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商品開発部の高橋です。

平成が終わり、令和元年が始まった。昭和の最後、昭和63年に新入社員として今はなき某生命保険会社に入社した私は、3つの時代を生命保険業界で仕事をすることとなった。

今回は自分が生命保険業界の大半を過ごした平成のはじめを、新しい令和のこの機会に振り返ってみたいと思う。

この令和の明るい感じの始まりと違い、平成元年の最初の営業日は、勤務していた大津支社で黒いネクタイに喪章をつけて業務をしたことを思い出す。

当時は昭和天皇の喪に服すことの方が、新しい時代を迎えたということより大きなことだったので、世の中はあまり明るい雰囲気でなかったことを記憶している。

こうして始まった平成当初、オフィスは、まだ机や会議室でたばこを吸いながら仕事をするのも普通だったし、机の上はパソコンどころかOA機器は電話以外何もなく、書類、紙、ペンのみで、今から考えたらどのように仕事をしていたのだろうと思ってしまう。

支社での計算は電卓か算盤でやっていた。本社の商品開発部に配属された私が初めて作った約款の案は紙に約款冊子を切り貼りして作ったものだった。その頃のOA機器は、当時としてはかなり高額な(おそらく百万円程度はしたであろう)ワープロが、部門に1、2台あるだけ。とはいえ、文書を保存し、修正ができるだけでも大変な効率化だった。

今のパソコンと違い、ウインドウズ機能がない中での文書作成は今から考えるとよくやっていたと思う。

こんな作業効率だったので、帰りは終電や休日出勤ということも多く、「24時間戦えますか」というCMのコピーが流行語になったのもうなずける時代だった。働き方改革と言われる今の時代からはまるで考えられない。

商品開発部での大きな仕事は、監督官庁である当時の大蔵省に保険商品の認可申請をすることだった。

その頃は、官庁に提出する書類は今と違って和紙でできた「紙縒り(こより)」で綴じていたが、弛みなくピーンと綴じるためにコツが必要で、何度も試してやっと綴じることができたのを思い出す。書類ができ、いざ当局に提出するために持参するときには、部にある紫の風呂敷がうやうやしく出され、その風呂敷で書類を包んで課長が大切に持参していた。

これも、今考えると笑ってしまうが、伝統儀式のようだった。平成とはいえ、昭和の風習から引き継いでいたことがまだまだ多かったなと思う。

平成の初期から30年が経ち新しい令和の時代が始まったわけだが、今年の新入社員が30年経った後に、令和のはじめをどう振り返るのだろうか? 非常に楽しみである。

商品開発部
高橋