが、慣れると好きになる味です。中国の家庭には八角が常備してある、これに気付いたのは中国版バーモントカレーの開発を始めてから1年ほど経った頃でした。
「じゃあ、試しにこれを入れてみようか」と八角を入れたカレーをお客さまたちに試食してもらったところ、「これはいいんじゃない」と。本当に偶然に八角を入れることを思いついたんです(笑)。
――そこまで一生懸命、研究なさっていたのですから、偶然ではなく必然でしょう。
羽子田:そうですね。「これこそ真の食のマーケティングだ」と時々言うんですが、あらかじめ見当を付けていたわけではないんです。どうやっても何が足りないのかわからないから、中国人家庭の戸棚の中までのぞいてみて、そして導かれた結論でした。
――写真を見ると、日本のバーモントカレーより薄い黄色なのはなぜですか。
羽子田:ご存知のように、中国は19世紀からイギリスと貿易が始まったのもあり、インド経由でイギリスに入っていたカレー粉に中国の人もなじみがあるんです。カレーというと、日本人のイメージはフォンドボーとか、茶色いイメージですが、あちらはカレーといえば黄色。それと、黄色は皇帝にのみ許される色です。あちらの方にとって、黄色と赤は黄金を意味します。
たとえば、現在、「カレーハウスCoCo壱番屋」は中国全土に50店舗ほどありますが、このレストランで提供しているカレーには八角は入れていません。ある意味、ハウスのバーモントカレーというのは、カレーの入門基礎編なんですね。
日本ではカレーの作り方を誰でも知っていましたが、中国では誰もカレーの作り方を知りませんでした。ゼロベースからカレーを食べてもらう、カレーの作り方を知ってもらうことが必要でした。
――具体的にどういう方法をとられましたか。
羽子田:まず、大手スーパーなど小売店でカレー作りを実演して売る、女性の専門販売員を養成しました。うちの工場で1週間以上、カレーの作り方を勉強して、できた人からスーパーマーケットに立たせました。一番最初にやってきた販売員の子たちは、野菜を炒めずにそのまま水の中に入れたり、カレーの素が6つのブロックに分かれているのを1個しかお鍋に入れなかったり……忘れもしない、一番初めに来たお客さまからのクレームは、「お湯を入れたコップにカレーの素を1個いれて、それをご飯にかけて食べた。まずかった」って言うんですよ。
これを聞いて、僕、泣きましたよ。何のために作り方を箱の裏に書いてあるのか、「ちゃんと読んでくれよ」と思いましたが、中国の人は作り方をあまり見ないんですね。だから作り方はイラストにしました。「鍋の中にカレーの素は6個入れて下さいね」と絵で一目でわかるように。
――でも、どうしてコップの中にお湯を入れてその中に入れたんでしょうね?
羽子田:つまり、カレー粉イコール、ブイヨンというイメージだったんですね。ひとかけら入れれば十分だという考え方です。そのことが何度もクレームを受けているうちにつかめて来て、うちの社員達も「それは1個じゃなくて全部入れるんですよ」と返事をするようになりました。
「えっ、全部入れるの?」という反応でしたが、当時、事務所には営業マンは4人しかおらず、手始めとして商品を上海のスーパーマーケットに少しずつ入れて行きました。
■10年間で20万回以上の試食を実施
――カレーというものがない状態のところに、ゼロから売り込んでいくのは大変なことでしたね。
羽子田:はい、小売店その他でのカレーの実演販売は、10年間で20万回以上行いました。中国のお母さん達は共稼ぎなので、家では自分で料理を作りません。お手伝いさんが必ず家にいて、その人達が食事を作ります。ですから、お手伝いさんを養成する学校にも行って、カレーの作り方を教えました。
その人たちは田舎から出てきて、野菜でも何でも味付けは全部一種類ですませています。「そうじゃなくて、子どもたちにカレーを食べさせたらきっと喜びますよ。子どもを喜ばせたら、子どものお父さんお母さんもきっと喜ぶし、おじいちゃんおばあちゃんだったら、もっと喜ぶよ、あなた達はクビにならないし、田舎に帰らなくてもいい。お給料も上がりますよ」と説いて。
――まずは子どもの胃袋をつかめと。
羽子田:当時の中国はまだ一人っ子政策の最中でしたから、子どもは“小さい皇帝”と呼ばれるぐらい家庭内で権力を持ち、メニューの決定権は子どもにありました。ですから、中国で商売をしたかったら子どもを押さえなければならない。
そうしているところに、2007年、ハウス食品が北京に事務所を出しました。上海と合わせて、北京の事務所の所長を兼任して販売をするように任されました。北京のイトーヨーカドーで、平日に親子料理教室をすると、子どもとお父さんたちが来るんですね。お母さん相手より簡単にできる楽しいものがいいな、と考えて、パンダカレーとか見た目でアピールできるレシピを教えました。
――パンダカレー! どんなのですか?
羽子田:簡単ですよ。プリンみたいに、白ご飯をお茶碗に詰めてお皿にひっくり返して、のりで目の周りの黒い部分と耳をつけたら、はい、できあがり! そこにルーを注いで……と10秒でできるでしょう?
パンダカレーは人気があって、ずっと料理教室で続けて行っていました。だんだん中国のイトーヨーカドーでもカレーが売れるようになってきて、2008年、中国に「日本の食文化を根付かせ、継続的にカレーの啓蒙活動を続けていること」に対して、イトーヨーカドーの伊藤会長より伊藤栄誉賞をいただきました。これは「日本のカレーライスを中国の国民食に!」とスローガンを掲げて日夜がんばっていた私たちにとって、大変な名誉であり、励みとなりました。
――資料を見ますと、デモンストレーションや試食、料理教室以外でも、大手スーパーの売り場にバーモントカレーを戦闘機とか、水車小屋に見立てて陳列したり、日本でも見ないような凝った陳列で、斬新なことをされていますね。
羽子田:はい、ゆるキャラの先駆けというんでしょうか、中国版バーモントカレーのキャラクター・バーモントカレーマンや、頭がりんごで体がみつばちの女の子のキャラクター・ハウス点点ちゃんも作りました。
中国で営業をするなら、わかりやすく、気取らず、チンドン屋が一番いいんだというのが私のポリシーなんです。ですので、公園にブースを建てて、子どもたちにカレーを試食させて、そこでお手頃価格でバーモントカレーを販売したら、1日1,000個売れたりしました。2009年頃かなあ、マンション建設ラッシュが来まして、高級マンションがどんどん建ち始めたんですね。
マンションの間には必ずスペースがあります。子どもが親やお手伝いさんと通りかかりますので、テントを持って行って……ただし、役所にあらかじめ出向いて、 許可を取らなければなりません。「こういうことをやってよろしいですか」とお伺いを立てて、保健所に行って届け出をして、「うちの社員は全員、体の状態を判断する健康診断にちゃんとパスしていますし、食品を扱う資格も持っています」と。
どこも同じといえば同じですが、何事も簡単には出来ません。手間ひまを省いて営業活動をしていると、役人が来る。下手したら営業停止ですからね。中国では、本当にいろんな制約が付き物でしたが、上手に政府の方とやっていくということ。これは日ごろから心掛けました。
うちで働く人たちには、「うちはちゃんとした会社なんだから、絶対に中国の法律は守ること」と厳しく言いましたし、中国でビジネスする方に助言を求められたら、「めんどくさいからとやらないのはダメですよ。そういう面倒なことをあえてやらなければ、中国では長くビジネスできませんよ」と必ず言います。もちろん言うは易く、行うは難しで、役所まで行って、特に厳しい役人に当たったときは、それはもう大変でしたけれども……。
――必要なのは勇気と辛抱でしょうか。
羽子田:そうなんですが、中国では絶対に“男気”を出したらいけません。男気を出した人は必ず、あちらのシステムにぶつかって、つぶれていくんです。郷に入れば郷に従え、ではないですが、男気は捨てて、融通無碍(ゆうずうむげ)にいくことです。
でも、おもしろいことに、日本ではできないことも中国ではできたりしました。その一例が、マンションのエレベーターのドア全面に、バーモントカレーの広告のシールを貼る作戦です。これは各マンションの管理人さんに「日本のカレーはおいしいですから、ぜひお願いします」と無理やり頼み込んで、2週間ぐらい貼らせてもらいました。
――エレベーターに乗るたびに、バーモントカレーの広告を必ず目にするんですから、すごいサブリミナル効果でしょうね(笑)。
羽子田:そうです、必ずカレーが食べたくなります(笑)。この作戦は30棟ぐらいの高級マンションで実行しましたが、日本の農水省のキャリアの知り合いに言われましたよ。「羽子田さん、それは日本では絶対に通らない。役所だけでなく、マンションの自治会もあるんだし、一民間企業の商品の広告をエレベーターの全面に貼ったりしたら大変なことになりますよ」と。
きっとそうだろうなあと思うんですけれど、自分が酔っ払って、帰ってきて、うちのマンションのエレベーターの前にカレーのシールが貼ってあったら、食べたくなるだろうなあ、夢に見るかもしれないと思い、それを狙いました(笑)。まあ、何でも思いつくことならかたっぱしからやってみたということですね。
■黒字化するまでに8年かかった
――1996年には、羽子田さんがお一人で上海に旅立ったハウス食品のカレービジネスですが、いまはどこまで広がっているのでしょうか。
羽子田:現在、中国29都市に駐在員を置いて、約100都市でバーモントカレー、ジャワカレーを販売するまでになりました。南は香港・マカオ、西は新疆(しんきょう)ウイグル自治区ウルムチでカレーを紹介したり、チベット自治区で行われたラマ僧1万人が集まる大法会で、5,000人分のカレーを注文いただきました。これは同地区に12万人が集まる大きなお祭りでしたが、お坊さんたちはお肉は食べないので、野菜カレーにして提供しました。
そのあとも、チベットからは年にカレー1,000ケースの注文があり、これには輸送費もだいぶかかりますが、はるばる運んで行きます。箱もしっかりしたものを使って、あちらが開けたときにカレーの箱の角まできれいな状態で使っていただくよう心掛けています。
――捨ててしまう箱まできっちりとしているのが、日本人の心意気だと思います。
羽子田:おかげさまで家庭用カレーの他、業務用のカレー――これはレストランやコンビニで出すカレーのルーですね。それと大学や工場の食堂でもうちのカレーを入れてもらっていますし、日本大使館では中国の要人たちはじめ、VIPを招いて行われる会でもバーモントカレーを食べて頂いています。中国人民軍の幹部にもおいしく食べてもらっています。最近は、日本の安心安全なおいしいお米を中国の人にも食べてもらおうという動きが活発ですが、カレーライスはそこでもコラボレーションできる可能性を秘めています。
――長い中国での駐在を終えられて、いま中国での日々に対して思い出されることは何でしょうか?
羽子田:そうですね。日本とは違う政治システムのところへ飛び込んでいって、日々そこでもまれて泣くようなことも色々とありましたが、中国の人をだいぶ理解できましたし、好きになりましたね。そこがなければ、長く中国でビジネスすることは難しかっただろうと思います。
現在、ハウス食品のカレーは大型店舗には9,500店舗程度、小売店も含めれば約15,000店舗で取り扱いがあります。中国ではスーパーなどで商品を置いてもらうのに、場所代というか入場費(バーコード導入代)がかかります。不動産屋でいう敷金・礼金ですがこの初期費用を回収するまでが大変です。
バーモントカレーも2005年に発売してようやく黒字化できたのは8年後でした。売り上げは10年間で21倍に達しましたが、利益が出るまではがまんですね。やはり、中国は圧倒的に人数が多いですから、一度広がり始めるとあとは順調に2013年からは前年比120パーセントで推移しています。
それでも、中国12億人の中でカレーを食べたことがある人はまだ1億人程度。カレービジネスはまだまだこれから伸びていきます。
――その最初の一歩を記した羽子田さんのお話は、沢山の方の役に立つと思います。羽子田さんの今後の抱負をお聞かせ願えますか?
羽子田:実は農林水産省から「中国向け日本食品輸出促進アドバイザー」のご依頼を受け、9月末付けで就任いたしました。これからは日本米を中心とした輸出品拡大のアドバイスで中国への出張も増えそうです。
――どうぞこれからも日本と中国のよき架け橋でいて下さい。
羽子田:ええ、これからはより視野を広げて努めたいと思います。
<プロフィール>
羽子田礼秀(はねだ・ゆきひで)
1954年東京都生まれ。中央大学経済学部卒業。78年ハウス食品工業(株)に入社。大阪・東京本社で18年間、営業を担当した後、96年カレービジネス起ち上げのため、上海に駐在開始。2009年上海ハウス食品社長、2017年ハウス食品(中国)投資公司最高顧問などを経て、2018年より現職。9月末、農林水産省から「中国向け日本食品輸出促進アドバイザー」の依頼を受け、就任した。
●ハウス食品グループ本社
<クレジット>
取材・文/樋渡優子
インタビュー撮影/横田達也
写真提供/ハウス食品グループ本社株式会社