2018年に希少がんの一種である左大腿悪性軟部腫瘍・粘液型脂肪肉腫と診断された青山さん(仮名)のインタビュー後編。闘病記と言うにはもったいないくらいのエモーショナルでリアルな体験談はまだまだ続く。
(前編はこちら)

■がんなんです、というLINEに返すのは本当に難しい

──弱ったときに一番頼りたくなる人は誰なんでしょう。職場の方にはお伝えしたということですが、友人にも報告しましたか?

「自分ががんだとわかったとき、ある程度の人にしか連絡しなかったんですよね。たぶん、結婚式を挙げるとしたらどこまで言うか?と一緒で、別にその人が嫌いとかそういうのではなくて、そんなに連絡もしてないのにこの人に言うのかな、みたいな。

人間関係を整理することになるのかなって思っていたんですけど、結論からいうと自分は周りに恵まれていたと思います。連絡をしたらお見舞いに行くねと言ってたけど来なかった人たち、連絡をしてないのに来てくれた人たち……。でも、ふたを開けると、僕がお酒を飲めるようになるまで待っていただけとか、又聞きだったから見舞いに行かなかった、でも元気になったんだったらお茶に行こう、ごはんに行こう、と誘ってくれるとか。ちょうど今この時期になって連絡をくれるようになったとか。

会社に戻ってからの反応を見てもいろいろです。“片脚になってまじやばいんですよ、ははは~”と僕はよく茶化すんですけどね、“お前はそれくらいがちょうどいい”って言ってくれる人もいます。僕はそれくらい毒を吐かれるのが好きです。僕の姿を見た途端に泣き出す人もすごく好きです(笑)。何も聞いてこない人もいますね。無反応というか、“お、久しぶりだなあ”みたいな感じで。おもしろいですよ、それぞれに何か感じたり、配慮してくれていることがあって、こう言うと恐れ多いですけど、皆さん、最善と思う反応や対応をしてくれているんだろうなあと」

──もし、友だちから「がんなんだ」と連絡が来たら、自分だったらどんなふうに反応したり、返答したりするんだろうと考えてしまいました。

「難しいですよね、僕も自分が相手に返答する立場だったら、今でも答えは無いですね」

──(青山さんの友人) 久しぶりに青山からLINEが来たなあと思ったら、「僕、がんなんです」って、突然。

「(笑)。他の人から知らされたらいやだなあと思って。ちなみに“他の人から知らされたら…”のフレーズは常套句にしていました。特に、疎遠になりつつあった人に対しては、必ずそうやって送っていました。あと、元気3割増しくらいの感じを出そうとして、絵文字でちょっと盛る、と」

──(青山さんの友人)(笑)。返しづらかった! 既読をつけてから戻すまでに1日置きましたもん。絵文字を使っていいのか、ものすごく悩みましたし。結局、文面に絵文字を入れられなくて、テキストを送ったあとに、スタンプを送って。でも、“これ、俺じゃないな”と思って、そのスタンプをいったん取り消して(笑)。最後に力士の“ドスコイ”っていうスタンプを送ってごまかす、みたいな。がんなんです、というLINEに返すのは本当に難しかったです。

■抗がん剤のきつさを人のうわさ話で紛らわす

「お見舞いについては、来てくれる人を全面的に受け入れました。来てくれる人は全員来てください、と。パートナーが仕切ってくれていたので、あまり気は遣わなかったですし、副作用がきついときは断ったりもしていました。抗がん剤の副作用の周期で、自分がきつくなるときがわかってきていたので、“ここは来ないでください”、“こことここは無理”とか、事前に伝えてありましたね。

月曜火曜は大丈夫、水曜木曜にドカンと落ちて、金曜日は洗い流す日(※)だから元気になっていくという、そういう周期でしたね。これは、人によって違うらしいです。抗がん剤治療を外来でやる人もいますし。
(※生理食塩水で点滴や体内に残った抗がん剤を洗い流す)

24時間の点滴が、痛いし、ずっと針がささっているものだから静脈炎になってつらかったですね。あと、寝れなくなっていたというのもあります。夜7時間くらい寝ると、昼間にまったく寝られない。寝たらラクだから寝たいのに寝れずに、ずっと抗がん剤のキツさにもんもんとしてるしかなくて。それもあって、むしろお見舞いに来てほしかったです、話していると気が紛れるから。

会社の人が来てくれて、こんなことがあったよ、こういうことがあったよ、と。そういうのを聞いていると2時間くらいあっという間なんですよね。“え、あの人辞めるの??”みたいな、主に人のうわさ話なんですけどね。病気になっても人のそういう話は面白いんです(笑)。ものすごく嫌な人がいるんですけど、“ああいうやつががんになればいいのに~~~、僕はおとなしく生きてたのに~~っ”って(笑)」

■役に立たない片脚が、なんでか面白い

──抗がん剤治療のつらさと比べて、リハビリはどうでしたか?

「最初の1、2か月が極端に痛い時期だったのでそれはつらかったです。痛み止めもラムネのように飲んでましたし(笑)。今も、リハビリの病院に通ってますけど、自分の脚が動かないことに対する苛立ちはないんですよね。これがまたよくわからなくて……。もうちょっとその、涙を流すべきでしょうし、脚に対しても……。たぶん不真面目なんでしょうね、病気と向き合ってないというか、わははは。すごい楽しいなと思ってしまう」

──余裕があると言ったら変ですけど、余力があるように感じます。

「がんのことで言うと、転移と再発が怖いだけなんですよ。それ以外は何もなくて。治療やらリハビリやらで1年くらい休んでましたけど、それももう記憶からなくなっていってるくらいで。そして、役に立たない片脚が残って。これに関しては……なんだろう、なにか面白いんですよね。

渋谷駅でハチ公口に行こうとしたとき、あのハチ公口にはエレベーターもエスカレーターもないのかって気付いたときに、健常者たちはそんなことにも気が付かずダラダラ歩いてるんだよなと思う自分が好きだったりするんですよね。バスがこんなに便利なの、みんな知らないんだろうなとか(笑)

もちろん、暮らしの上では不便なこともありますし、ごみ出しはどうするの? とかありますし、それは自分の場合、一緒に住んでいるパートナーに助けられているから余裕があるのかもしれないですけど、あんまり不自由さを意識することはないですね」

──青山さんには怒りとか苛立ちとか、負の感情が無いわけではないですよね?

「もちろん、たとえば山手線の新大久保とか出口が一つしかなくて、山手線なのにエレベーターもエスカレーターもないんだ、とイライラしたりしますし。優先席に座ってるやつもどっかいっちゃえよとか思いますし(笑)。

先日も優先席に座ってたら、マタニティマークをつけた方がふうふぅ言いながらくるわけですよ。“ああ来ちゃった”と思って。“いい、いい、僕は杖もついてるし”と。“さあ、そろそろ誰かスマホから目を上げて。誰が最初に気付くか、ゲームは始まってますよ”と思っているわけです。

でも、帰宅時間ということもあって、誰も譲らないわけですよ。なので、僕、性格悪いので(笑)、“おねえさん、譲りますよ”とわざと聞こえるように言って、杖を持って“よいっしょ!”と言って立つんですけどね、みんな無反応(笑)。それを聞いてるのに誰も退かないんですよね」

──大変な人同士で助け合う……。

「今は、この身になったのに変に人のこと手伝ったりして。この間、両松葉づえの人がキャリーケースを引いて歩いていたんですよ。“も~、タクシー乗れよー”って思ったんですけど(笑)、でも電車に乗ろうとしていて。結局、“いい、いい、僕が持ちますよ”って、杖をついている者同士の謎の情みたいな。やっぱり、自分がこうなったからそういう方を見ると声をかけちゃいますね。でも、通り過ぎていくおじさんたち、少しは手伝ってよ、と思いながらですけど。

助けを必要としている人は見えないものとされている、ないものにされているんだな、と。すごく感じます。偉そうに言ってますが、以前は、きっと自分もそうしてたんだろうなと。だからこそ、自分が当事者になったからこそわかることもあるんだろう、というのは思います。自分の場合はこういう荒療治しかなかったんだなと」

■障がいを持つ人や病気を抱えている人は、それを代表しているわけではない

──青山さんの話を聞いていて、不謹慎かもしれないですけど、「楽しそう」って思います。一緒にいると楽しいことが待っていそうな。

「不謹慎なことを言われるのは好きです(笑)。一緒に歩いている人が、階段をすたすた行っちゃって、“早く来い”と言ってくるのも好きですし(笑)。それが優しさだとも思いますし」

──「がんになって変わりました」っていう話をよく聞く気がするんですけど、自分はがんではないので想像でしかないですが、そんな簡単に性格変わったりしないよなって思っていたんです。お話を聞いて、その思いが正しいこともあるんだなと。あと、がんで性格は変わることはないかもしれないけど、見えるものが増えるとかそういうのは確実にあるんだなと。

「偉そうに聞こえるかもしれないですけど、もし自分と接点ができる人がいたら、その人は何も変える必要はないですし、例えば優先席の話にしても、空いていれば健常者でも堂々と座っていて良いと思います。でも、誰か乗ってきたなと感じたら“スマホから目を上げるくらいのちょっとした変化”があると良いですよね。自分の、脚が不自由という状態とか、その話をすることで相手の見える範囲が広がるとおもしろいなって思います。

最近いろんな人に話してるんですけど、弱者とかマイノリティの中の多様性をちゃんと見てほしいと思っているんです。

“私はがんで変わりました”とか、パラリンピックの選手が“この脚のおかげで世界を~”、とか耳にしますが、別にみんながみんなそんなに前向いてないですしね。なんで障がい者の話をするときに身体障がいの話が多くて、精神疾患や見た目にインパクトのある人は出さないんだろうとか。

みんなが強くあったりポジティブであったりする必要はないし、僕は病気のことや脚のこととか茶化したりしますけど、僕はこのほうがラクだからこうしてるだけであって、世の中には家にひきこもっている人のような可視化されにくい、でも必死に生きている人がもっといるんだということに目を向けるべきだと思うし、気づいてほしい。

メディアで目にする障がいを持つ人や病気を抱えている人は、それを代表しているわけではないんだ、ということを僕は改めて思いました。例えば、女性もそうだと思うんですよね。“私が女性代表よ”みたいに語ってほしい人ばかりじゃないと思うんですよね」

──当社にも聴覚障がいを持つアスリート社員がいるんですけど、「あなたは障がい者の代表でもないし、会社のためにではなく、自分のために受けたいと思ったら取材を受けてください」って伝えています。というのは、いつもだいたい、“障がい者なのにがんばってますね!”とか、“障がい者の代表としてどう思いますか”とか、そういう反応や質問が出てくるんですよね。でも、もっと個人のことに注目してほしくて。だから今のお話を聞いて本当にそう思いました。

■逃げ場所をつくっておくべし

──職場復帰まで1年のブランクがあったわけですが、復帰後に困ったことなどはありましたか?

「感想としては、1年休んだからどうのこうのというのは無かったです。明日起きれるかなとか、一日体力が持つかなとか、その程度。気になったのはこの脚ですよね。なにか不都合が出るのかなと思ってましたけど、今のところは大丈夫です。イベントの仕事で立食の機会があったんですけど、まあ、多少はきついかなーくらいでした(笑)。

今は、4か月に一度のタイミングで再発と転移の検査に行くのと、週1でリハビリの病院に通うだけです。抗がん剤はまったくやっていません。あ、でも、高コレステロールと尿酸値が引っかかって薬を飲まないといけなくなるよと脅されています」

──それ、がんと関係ないですね(笑)。

「ないですね、ただの不摂生(笑)。なんとかまだその薬は飲まずにいます。会社の健康診断で引っかかったので、また“死ぬー死ぬー”って騒いでます(笑)。前回のときよりウケますね。“がんだし、コレステロールも高いし痛風だし、ほんと死んじゃう~”って(笑)。がんばって食事を見直そうと思ってます」

──ひとつ聞いていいですか。抗がん剤治療で「点滴抜きたい」と思ったとき、どうしたらいいのかなと。私、たぶん、点滴を抜きたくなるタイプだと思うんです。

「僕にとっても抗がん剤が一番きつかったし、点滴が一番やりたくないことですね。もしまた抗がん剤をやる可能性があるのかと思うと何よりきついです。

おこがましいですけど、会社でよく新入社員に“逃げ場所を作っておくべし”と言っているんです。その逃げ場所というのは、お酒の場でもいいですし、自分がよく行くお店を作っておくでもいいですし、趣味をする場でも。それが仕事っていうのはちょっとやめといたほうがいいんじゃないかなというだけで。

僕にとってはその逃げ場所がお酒の場所だったし、でも家では飲まないので、結局その逃げ場所にいる「人」なんですよね。その人たちが逃げ場なのかなって。冗談を言ってくれて、好きな人がいてくれて、とか。その逃げ場が病気のときにもあったのは、大きかったのかなと。

人によっては本を読むことなのかもしれないですし、好きなアニメをみることかもしれないし、一人で物事を考えたりするのが好きな場合もあるかもしれないし。どんなことでもいいから、病気から逃げる術があることは素敵だと思います。いかにうまくさぼるか。がんばらなくてもいいんだと思います」

あとがき

実際にがんになってみないと知らないことは山のようにある。それは、がんを経験したことのある人の多くが言うことだ。そして、「知らなかったこと」の一つ一つにどう反応して、どう折り合いをつけていくかは、人の数以上に種類がある。あなたにはこれ、という解答にはならないが、青山さんのお話で、気が軽くなったり、ものの見方や考え方が広がったと思う人がいてくれたらうれしい。

青山さんは、当時の記憶をたぐりよせながら、がんになってから左脚の機能を失い、闘病とリハビリを経て復帰するまでのストーリーを、魅力的な脚本のように話して聞かせてくれた。原稿が(笑)でいっぱいになってしまうほど、楽しそうに。だからか、「がんの体験を聞かせてください」から始まって、気がつけば、がんのことよりも青山さん自身のことをもっと知りたくなっていた。

2時間半にわたって聞いた内容は、あまりにも明け透けで、大胆で、痛くて、今でも思い出しては心がうずく。彼の1年ちょっとの闘病生活は、私のこれまでの日常よりもはるかに痛快で、彩りのあるものだった。都合で削ったエピソードもあるが、そのどれもが彼という人を語るにふさわしく、いつかまた紹介できたらと思う。

この先いつか、自分が同じような病気になったり、不自由な思いをするようなことになったりしたら、彼のようにありたいし、面白がりたいし、面白がる余裕をもちたいと思うだろう。グッと我慢したことや、つらさや悲しみも素直に受け止めて、豪快に笑い飛ばして生きていきたい。そうすれば、たいていは「なんでか面白い」ことになるのだろうから。

最後に。インタビューの機会をくださった青山さん、友人のHさん、そしてがんアライ部のみなさんに心から感謝を申し上げる。

2019年某日 ライフネットジャーナルオンライン編集部

<クレジット>
取材・文/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
撮影/横田達也