ミヤザキケンスケさん(画家・壁画アーティスト) (撮影/横田達也)

■ロンドンでは見つからなかった答えが……

──ミヤザキさんは壁画アーティストとして、世界の係争地や社会問題を抱える地域で、学校などの壁に、現地の子どもたちと“スーパーハッピーな絵”を描くプロジェクトを続けておられます。最初のプロジェクトは2006年、ケニアで始められたのでしたね。

ミヤザキ:はい、キベラスラムという100万人が生活すると言われるケニア最大のスラムの学校の壁に描きました。

──きっかけは何だったんですか。

ミヤザキ:僕は筑波大学芸術学部の大学院を修了後、ロンドンでアート活動を始めました。「成功したい」「海外で爪痕を残したい」と思って行ったんですが、向こうで美術大学に入ったわけでもなく、ストリートのライブペイントする人達のグループに入って活動していました。

でも、そこでやっている人たちは自分とは全然、質が違う、“根っからのストリートな人達”なんです。僕も日本ではそういう系統の絵を書いていたんですが、本物を見てしまったというか(笑)。

自宅のアトリエにて(撮影/横田達也)

──どこが違うのでしょう?

ミヤザキ:彼らは社会や世界に対して、かなり怒っているんですよね。それを表すために、画を描かずにはいられない。それに比べると僕は、ややファッション的というか、表現方法としてかっこいいと思ってストリートで描いている感じだったので、内から吹き出てくるマグマのようなものが足りないと感じました。「じゃあ、自分には何が描けるんだろう?」と迷い始めて……。

ビザの関係で、僕がロンドンにいられるのは2年間でした。「手応えを得られないまま日本に帰ってもしかたがない。最後に日本に帰ったら絶対できないようなことをしたい」と思いました。そんな時、キベラスラムのドキュメンタリー番組をテレビで見たんです。

「これは今いる場所とは全く違う世界だ。こういうところで自分に何ができるか行ってみたい」と思い立って、現地の学校を運営するサポートをしていらした日本人の方にロンドンからコンタクトを取り、その方と繋(つな)がることで、スラムの中に入れて頂きました。

ミヤザキさん特製、世界で一つだけのペイントシューズ(撮影/横田達也)

■ケニアで「描いた絵を消してくれ」と言われて……

──ケニアにはどれぐらいいらしたんですか。

ミヤザキ:ロンドンを出発したのが2004年8月、ビザは9月まででしたから、1か月ケニアにいました。僕は以前、テレビのリアリティ番組に出演して、海外で壁画を描いたことがありました。それでケニアでも学校の壁に画を描き出したんですが、入り口を作ってくれた日本人の方がすぐにいなくなってしまって、その後は、現地の人たちの中に完全に僕一人に……。

──ロンドンでストリートペインティングするより厳しい状況ですね

ミヤザキさんの壁画プロジェクトより。2017年7月にはウクライナで活動を行った。2014年のウクライナ騒乱以降、国内避難民を多く受け入れているマリウポリ市の学校の壁に、ウクライナの童話『大きな手ぶくろ』の絵を描いた(撮影/Changhun Lee)

ミヤザキ:そうですね。よりハードな負荷がかかりました(笑)。自分なりに、「一緒に画を描いて、最後はみんなで仲良くなる」というゴールを想像していたんですが、現実はそうならなかったんです。

ずっと壁にドラゴンの絵を描き続ける僕に、子ども達は全然話しかけもしませんでした。僕もそれまで子ども達と何かしたことがなかったし、にこやかに相手に話しかけることもせず、ただひたすら壁に向かっていました。そのうち、ふっと険悪な何かを感じ取ったんですよ。「全然、歓迎されてないな」とわかったというか。

そして、学校の先生に呼ばれて「このドラゴンの絵を消してほしい」と言われました。「どうしてですか」と聞くと、僕の描くドラゴンの絵が怖すぎて子ども達が学校に来れなくなっていると、生徒の親たちがすごく怒っているというんです。

──そんなに怖い絵だったんですか?

ミヤザキ:きっと、僕の鬱々とした深層心理がそのドラゴンの絵に出ていたんでしょうね。それとドラゴンという空想上の生き物がケニアではあまり知られていなくて、僕が蛇を描いていると誤解された。蛇には呪術的な意味合いがあるのか、「とにかく絵を消してくれ」ということになり、これはすごくショックでした。今までに自分がアーティストとして表現したものを「消してくれ」と言われたのは初めてでした。

高さ10メートルの足場を組んで、絵を描くミヤザキさん達を眺める人々。この数キロメートル先はいまも戦闘が行われている警戒地域(撮影/小野慶輔)

ただ、学校の壁は公共のものです。僕はすぐにいなくなるけど、彼らはずっとここで生活していく。ならば、やっぱり彼らが喜ぶものにしないと意味がないよな、と思い直して……ドラゴンは全部消して、こんどは「何の絵を描いたらいいですか?」と聞いてみました。

子どもたちが好きだというライオンにモチーフを変えて、再度、壁に描き始めたんですが、その時点ですでに3週間ぐらいかかっていまして(笑)。ドラゴンの絵はめちゃくちゃ大きかったんですよ。全長10メートルぐらい。

──それはドラゴンじゃなくても怖かったかも(笑)。

ミヤザキ:最終的に時間が足りなくなったので、みんなが手伝ってくれました。そうすると、だんだん仲良くなってくるんです。僕が出発する日に、やっとのことでみんなの力で完成させて、「良かったねえ」とみんなで喜びました。この経験は大きかったですね。

でき上がった壁画をみなさんにご披露。2017年は日本とウクライナの外交関係樹立25周年にあたり、国連のUNHCR(難民高等弁務官事務所)の協力のもと、シリアをはじめ、世界各地の難民の子どもたちもミヤザキさんのさんの壁画プロジェクトに参加した (撮影/小野慶輔)

■みんなと描くプロセスを楽しむのもアート

──その時、ミヤザキさんは何歳ですか?

ミヤザキ:26か27歳でした。このケニアでの体験で、ずっと自分が探していたやるべきことがかすかに見えてきました。「自分ができることは何だろう?」と考え続けてきたけれど、日本でずっとアート教育を受けてきて、「アートとはこうあるべきだ」という固定観念が、自分に染み込んでいたのでしょうね。

たとえば、絵というものは、最初から最後まで自分が描かなければいけないと思っていましたが、ケニアではそういう考え方とは別の達成感や相手に受け容れられることへの喜びがありました。それまでの絵に対するアプローチとは異なるヒントを得られたことは僕にとって、大事な経験になりました。

──その感覚は子どもたちと一緒に絵を描いている過程で生まれたものですか? それとも、でき上がったものから受ける感覚ですか。

ミヤザキさんが最初に描いた枠に、子ども達が絵を描いていく

ミヤザキ:そうですね。絵に関して、結果は結果として残るものがあると思っていますが、ただ、ケニアの時は「アートってそれだけじゃないな」と思いました。その感覚は、自分が一生懸命描いたドラゴンの絵を消したところから始まっていて、龍を消して生まれたすべてのプロセスが、この絵の良さなんだと思えたというか……。

絵の出来としては、1週間という短期間で描き上げているので、いま見れば、「これが僕の代表作です」と自信を持って言えるような絵柄ではないんです。でも、自分にとってはすごく大事な絵で、同じことをあの時、あの場にいてくれた全ての人たちも共有できたと思います。そういう意味では絵を描くプロセスもすごく大事だということですね。

■「スーパーハッピー」の誕生

──ミヤザキさんの壁画はどれも色彩が明るくて、見るだけで気分が華やかになりますが、スーパーハッピーになる前の絵はどういうものを描いておられましたか。

ミヤザキ:わりと暗い絵を描いていました。ストリートのカルチャーに惹(ひ)かれていたので、音楽もパンクロックが大好き。反体制じゃないですけれど、世の中に対してちょっと斜めに構えて眺めてみたり……学生の時は攻撃的な絵を描いていましたし、ロンドン時代もそのままの画風を引きずっていた感じですね。

初めは警戒していた子どもたちも、だんだん心を開いて、笑顔を見せてくれるようになった

──そこから、スーパーハッピーに行ったのは大きな転換ですね。

ミヤザキ:30代に入ってからは、自分でも「ハッピーで行こう」と思っていたものの、ただの楽しい絵、明るい絵と思われるのはどうかなあ、とまだ半信半疑でいました。それまでのダークな作風からハッピーに切り替えました、とはっきり言えなくて、2つのサインを使い分けしていた時期も結構長かったんです。

──明るい絵を描くときと、ダークな絵を描くときとでサインも違う?

ミヤザキ:そうですね。2010年に2度目のケニア、2014年に3度目のケニアと、世界の壁にハッピーな絵を描くプロジェクトも同時並行で続けていたのですが。

「貧困や紛争、犯罪……一見、ハッピーの種が見つからないように思える場所にも、みんなで力を合わせれば、ハッピーの種を芽吹かせることができることを追求していきたい」

──ダークな方が自分の作品だという気持ちがおありになったのでしょうか。

ミヤザキ:ダークじゃないとアートとして薄っぺらいと思われてしまう、闇の部分が人の心を打つものだ、と思っていたんですね、きっと。それも固定観念に他ならないんですが、そこから「スーパーハッピーは自分の作品です」と心から言えるまでには相当な時間がかかりました。

その転換のきっかけになったのが、大手広告代理店に勤務する友人が、僕のことを世に送り出そうと力を貸してくれたときに、ミヤザキケンスケのアートを一言で言い表す言葉として、「スーパーハッピーっていいんじゃない?」って提案してくれたんです。

自分では自分のことはよくわからないですからねえ。その時はピンとこなかったんですが、じわじわと「ああ、的を射てるなあ、いい言葉だなあ」とすとんと腑に落ちて。

──どこが気に入りました?

ミヤザキ:ただのハッピーだったらそうでもなかったと思うんですけど、スーパーいうことですから、「もう半端じゃない」っていうことですよね(笑)。スーパーが付いたことで、それまでのいろいろなこだわりを一切、振り切ることができました。これはそんなに昔のことではなくて、5年ほど前のこと、30代中盤ぐらいだったと思います。

 

(つづく)

ミヤザキケンスケさん(撮影/小野慶輔)

<プロフィール>
1978年、佐賀県生まれ。筑波大学修士課程修了後、ロンドンに渡り、アート制作を開始。2006年に始めたケニア最大のスラムの学校の壁に子ども達と絵を描くプロジェクトが注目を集め、世界中に壁画を残す「Over the Wall」を主宰するように。2016年の東ティモール、2017年のウクライナに続き、今年8月、エクアドルの女性刑務所などでプロジェクトを実施

OVER THE WALL ~世界壁画プロジェクト~
ミヤザキケンスケ公式ウェブサイト

<クレジット>
取材・文/樋渡優子

Powered by ライフネット生命保険

人生と仕事とお金について考えるメディアライフネットジャーナル オンライン 公式Facebook