小林:現場に行ってからは、貧困層教育だけをやっていても何かが根本的に変わるのだろうか、という思いがすごく強くなりました。それが2007年くらいのことです。このときはまだ私はフィリピンにいたんですが、主人が日本にいたので毎月日本に帰ってくるたびに岩瀬君と会っては、いろんな話をしていました。

そんな中で「私はこんなことを悩んでいて、今やっていることがちょっと違うような気がするんだよね」と言っていたら、岩瀬君が先ほどお話が出た谷家さんとのディナーをセットアップしてくれたんです。

このご縁のお陰で谷家さんとの出会いがあり、私はそのときに何となくモヤモヤしていた気持ちが、「そうか、学校を作るんだ」と吹っ切れました。そういう気持ちで始まったのが、2008年からのプロジェクトです。

その学校では、リーダーを育てるということで、いろいろな社会のどんな立場でもどんな分野でもいいので、変革やアクションを起こせる、リーダーシップをとれる人を輩出したいという思いでやっています。

■子供たちは親の背中を見ている

14090801_3岩瀬:今ご両親の影響というお話が出ましたが、ご両親とも市役所にお勤めだったということでした。

でも、実はお母様がそのあと市長になられているんですよね。最近の話だったと思います。お母さんからどういう影響を受けたのかということと、何故市長になったのかということを伺いたいと思います。

小林:私は父からも母からも絶大な影響を受けています。父は市役所を40歳で脱サラをして、しかも法学部を出ていたのに物理の勉強をし直して、超精密レーザーの輸入商社を起業するんです。その会社を十数年やったんですが、60歳になって「お祖父ちゃん業に専念する」と言って会社を辞めました。それから3年経ったら「お祖父ちゃん業にも飽きた」と言い出して、63歳でもう一回起業したんですね(笑)。

私に対して「好きに生きろ」と言ったそのまんまで、自分自身も好きに生きているな、という感じです。一方で、母は父のリスクを取り放題で好き勝手に生きた人生を支える地味な市役所の職員だったんです。そもそも福祉がやりたくて市役所に入ったんですね。

うちは別に裕福な家でもなかったので、週末に旅行に行った記憶がほとんどありません。しかし、週末になると多摩川のゴミを拾い、点字教室に行き、ボランティアセンターに行き・・・毎週末ボランティア活動をするのが家族の行事みたいになっていたことを覚えています。

10年前のことなので最近というほどでもないんですが、母が53歳のときだったと思いますが、前職の市長さんが汚職で逮捕されるという事件が起きたんです。東京都の多摩市です。突然選挙ということになり、市民の方々が実家にウワーッと大挙していらっしゃって「選挙に出てほしい」と言ってきたんですね。

私はもう結婚して実家を出ていたので、父親から「お母さんが選挙に出るらしい、絶対無理だ、大反対だ」と電話がかかってきて、私も「やめたほうがいい」と言ったんです。でも、市民の方が何回もいらっしゃって、結局選挙に出てしまったんです。それで候補者が5人立ったんですが、結果的にぶっちぎりで当選させていただいた(笑)。

30年間ボランティア活動をしてきたので、知っている市民の方の数が半端ないんですよ(笑)。たくさんの市民の方々をフェイストゥフェイスで知っているので。そういう人たちが投票してくれたというだけの話だと思うんですが、そういう経緯で市長になったということです。

岩瀬: 僕は親の影響ってすごく大きいと思っています。自分自身の例で言うと、父親がサラリーマンをずっとやっていましたが、彼は勉強がとても好きな人でした。語学の勉強が好きで、社会人になってから会社の研修で台湾と香港に1年ずつ行っていたのですが、いつも中国語を勉強していました。

でも、全然喋れなくて。チャイナタウンに行って中国語をひけらかそうと思って喋ったら、北京語じゃなくてお店の人はみんな広東語で、結局英語で会話したとか(笑)。
ただ、子供の頃の風景として、父親がダイニングテーブルでメガネのツルをかじりながら一生懸命語学の勉強をしていた姿を覚えているんです。だから、僕は「勉強しろ」と言葉で言われたというより、そういう父親の背中を見ることで育ってきたのかな。たぶん口で言うよりも、子供たちは親の背中を見ているんだな、ということを思いました。

(後編に続く)

<プロフィール>
小林りん(こばやし・りん)
インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)代表理事。経団連からの全額奨学金をうけて、カナダの全寮制インターナショナルスクールに留学。大学では開発経済を学び、前職では国連児童基金(UNICEF)のプログラムオフィサーとしてフィリピンに駐在、ストリートチルドレンの非公式教育に携わる。2007年に発起人代表の谷家衛氏と出会い、学校設立をライフワークとすることを決意、2008年8月に帰国。1998年東大経済学部卒、2005年スタンフォード大教育学部修士課程修了。世界経済フォーラムが選ぶ 「2012年度 ヤング・グローバル・リーダーズ」として表彰される。2013年には、日経ビジネスが選ぶ「チェンジメーカー・オブ・ザ・イヤー」受賞。

※2014年6月30日 現代ビジネス「賢者の知恵」より