■表現に対する規制は必要? 映画に個性は必要?

Q:表現における制限は必要ですか。必要ありませんか?

A:あの、一時、学校で服装やカバンの中身をチェックされたりという、いろいろ規制された時代があったの。でも暴力は減らなかった。暴力が減るどころか、あらゆるものを厳しくすると、カバンの中にカミソリ入れてきた人がヒーローになっちゃったりしたから。

だけど、規制がすべて悪いわけではなくて。例えば世界的なスポーツであるサッカーほど不自由なスポーツは無いの。手は使っちゃいけない。でも、その決められたルールのなかでゴールする方法を無限に考えたり、オーバーヘッドをしてみたり、パスのパターンを考えたりする。

そう考えると、自由というのが本当に必要なのかって思う。オレなんか逆にがんじがらめの不自由さの中で、どれだけ(観客を)裏切ってやろうかって思っている。

例えば、子どもに自由に絵を描けと言ったって、子どもは見たものしか描けない。だから想像したものが描けないのであれば、想像させるような条件に自分を追い込むの。1日200円しかない場合、何食べようか想像が働くけど、1万円あれば何でも食べられるわけで(想像力が働かない)。

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Q:僕の映画は個性がないと言われるのですが、映画に個性は必要ですか?

A:個性っておもしろくて、北野組のオレの映画を撮っているカメラや照明さんなんて全然普通の、特別に変わってる人じゃない。だけど、他人の映画を観たとき、照明の当て方やカメラワークで特色がわかるわけ。「(北野組のスタッフに)お前らがやったろ」って言うと、だいたい当たる。

ただ、照明の当て方やカメラワークは“癖”であって、“個性”とは言わないよね。いきなり個性を出すなんて難しくて、何回かやっていくと自然と出てくるもの。だから時代を経ないとわからない。とにかくやり続けることが重要で、続けることで人が個性を見つけてくれると思うし、自分で出そうなんて悩む必要ない。自分で良いと思ったことをやるのが一番いい。


と、まあ、こんな感じでスペシャルトークイベントは進んだのですが、最後に、北野監督から若手の監督に毒舌まじりのエールがありました。

「みんな真面目すぎるよね。映画なんてもっと不真面目でよくて。映画に人生かけ過ぎ。余裕をもって、一歩引いて自分を俯瞰して、常に自分の動き方や考え方を見た方が、追いつめられなくていいと思う。オレも遊びで絵を描いているんだけど、一時何を勘違いしたのか、本気でピカソを越えてやろうと思ったら24時間何も描けなかった。その姿をぱっと引いた画で自分を見たときに、スゴく大笑いしたことがある。

映画を撮るって客観的なこと。だから(のめり込む自分と引いて見る自分を)ちゃんと区別しておかないといけない。映画一筋って人が、日本人は好きだと思うのですが、のめり込んだって当たる映画も当たらない映画もあるし。オレも暴力的な映画ばっかり作っているのは、客が入るから。ほんとはそれもやだなと思うけど(笑)。そういう風な妥協も必要。難しいと思うけど、あまりのめり込むことなく、だけど撮影するときはのめり込んで、メリハリを付けてほしい」。

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