前野隆司さん(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授、同大学ウェルビーイングリサーチセンター長)

人はどのようなときに幸福だと感じるのでしょう。幸福になるためにはどんな点に注意し、何を意識すればよいのでしょう。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授の前野隆司さんは、人間の幸福のメカニズムを心理学・統計学・科学の手法を使って研究する幸福学の第一人者。幸福に関する過去の研究成果を統合し、人が幸せになるための4つの因子を導き出しました。

果たして「幸せの4つの因子」とは? 職場や家庭、人間関係に応用できる幸福学の真髄や応用方法を前野先生が熱く語ります。これを読めばあなたも幸福になれる!?

■ヒューマンマシンインターフェースから幸福の研究へ

前野先生はかつてキャノンの研究者としてカメラのモーターを作る仕事に従事していました。モノづくりの最前線からアカデミズムの世界に足を踏み入れたのが1995年。慶應義塾大学の機械工学科の教員募集に応募し、ロボットの研究をスタートします。

「ロボットといってもヒューマノイド型ではなく、人とアクセスするときロボットはどうふるまえばいいのかという研究です。得意なアクチュエータやセンサーの技術を使って、13年間、ヒューマンマシンインターフェースの研究に明け暮れていました」

慶應義塾大学が新たに開設した大学院 システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科に移ったのが2008年。システムデザインとは、情報、通信、メディア、ハードウエア、サービスから人間、組織、社会、地球環境までをすべてシステムととらえ、全体と部分の関係性を見ることで、ものごとを新たにデザインしマネジメントしようという学問。前野先生はこの新たな実践的学問体系の領域で幸福についての本格的な研究を始めます。

「幸福学というのは心理学。心理学をうまく駆使することで、人やロボット、会社の組織、製品・サービスをより幸福にするにはどうしたらいいかを日々研究しています」

■幸福になるには「わかって、測って、気をつけること」

では幸福学とはどのような学問なのでしょう。幸福を英語で表せば「ハッピー」。しかし、前野先生は「幸福」と「ハッピー」は似て非なるものだと語ります。

「幸福な人生とハッピーライフというのはかなり意味が違います。『ハッピー』は『happen(起きる)』と語源が同じ。短期的な心の状態を表す感情なんですね。一方、『幸福』は感情ではなく、『ある状態』を指す。人間関係が良好で、夢や希望があって、長期的な意味で『ハッピー』であれば、それが『幸福』です。『ハッピー』よりも、健康と幸福を含む言葉である『ウェルビーイング』のほうが幸福に近い。海外で研究が進んでいる『ウェルビーイングアンドハッピネス』が幸福学に近い概念ですね」

幸福についての研究はかつては哲学者と宗教家の専門領域でした。しかし、心理学者がそこに科学のメスを入れ、幸福と年収の関係、幸福と健康の関係など、さまざまなアンケートを取り、幸福を高精度で測り始めました。

「有名なのが、イリノイ大学名誉教授のエド・ディーナー博士が開発した『人生満足尺度』(SWLS)です。『幸福ですか』と聞くのではなくて、『あなたの人生は理想に近いですか』等と問いかけた5つの設問に対し7つの中から回答を選択していくことで、長期的な幸福度が測れる。世界中で使用されているスタンダードな尺度です」

日本人1,500人にこのSWLSを実施すると、きれいに正規分布するのだとか。平均は19点ぐらいだそうですが、もしSWLSで幸福度を測り、いまの自分が幸福ではないとわかったら? それこそが次へのステップです。

「健康になろうとするときには、健康についての知識を蓄え、まず自分が健康なのか不健康なのかを測った上で、運動をする、食事を改善するといった対策を取りますよね。幸福もそれと同じ。まずどうすれば幸福になるかをわかって、測って、気をつけること。この3段階が必要です。測るときにはSWLSだけでは不十分。健康も、体重や中性脂肪、視力などいろいろ測るじゃないですか。幸福も多面的に測ることです」

■年収が上がっても幸福にはなれない!?

幸福に関しては、さまざまな統計結果が発表されています。例えば、健康、創造性、感謝の気持ち。それらと幸福との相関関係を見ることで、どのような点に注意すれば、幸福度が上がっていくかがわかるのです。

「健康は幸福に影響しますし、幸福は健康に影響する。ともに因果関係があるんですね。感謝している人は幸福だという統計もあります。笑顔を作って口角を上げると免疫力が高まって健康になり、健康になると幸福度が上がるので、笑顔も幸福との相関関係があるんですよ」

心が調和している、適度な教養がある、まわりと比較しない、他人がどうであれ自分はこうだと考える──。これらもまた幸福の重要な要素です。興味深いのが、ノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学の心理学者、ダニエル・カーネマン教授の研究です。

「幸福度は年収7万5,000ドルまでは収入に比例して増えるものの、それを超えると比例しなくなるという統計です。お金さえあれば幸福だと考えられがちですが、あるところを超えるとそうではなくなるんですね」

年収が上がればもっと幸福になるに違いない、と考えるのは、カーネマン教授によれば「フォーカシングイリュージョン」。ある特定の状態に幸福の分岐点があると信じ込んでしまう偏向性を指します。お金があれば幸福になるというのは、思い込みから生じる幻想なのです。

■幸福を感じるのはどんな人?

一方、自己肯定感が高い人は幸福度が高いという研究結果も出ています。

「幸福というと、何やらお花畑で寝転がったり、温泉につかったときのようにぼんやり感じるもののように思う方は多いのですが、実は『自分はできる』という自尊心がある人の方が幸福なんですよ。やりたいことの目的が明確だったり、感謝する人も幸福度が高いです」

世界中で行われてきた、幸福や心理学に関するさまざまな研究。前野先生はこれらを集め、因子分析という手法を駆使して幸福の鍵を握る4つの因子を求めました。

「多くの心理学者によって、心の状態によって幸福度が影響されることがすでにわかっています。そうしたたくさんの要因を因子分析をして求めたのが4つの因子。色は、たくさんの種類があるように見えて、実は赤青黄という三原色ですべて表せます。幸福も同じようにすべてを表せる独立した概念を求めました。いわば、幸福の4原色ですね。職場でも私生活でもこの4つを満たす生活をしていけば幸福になれますよ」

さて、その4つの因子とは!?

(つづく)

<プロフィール>
前野隆司(まえの・たかし)
1962年山口生まれ。1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、1986年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社に入社。1993年博士(工学)学位取得(東京工業大学)。カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、慶應義塾大学理工学部教授、ハーバード大学客員教授等を経て、2008年に慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント(SDM)研究科教授。2017年より慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長兼任。「思考脳力のつくり方」(角川新書)、「幸せのメカニズム」(講談社)など著書多数。

<クレジット>
取材・文/三田村蕗子
撮影/横田達也