クリティカル・シンキングを学ぶクラス「MOVING MINDS」のひとこま

クリティカル・シンキングという言葉をご存知でしょうか? もともとは認知心理学の分野から生まれた言葉で、近年はビジネスの領域においても注目されています。

クリティカル・シンキングは日本語で「批判的思考」とも訳されており、ざっくりいうと、ある課題について考える際に、「そもそも、その考え方は正しいのか?」という根本的なところから問い直して発想する思考法といえるでしょう。

しかし、クリティカル・シンキングはビジネスでも大切だとされているものの、「ロジカル・シンキング(論理的思考)とは何が違うのか?」「批判的に考えるとはどういうことか?」など、その正しい使い方や概念がつかみづらいものでもあります。

そこで今回は、ダンスを通じてクリティカル・シンキングを学ぶ「MOVING MINDS」という教育プログラムを開発した、ケイト・ジュエットさんとエリザベス・ジュエットさんのお二人をライフネット生命の社内勉強会にお招きし、日本では初となる企業研修を行っていただきました。

■クリティカル・シンキングの講座でダンス?

お名前からもわかるように、ケイトさんとエリザベスさんは実の姉妹。ケイトさんはブロードウェイを中心に活躍するだけでなく、ダンスを教育につなげる活動にも熱心に取り組んでいるプロダンサーです。

左:ケイト・ジュエットさん、右:エリザベス・ジュエットさん

一方、妹のエリザベスさんはコロンビア大学でクリティカル・シンキング研究の世界的権威であるディアナ・キューンさんのもとで学び、認知心理学のPh.Dを取得されています。

そんなお二人がクリティカル・シンキングを、より本質的に理解し、身につけるためのプログラムとして生み出したのが「MOVING MINDS」です。座学や、書籍を読むだけでは深く理解するが難しいクリティカル・シンキングについて、実際にカラダを動かし、語り合い、考えることで現実の場面で「使える」感覚を高めていくことができます。

ひと言で表現すれば「ダンスを使ってクリティカル・シンキングを学ぶ講座」ですが、実際に行われるプログラムは、「ダンスを学ぶ」イメージとはかなり違います。この日のテーマはクリティカルシンキングを学ぶ第1のステップである「コミュニケーション」。「MOVING MINDS」には、5つのステップがあり、各テーマを腹落ちさせるために「ダンスを学ぶプロセスを使う」ということだからです。

この日の重要なポイントは相手との「対話」です。目をつむったパートナーの手を取り、自由に進む方向を導いていく。手を合わせて、互いの動く圧を感じながら動きをシンクロさせていく。全員が一列に並んで、感覚だけを頼りにまっすぐ歩く。ごく簡単なルールに従って、個人が作った短い動きをグループでつなげて、一つの振り付けとして組み立てていく……。最終的には全てのグループの動きが組み合わさって、ひとつの作品を作り上げます。そこにはダンスの経験もセンスも必要ないので、とても不思議な感覚です。

最初はぎこちなく踊っていた社員たちも、次第に心がほぐれ、やがて全員が心を解き放ってプログラムに取り組んでいきました。「コミュニケーションはクリエイティブな行為だとわかった」「相手に対する思いやりや想像力がなければ、全員が一体にはなれない」といった感想が参加者から聞かれたように、「コミュニケーション」の本質を、言葉ではなく、カラダで感じ取っていったようです。

しかし、ケイトさんとエリザベスさんが行っていることは、一般的なクリティカル・シンキングのイメージとはかなり違うように感じられます。なぜ「ダンス」が重要なのでしょうか? そんな疑問をぶつけると、お二人はクリティカル・シンキングについて、多くの人が抱いている間違いについて説明してくれました。

■「わかった気になっている」言葉を体感で捉える

──このプログラムは何を鍛えるために開発されたのでしょう?

ケイト:このプログラムのゴールは2つあります。一つ目は身体的な知性(physical intelligence)を高めること。クリティカル・シンキングを「スキル」として捉えてしまう場合、私たちはものごとを順序立ててどのようにやるべきかを考えることだと捉えてしまいがちです。実際には人間は、頭で考えるだけでなく、体のさまざまな感覚を使ってものごとを捉えているのです。例えば、コミュニケーションをとるとき、自分と他人との間の関係の中で、何が生じていることを観察して感じるということがほとんどありません。だからダンスを通じて他人の気持ちを体感することで、直感を磨き、目の前のことだけでなく全体的な空間や雰囲気を把握する能力を高めていくことが必要なのです。

2つ目は知識に関することです。私たちは知っておくべきとされている知識を言葉として聞いて、何となくその意味をわかった気になっていることが多いものです。「コミュニケーション」や「コラボレーション」といった言葉がそうですね。その捉え方は人によってまちまちである場合が多いことにも気がつきません。そうした概念を、ダンスという体を使った協同作業をすることによって捉えると、その言葉が意味することが本当は何であるのかの共通理解ができるようになります。

──「MOVING MINDS」では5つのテーマでプログラムが進んでいきます。コミュニケーション、コラボレーション、クリティカル・シンキング、クリエイティビティ、コンフィデンスの順番ですが、これら近年のビジネスにおいて大切だといわれている概念について、より直感的に本質を理解できるようになるということですね。

エリザベス:さらに「MOVING MINDS」には異なる文化の人々を引き合わせる力もあります。たとえば普段はあまり交流のない部門の人々が集まっている場合でも、一定のルールに従って「一緒に踊る」という状況を通して、すぐに安心して親しくなることができます。なぜなら、このワークショップには正解も不正解もないからです。

──今回の光景を見ていても、踊り方の正解を指示するわけではなく、やることだけを示して、あとは参加者の自由に任せていました。

エリザベス:誰もが公平な立場であるというのが「MOVING MINDS」の特徴です。これは年齢が離れていたり、バックグラウンドが違う人々をつなげる際にも非常に効果的です。同じ場面を見ていても、人によって見えているものや気づきが違うことがあります。そのためにも、違う視点を持った人が共に働く(コラボレーションする)ことが必要です。多様性があることで、観察をして事実を集めるときの情報量や質が人によって格段に違うということも、プログラムの中で学ぶポイントです。

■ロジックはコンピューターが担うようになる

──クリティカル・シンキングとロジカル・シンキングの違いについてはいかがでしょうか? 日本ではクリティカル・シンキングが話題となっていますが、しばしばロジカル・シンキングとの違いがわかりにくいと言われています。


エリザベス:クリティカル・シンキングはロジカル・シンキングよりも難しい面があります。なぜなら、現実的の世界で起きることは、多くの場合、ロジックを組み立てる以前に、ロジカルとは言えないような事実を集めることからスタートしなければならないからです。ロジカル・シンキングはAならB、それならCという論理が成り立ちますが、クリティカル・シンキングではそもそも何が起こっているのかをいろいろな方法で観察し、疑問を抱き、質問する力、課題を発見することが求められます。

これはアメリカでも同じなのですが、ロジカル・シンキングのほうが合理的に考えていけば明確な答えが得られるので、取り組みやすいと思われています。一方、クリティカル・シンキングはパズルを解くことよりも、手元の情報を最大限に活用し、できるだけベストな答えに近づくことを目指します。

ケイト:ロジカル・シンキングはコンピューターが人間に代わってできるようになりました。しかし、クリティカル・シンキングはコンピューターにはできません。そこでは問題を解くだけではなく、情報を読み取って解釈することが求められるからです。コンピューターは計算はできても、感じたり観察したりということはできません。この能力に関しては、人間にとって代わることは難しいと思います。

エリザベス:クリティカル・シンキングでは人々の間、情報の行間を行き来する非言語的な情報を理解するために、観察や感覚を活用していきます。しかし私たちは、人間にこうした優れた能力が備わっていることを普段は自覚していないのです。

──だから、ダンスという非言語的なコミュニケーションを通して、観察や感覚の持つ力を自覚させようとしている?

エリザベス:そうです。例えば、部屋に入って、その場にいる人たちにどのように語りかけたら全員をリラックスさせることができるか? それは状況を感じ取って理解したうえで初めて可能になります。コンピューターにはまだまだ同じことができそうにありません。だから「MOVING MINDS」では、最初にコミュニケーションというテーマを置いています。観察し、感じ取り、それを伝え合うことがクリティカル・シンキングには欠かせないのです。

■必要なのは自分の意見を外の世界に出す勇気

──「MOVING MINDS」の5つのテーマは、お二人がオリジナルで考えたものですか?

エリザベス:私の指導教授であるディアナ・キューンがモデルを開発し、そこから私たちで「MOVING MINDS」というプログラムを作り上げていきました。「MOVING MINDS」という名称は言葉遊びのようなものです。カラダを動かすのに加え、意識を前進させて、より明確にものごとが見える場所に行くという意味が込められています。私はそれを上方向への移動とイメージしています。それに「MINDS」と複数形であることも大切です。これは複数の人たちによるコラボレーションであることを意味しています。

──「コミュニケーション」「コラボレーション」「クリティカル・シンキング」「クリエイティビティ」と順番に学んでいき、最後に「コンフィデンス(自信・確信)」へと至る点が興味深いです。なぜ、クリティカル・シンキングにおいてコンフィデンスが重要だと?

エリザベス:クリティカル・シンキングのすべてのプロセスをたどるためにはコンフィデンスが必要ですし、何かを作ったとしても、それを世に出すためのコンフィデンスがなければ、自分の中だけで終わってしまいますよね。ここで言うコンフィデンスとは、言い換えれば「リスクを取る力」のようなものです。自分自身の中にあるアイデアや意見を外の世界に出す勇気を意味しています。

──お二人が言う「コンフィデンス」とは「自己肯定感」のようなものでしょうか?

エリザベス:それは近いですね。特に現代はSNSで簡単にアイデアを発信できますが、2秒後に称賛を受けることがあれば、批判されることもある。どちらの可能性も常に存在しています。それを避けようとするのではなく、現実を受け入れて、自分を止めてしまわないこと。多くの批判を受け入れるためにはコンフィデンスが必要であり、それがなければ問題の解決はいつまでも実現しないのです。

ケイト:批評を準備ができているという意味でも、コンフィデンスは必要だと思います。芸術においては、ときに一般的な美しさとは違うような、あるいは誰も見たことのないようなものを作り出すことがあります。そういった「普通ではないもの」を作り出すと、周囲の人はすぐに受け入れられないという反応を示す場合があります。

ビジネスでも誰かが新しいソリューションを提案すると、「そんなのは聞いたことがない」とネガティブな反応をされることがあるでしょう? だから、それに負けないためのコンフィデンスが必要なのです。

科学の歴史を振り返ると、新しい発見をした多くの科学者たちも、最初は変人扱いされたものです。今では、常識になっているような事実であっても、その当時は人によっては投獄されたり、仕事を失ったりしました。つまり、オリジナルであったり、新しいものは、現実にリスクを取ることを意味します。そしてコンフィデンスの土台がなければ、そのリスクを取ることはできないでしょう。

■答えのない問いに向き合う力

──お話を聞いていると、クリティカル・シンキングとは「答えのない問い」に向き合っていくための武器なのではないかと感じます。「答えのない問い」に向き合うことは、とてもハードな作業です。そのときコンフィデンスが、心の拠り所となっていくということではないでしょうか。

エリザベス:まったくその通りです。答えがAかBかCかなどと決まっている場合に、それを選ぶことをリスクと捉える人はいないでしょう。まだわからないものに向き合うためにも、コンフィデンスが必要なのです。それにAかBかCか選ぶような問いこそ、これからコンピューターが担っていきます。答えのない問いに向き合う力、すなわちクリティカル・シンキングは、これからの人間にとってますます重要になるでしょう。

──だから、お二人はプログラムにダンスを取り入れ、観察力や感覚を磨いていくことを推奨しているのですね。もしAI(人工知能)が発達し、ロボットが人間のように動けるようになったとしても、今回行ったようなダンスはできないかもしれない。

ケイト:最近、ロボットが人間の腕と同じような動きをするために必要なことについて書かれた本を読んだのですが、まだ技術的に近づいてすらいないということでした。いずれできるようになるかもしれませんが、ロボットには状況やコンセプトを把握することができません。

近年、人はよりロボット的になろうとしている傾向があるように思いますが、本当によくない考え方だと思います。私たちはロボットができないことをどんどん得意にしていく努力をするべきだと思うのです。

<プロフィール>
ケイト・ジュエット
ノースカロライナ美術大学を卒業後、ニューヨークのマース・カニングハム舞踊団の研修生を経て、北京オリンピック開会式で振付を手がけたシャン・ウェイのダンスグループに参画。2009年にリハーサルディレクターとなり、コンテンポラリーダンスの踊り手としてだけでなく、ヨーロッパ、アジアなど世界各国でダンスワークショップを行ってきた。また、ダンスを教育とつなげる活動にも取り組み、ニューヨーク市の公立学校やドルトンスクールなどの私立学校で教育ディレクターとしてプログラムを作り、実践している。現在、Watusi Regime という名のアート集団を自ら立ち上げ、ニューヨークを中心に活躍中

エリザベス・ジュエット
2014年コロンビア大学ティーチャーズカレッジでPh.D取得。批判的思考研究についての世界的権威ディアナ・キューンの下で、課題解決をベースとした「議論する学び」について研究を進めるとともに、ニューヨーク、シカゴを始め、中南米など世界各国で自らカリキュラム開発と教育実践を行っている。最近では、シカゴのモンテッソーリスクールにおいて教師として教室に入りながら、ThinkCERCAの研究コンサルタントとして教員研修プログラムの開発に取り組んだ。またアメリカ国務省から派遣されたバイリンガル教師としてESL教室での問題解決に関するワークショップをキューバの教師とともに実施した

<クレジット>
取材・文/小山田裕哉
撮影/村上悦子