写真左:岡部祐介(ライフネット生命保険)、右:長屋宏和さん(レーシングドライバー、車いすファッションブランド「ピロレーシング」代表)

2002年に鈴鹿サーキットで開催されたF1日本グランプリの前座レース中の大事故で、頚椎を損傷する大怪我を負ったレーシングドライバーの長屋宏和さん。医師から「一生車いす生活」と宣告された後も、長屋さんのF1のワールドチャンピオンになるという夢は変わっていません。チェアウォーカーとしての自分の変化をどう受け入れ、さらに前に進むことができたのでしょうか。2021年のデフリンピック(ろう者のオリンピック)への出場、メダル獲得を目指す、ライフネット生命のアスリート社員・岡部祐介が、手話を通じて尋ねました。

■レース事故後、アメリカで再び手に入れた「運転する自由」

岡部:今日お会いできるのが本当に楽しみでした。実は長屋さんと僕には、ある共通点があるんです。

長屋宏和さん(以下、長屋):ありがとうございます。僕も今日は楽しみにしていました。どんな共通点ですか?

岡部:長屋さんはカフェに行かれているのをよくSNSにアップされていますよね。実は僕もよく同じコーヒーチェーンに行っていて、大好きなんです。

長屋:そうなんですね。ちょうど僕が行きやすい場所にあって、スタッフの方も温かいのでよく利用しています。

岡部:僕も同じです。スタッフの方が筆談で丁寧に対応してくれるので、自然と足しげく通うようになりました。限定商品が出るとつい行ってしまいます(笑)。

長屋:わかります(笑)。


岡部:長屋さんは2002年に、レース中の事故でチェアウォーカーとなりましたが、2005年には車いすファッションブランドの「ピロレーシング」を立ち上げて、ファッションデザイナーとしても活躍されています。床ずれしないようにお尻に縫い目のないジーンズ、車いすごと覆うレインコート、花嫁さんのウェディングドレスなど、どれも素晴らしいものばかりですね。

長屋:ありがとうございます。ピロレーシングは、自分が車いす生活になった時に、「こういうものがあったらいいな」と思ったことがきっかけで始めました。自己満足にならないように、ユーザーが安心できるもの、使い勝手がいいものを作ることを心がけています。自分のブランド製品を喜んで使ってもらえた時は、「次もがんばろう」と前向きな気持ちになれます。

岡部:ご自分の気づきを実際に形にされたんですね! 僕も昔は補聴器を付けるのが恥ずかしくて、街なかで隠すことがあったんです。でも最近はカラフルなものやデコレートされたものも出てきて、補聴器もおしゃれになってきました。障がい者用の福祉用具もおしゃれなものを選べるのはとてもうれしい。

長屋さんは今、こうして人々を前向きに明るくする仕事をしていますが、ご自身はレースの事故で人生の挫折も味わいましたよね。その挫折をどのように克服されたのでしょうか?

長屋:入院生活中に、担当医から「君は一生車いす生活になる。もうレースにも出られない」と言われた時は、とても落ち込みました。でも幼馴染から、「俺はお前が一生車いす生活になるとは思っていない。必ずまたレースに復帰する」と言われて、「まわりの人たちが前向きでいるのに自分が前向きじゃないのは申し訳ない」と思ってから、考え方が変わったんです。

岡部:足の神経再生手術の情報収集のために渡米した時は、望んでいた情報や成果がなかったそうですが、その時はどうして前向きになれたのですか?

長屋:それまで僕は、「自分は他の人とは違う。そのうち歩けるはずだ」と根拠のない自信を持っていました。でも現地に着いた初日に「そういう手術はない」という現実を知らされた。3カ月の滞在予定でしたが、お金の無駄だから日本に帰ろうかと考えていたところ、リハビリの先生から「何がしたい?」と聞かれました。当時はほとんど体を動かせない状態でしたが、「車の運転」と答えました。

岡部:体を動かすリハビリを飛び越えて、いきなり運転のリハビリですか!?

長屋宏和さん(レーシングドライバー、車いすファッションブランド「ピロレーシング」代表)

長屋:はい。そこがアメリカのすごいところで、翌日から車に乗るリハビリがスタートしました。実は日本でも同じことをお願いしたけれど、やらせてもらえなかった。アメリカはチャレンジできる環境を整えてくれる国なんですね。やりたいことに近づける毎日は、とても楽しかったです。

結局、街なかでの運転はできなかったけれど、アメリカで車の免許を取れました。そして自分は運転ができるという証明を日本に持ち帰って、免許更新を受けさせてもらえました。当時のリハビリがあったから、僕はまた運転できるようになったんです。僕から車を取ったら何の楽しみもないので、また違う人生になっていたでしょうね。

岡部:長屋さんの人生と車とは切っても切れないんですね。長屋さんの、どんな壁も乗り越える力は僕も見習いたいです。

長屋:僕一人では乗り越えられませんよ。今もいろんな壁にぶつかるけど、誰かに相談して一緒に考えてもらうことで前進できている。実は事故をするまで、僕は「他人は冷たい」と勝手に思っていたので、誰かに相談するのも嫌だったんです。でも相談をしてみたら、人の温かさを学べた。挫折があったから学べたことだし、この後も繰り返し人に相談しながら、乗り越えていくのだと思います。

■レースは好きだけど、人生を楽しむにはレース以外の道を見つける必要があった

岡部:長屋さんのまわりには、長屋さんを応援する多くの方が集まっています。そうやってたくさんの人が協力してくれるのはなぜだと思いますか?

長屋:おそらく、自分が「これをやりたい」という気持ちを強く持ち続けているからだと思います。それに共感してくれる人が一人、また一人と時間をかけて集まってくれました。僕はせっかく集まってくれた人たちをがっかりさせたくないので、みんなと楽しむことをいちばん大事にしています。2004年にカートレースに復帰して、ゴールした瞬間にそのことを実感しました。

長屋さんが事故からレースに復帰するまでを綴った『それでも僕はあきらめない―元F3レーサー、車いすからの新たな挑戦』(長屋宏和著、大和出版)

岡部:モータースポーツはドライバーにスポットが当たりますが、本当はドライバー以外にも多くの人が関わって、チームで競うスポーツなんですね。

長屋:そうなんです。最初はカートレースにチャレンジすると決めたとき、単純に「とにかくまたレースに出たい」という気持ちでスタートしたことでしたが、結果として、自分が車いすで生活することを受け入れるきっかけとなりました。レースを境に自分と向き合って、まわりの人のことも考えられるようになった。そこから自分ができることとできないこと、そしてやりたいことが明確になったと思います。

岡部:ファッションブランドの「ピロレーシング」を立ち上げた話も、そこからつながっていますね。

長屋:復帰レースの後、「レースだけを追っていたら、自分の人生がダメになる」と考えるようになりました。人生を楽しむには、何か別の道も見つけないといけない。今もレースは好きだけど、レースで培ったことが洋服の世界で使えることも多い。逆に洋服のことを知っていればレースにも活かせただろうな、と思うこともあります。レースだけをやっていた時はレース以外のことは必要ないとまで思っていました。でも会社を経営することで、お金の流れを追えるようになり、人間関係を築くことができた。人生に無駄なことってないんだな、と思いました。

岡部祐介(ライフネット生命保険)

■コンマ1秒を大切にする感覚を日常で持つことの意味

岡部:長屋さんは今、どんな夢をお持ちですか?

長屋:今も夢はF1のワールドチャンピオンです。その夢があるから、今のいろいろな活動がある。

岡部:ずっとその夢を持ち続けているのは、すごいことですよね。

長屋:夢は届かないくらい大きくていいと思います。その夢がなければ、僕が運転のリハビリを受けることもなかったわけですから、考え方も人生も今とは違っていたと思います。

岡部:ファッションデザイナーとしての夢は、どんなふうに持ち続けていますか?

長屋:ファッションデザイナーや会社経営などの活動は、自分が前進するため、人として成長するための「目標」です。夢は届かないくらい大きくていいと思いますが、目標は大小問わずにたくさん持つことが大切。目標に手が届くことで、一歩ずつ前進していけます。F1ワールドチャンピオンの夢は、誰に何と言われようと、一生持ち続けるもの。車いす用のファッションブランドは、世界中に自分たちの商品を広めていくという目標に向かって活動しています。今日こうして取材を受けることも、短い時間ですが目標の一つ。そのためにちゃんと準備もしてきました。

岡部:目標は「大きなことをやろう」というよりも、一つ一つの積み重ねなんですね。目標を積み重ねていくために大切にされていることことは何ですか?

長屋:スケジュールやプランを考えていくことだと思います。レースも陸上も、コンマ1秒以下の世界で競いますよね。そのために体調管理、トレーニング効率なども突き詰めて考えて、何が正解かを見つけていく。普段の生活ではコンマ1秒の大切さを感じにくいけれど、その時間軸は仕事でも活かしたいと思っています。

岡部:「コンマ1秒縮める」と言葉で言うのは簡単だけど、実際にコンマ1秒を縮めるのは本当に大変なんですよね。

長屋:アスリートもドライバーも、常に限界で走っていますからね。レースだと、コンマ1秒の壁を越えるのは怖い部分もあるけど、一度成功すると次は意外と簡単に行けちゃうこともあるので楽しい。


岡部:壁を越えた時に、自分の世界が急に開けるような感覚は僕にもよくわかります。

長屋:それがつまり、自分の成長なんですよね。僕は今、若手レーサーの監督もしていますけど、自分の考えを伝えて彼らが結果を出し、成長していく姿を見るのは、自分のことのようにうれしいです。

岡部:後輩たちにつないでいくことも大切ですよね。僕もデフ陸上をしている子どもたちに、「夢を持ってもいいんだよ」と伝えたくて、彼らと一緒に走ったり、講演を行ったりしているんです。

■富士山への“嫉妬”からプロジェクトが始まった

岡部:長屋さんは普段、どのようなトレーニングをしていますか?

長屋:4~5年前から富士山に登りたいと思うようになって、そのための体力づくりに今は週2回、加圧トレーニングで鍛えています。ジムのトレーナーの方が僕に合ったメニューを考えてくれて、しっかりと追い込んでくれるので楽しめています。

岡部:僕もダラダラやるよりは、追い込んでくれたほうが楽しいと思うほうです。モチベーションも上がりますよね。富士山に登りたいと思ったのはなぜですか?

長屋:子どもの頃から絵を描くのは富士山、新幹線と決まっていましたが、富士山に「登りたい」と思ったことはありませんでした。でもチェアウォーカーになって、「自分には行けない場所」と思うと富士山に嫉妬してしまって……(笑)。それからいろいろな人に声をかけて、富士登山専用の車いすを作って挑戦しています。2019年の挑戦では天候のこともあって、8合目まででした。目標は頂上ですけど、今の体力ではそこまでが限界ということを受け入れて、またトレーニングを続けていくつもりです。

富士登山専用の車いすで8合目まで踏破した長屋さん(長屋宏和さんFacebookより)

岡部:8合目まで! 僕は登ったことがないけれど、車いすで登るのは大変なことですよね。

長屋:これもレースと同じで、自分ひとりでは絶対にできない活動なので。みんなと一緒に楽しく登っています。

岡部:僕は今、陸上選手として「最後まで諦めない」ということは意識しているのですが、それにプラス「楽しむ」ということも大事なんですね。

長屋:どんな活動も根底には楽しくないと続かない。だから自分が前進するためにも、みんなと一緒に楽しむことが大切だと思います。

(後編に続く)

<プロフィール>
長屋宏和(ながや・ひろかず)
1979年生まれ、東京都渋谷区出身。レーシングドライバー、車いすファッションブランド「piroracing(ピロレーシング)」代表。14歳からカートレースを始め、2002年に全日本F3選手権に参戦。同年10月、F1日本グランプリの前座レースの事故で頚椎損傷C6の怪我を負い、車いす生活となる。その後、アメリカと日本でのリハビリ生活を経て、2004年12月にカートレース復帰。世界で初めて、指が使えないドライバーとしてカートレースを完走する。2013年、人間力大賞グランプリ受賞、内閣総理大臣奨励賞受賞。

岡部祐介(おかべ・ゆうすけ)
1987年生まれ、秋田県由利本荘市出身。陸上競技(400m)でデフリンピック2回出場(日本代表)経験あり。聴覚障がい者向けの唯一の国立大学、筑波技術大学卒業後、大手電機メーカー勤務を経て2016年5月よりライフネット生命保険株式会社に勤務。2021年のデフリンピックでのメダル獲得を目指して日々練習に励みながら、聴覚障がい者に対する理解を促すための講演や取材対応など幅広い活動を行っている。

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/香川誠
撮影/村上悦子