(画像はイメージです)

ライフネットジャーナルの運営をお手伝いしているSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSの佐藤です。今回は編集部ブログとして、最近日本でも書店の店頭に並ぶようになった韓国文学から、エッセイを一冊ご紹介します。

「あと2か月で40歳、ダブルワークでがむしゃらに働いてきたけど、いつまで経っても幸せにならない。それどころか、どんどん不幸になっている気がする……」

韓国で25万部超えのベストセラーとなっている『あやうく一生懸命生きるところだった』。その著者は40代を目前にして、会社に辞表を提出したというハ・ワンさん。その後フリーのイラストレーターになるも、昼からビールを飲み、一日中ごろごろするなど、自由な時間を満喫しながら思ったことを語っているエッセイです。

後悔しない人生を送るために、私もちょっと立ち止まって肩の力を抜いて、「自分らしく生きる』ってどういうことなんだろう?」と、ゆるりと考えを巡らせてみました。


「頑張らない者は何事も得られない」「努力なしに得た成功は成功じゃない」

子どものころからこうした声をかけられ、受験勉強に就職活動、働き始めてからはキャリア形成と、激しい競争を経て大人になっていくという韓国社会。

著者のハ・ワンさんは大学受験に3回失敗し、長い浪人生活を経験しました。ようやく一流の美大に入学するもアルバイトに明け暮れ、1ウォンでも多く稼ぎたいとイラストレーターと会社員とのダブルワークに勤しみ、毎日必死で働いても、気分はずっと“負け組”……。でも、一体誰に負けているんだろう? と悩む日々。

そんな苦悩に疲れきった彼が取った選択は、「これ以上正体不明の勝負に負けたくないから、自分の意思とは関係なく一生懸命生きるのはやめる」ことでした。

そう心に誓ってから、まず会社を退職。そこから訪れた、会社に縛られない時間。イラストレーターの仕事も入ってこないし、よく考えてみたら、イラストを描くことがそんなに好きではなかったかも? と気がつき、ハ・ワンさんはこんなふうに思い至ります。

40年経っても平凡な人間のままだし、これまでの人生もドラマなんか一つもなくてつまらないものだった。子どものころ思い描いていた大人とは程遠い。

……あれ? 自分は大した人間じゃないって思ったら、逆に気分が楽になってきたぞ、と。

大きすぎる理想に苦しめられるより、虚しい気持ちになるより、自分のダメなところを認めてみたら、自己肯定感も高まり、初めてありのままの自分を受け入れることができたのだそうです。

 

 私自身を振り返ってみると、小さいころから自分の興味や将来やりたいことが割とはっきりしていて、進路も迷わず突き進んできました。希望を実現できたことは、自分なりに幸せだと思っています。それでも、ついSNSを開いては、「もう少し頑張れば、こんなふうにキラキラした生活が送れたのかな?」なんて、自分を他人と比べてしまいます(それでもSNSをやめられないのが不思議なところです)。

そんなとき、ハ・ワンさんが自分自身に問いかけていた言葉、

「誰かと比べることで、必要もないのに不幸な気分になってしまってはいないか?」

「他人の評価ばかり気になってしまって、キャパオーバーになってしまってはいないか?」

を思い返すと、

他人を気にするよりも、「私はどんなことを基準に『自分は幸せだ』と感じるのだろうか?」と考えるほうが、より大切だと思えます。

その基準は常に揺らぎ変化していくものかもしれません。でも、ハ・ワンさんのように“ありのままの自分”を受け入れることは、もっと自分を好きになるために重要なのです。自分が納得していなくてもとにかく“諦めない”ことを、気が付かない間に一番にしてしまう、そんな息苦しさから少し解放してくれます。

もっとお金を稼ぎたい、もっと美しくなりたいなど、一人ひとりの葛藤に違いはあれど、他人を基準にした理想を求めて必死になりすぎると、自分の人生に苦しみばかりもたらしてしまうのではないでしょうか。

あと何十年も付き合っていく自分の人生。そんな簡単にはうまくいかないし、理想にも正解にも達しないものだと思えば、肩の力が少し抜けるような気がします。「もっと」じゃなく、「ほどほど」がちょうどいいかも。ああ私も、あやうく一生懸命になりすぎるところだった。

 

ハ・ワン(文・イラスト)、岡崎暢子(訳)『あやうく一生懸命生きるところだった』ダイヤモンド社

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文/ライフネットジャーナルオンライン編集部