南スーダンにて。 小口隼人さん 右から2番目

世界の紛争地域等で支援活動を行う人たちは、なにも医師や看護師といった職業の方ばかりではありません。必要な物資を調達し、現地の人に届けるロジスティシャンという重要な役割を担っている人もいます。そのロジスティシャンとして、国際人道支援の最前線で10年間も活躍し続けている小口隼人さんに、オンラインで実施したインタビューの後編です。 (前編はこちら)

■もやもやした大学時代から人道支援の世界へ

──世界の係争地や被災地で、物資の調達や場所の設営などを担当するロジスティシャンとして働かれている小口さんですが、高校生の時、サッカー選手になる夢をあきらめて大学に進学、サッカーほど打ち込めるものが見つからないまま、大学3年の時にアメリカに留学して、必死に勉強したそうです。前回はそこまでお話をうかがいました。

小口:あらためて話すのは照れますけどね(笑)。うちの父は神奈川県相模原市で小児科の開業医をしています。父はとてもアクティブで、日々の診療のほか、最近は障がいのあるお子さんを持つご家族がゆっくりとくつろげる場所を山梨県北杜市に作る活動をしています。子どもの頃から山登りとかいろいろなところに連れ出してくれました。

僕は男3人兄弟の一番上なんですが。大学時代、「自分のすべきことを何とか見つけなければ」と考えた一つのきっかけは、いろいろありますが、一歳下の弟が別の大学で農学の勉強をしていたり、僕の親友が経済を勉強していたり、と彼らは方向性が定まっていました。それに対して、僕は漠然として方向性すら見えていませんでした。彼らと自分を比べて、駆り立てたところもありました。

──人道支援の世界に入ろうと思った直接のきっかけは何ですか。

小口:ボツワナでボランティアをした時、「公衆衛生に携わる仕事をしてみたい」と思いイギリスの大学院に入ったことです。その時、最初に仲良くなったイタリア人とフランス人の友人2人が、国境なき医師団や他の国際人道支援団体で活動した経験があったんです。

こう言ってはなんですけど、別のことでは結構いい加減というかイージーな奴らが、そういう社会貢献に取り組んでいる、しかも、授業中の彼らの発言は現場での経験を踏まえてのものだったので、とても面白い。そんな彼らに、「国境なき医師団のような団体は医療スタッフ以外の人材も募集しているからどうか?」と薦められ、「ああ、こういう道もあるんだな」と思いました。
彼らのうち一人は、現在は赤十字国際委員会(ICRC)で働いており、もう一人はユニセフで働いています。

小口隼人さん 赤十字国際委員会(ICRC)・国境なき医師団(MSF)ロジスティシャン

■梱包技術は世界一!?

──小口さんは、自分がこうすると決めたら、それを実行する意志の強さを感じます。自分が他の同僚より優れていると思われる部分はありますか。

小口:ここしばらくはやってないんですが、世界中から集まるロジスティシャンの中で、自分よりうまい奴はいない、と自負しているのが、荷物の梱包やトラックへの積み込みです。これは学生の頃、大手の宅配業者で引っ越しのアルバイトをしていたことが、現場で役に立ちました!(笑)

ロジスティックの輸送の仕事では、荷物の梱包のしかた、トラックへの積み込み方が非常に問題になります。たとえば、病院で使用する洗濯機や乾燥機を輸送するとき、積み方が悪かったために、目的地に着いて開けてみたら、蓋(ふた)や部品が壊れていたということでは、もう取返しがつきません。梱包の仕方ひとつで破損が出て来ます。梱包して、輸送時にできるだけ動かないよう積み込む。これが基本です。

それに、荷物のことはセキュリティーに直接、関係してくるんですよ。

──どんなところがでしょう?

小口:荷物をトラックに積み込んで、もしも輸送中に途中で荷崩れを起こしたり、荷物がグラグラしてトラックの速度が落ちたりすると危険なんです。万が一にも立ち往生するなどということは、絶対に避けなければなりません。

紛争地などで車のスピードが落ちたり、立往生している間に、こちらが運悪く危険な目に遭わないとも限らない……。国境なき医師団や赤十字国際委員会(ICRC)のような国際人道支援団体のマークを付けた人や建物、車両は、国際法上、攻撃してはいけないことになっているんですが、それでも念を押すに越したことはありません。

実際にあった話で、このような対策をしていたにもかかわらず、荷物を運んでいる道中にトラックが故障してしまい、立往生。そのタイミングで銃撃戦が始まってしまい、トラックに流れ弾が当たってエンジンを直撃したため、トラックが完全に故障してしまったことがありました。

──平時ではない状況下でのことですからね。

小口:もちろん、不可抗力的にそういう事態が起こることもありますが、荷物の梱包、積み込み方という基本的な部分をきちんと押さえておけば、取らなくてもいいリスクを避けることが出来るという例としてお話ししました。

人道支援の現場では、どうしても避けようのないリスクがあるんですけれども、取らなくてもいいリスクはできるだけ取りたくないですよね。

■現場で問題が起きたときは基本に戻って考える

物資の正確な調達・運搬・保管はロジスティシャンの仕事の大切な部分(2011年、スリランカにて)

──危険と背中合わせの仕事を10年間続けてこられて、いま、ロジスティックのお仕事についてどう思われていますか。

小口:2年前、国境なき医師団から赤十字国際委員会(ICRC)に移るときに、いろいろと考えたことがありました。国境なき医師団の最後の仕事は中東のイエメンでした。このときはロジスティシャンではなく、ハミールという街で実施された地域プロジェクトの総責任者、プロジェクト・コーディネーターを務めました。

実際やってみた手応えはとても良かったですし、「こういうポジションを僕もできるんだな」と思いました。

ただ、やっぱりこの世界で自分がやりたいことは、ロジスティックのほうだと感じたんですね……。もし、自分がこの世界で今後も仕事を続けていくのであれば、プロジェクトリーダーや人道支援チームの長などもできるだろう、でも、自分のこれまでの経験や能力を一番発揮できるのはロジスティシャンだと確信しました。

──ロジスティックに必要な資質とは何だと思われますか。

小口:ロジスティックの大事な要素は多岐に渡ります。支援物資を届けることに関して言えば、生産者・販売者から物資を購入して、その物資を必要とする人たちのところまで届ける多重のプロセスの中で、そのプロセスを一つひとつ理解してその場でベストな判断をする必要があります。

物資を調達したり輸送したりというのは、いわばプロジェクトの骨格、重要な役目であると同時に、現地での判断など経験による部分が大きいですので、僕もまだまだ学ぶところがあります。それを続けていっても、仕事に100パーセント納得するということは多分ないだろうとは思うんです。一筋縄ではいかない仕事なので、少しでも「ロジスティックでいい仕事をしたい」という一心というか、そういうモチベーションはとても強いです。

──ほかの職種でもプロジェクト・コーディネーターというポジションはありますが、ロジスティシャンとプロジェクト・コーディネーターはどこが違うんでしょうか。

2006年ロンドンの大学院で公衆衛生を一緒に学んだイタリア人とフランス人の友人たちと。彼らの影響で、小口さんは国際人道支援に関心をもった

小口:プロジェクト・コーディネーターというのは、団体によっては名前が違いますが、僕が経験した国境なき医師団の場合ですと、プロジェクトの代表としてプロジェクトを統括し、マネジメントするという職種です。プロジェクト全体とその場で活動するチーム全体をマネジメントする仕事なので、責任もより一層重いですし、仕事もさらに多岐に渡るので寝られない夜が増えます(笑)。

同僚と共有しながら、みんなのモチベーションを高め、さまざまな立場の人たちと上手く接点を見出してプロジェクトを進めていく、というリーダー的な資質が強く求められているので、もちろん大変ですが、やりがいのある仕事だと思います。

ロジスティックの仕事との一番の違いは、プロジェクト全体をマネジメントする、という点でしょうね。そのためにはロジスティック、アドミニストレーション、プロジェクトのオペレーション、また治安に関するさまざまなことなど、あがってくる情報の分析をする必要があります。そういう分析は面白いですが、このような仕事を今後するにしても、もう少しマネジメントに関する知識を得たいと思っています。

2014年、ハイチの大地震の際、小口さんたちが設営したテント病院

──国際貢献の場で、日本人ロジスティシャンの数は少ないですか。

小口:そうですね。僕が10年前にこの世界に入った時は、あまりいませんでした。国境なき医師団では少しずつ増えているようですが、赤十字国際委員会(ICRC)では「日本人のロジスティシャンは初めてだ」とよく言われます。実際には一人目ではないと思いますが、珍しいのは確かです。

──いろいろな国、立場の人たちとスムーズに仕事していく上で、気を付けておられることはありますか。

小口:一番気をつけているのは、相手をリスペクトし、人の話を聞いて考えて何かを決めることです。日本でもこれは大事なことですが、いろいろな国の人たちと仕事をするときは、いろいろな違いがありますので、この姿勢がより一層重要になると思います。

仕事の時は、シンプルに、原因と結果を冷静に考えることが大切です。しかし、人間誰しも感情があるので、お互いかっとするようなことがあっても、「何が問題なのか」に視点を向けます。そうすると、感情的なことはとりあえず脇に置いておき、「チーム一丸となって一緒に目標を達成するにはどうしたらいいだろうか」ということをよく考えます。

──小口さんは最初からそれが出来ましたか?

小口:国境なき医師団で働き始めたのは27歳でしたが、誰かを管理・監督するマネジメントをやったことがなかったので、何か問題が起ると、僕もぶつかったスタッフも口をきかないなんてこともありました(笑)。
徐々に対処できるようになりましたが、最初は試行錯誤の連続でした。ただ、ポッドキャストを聞いたり、本を読んだりして、僕なりに経営論を学び、経験値が増えるにしたがって、現在の僕のマネジメントのスタイルが確立されてきました。

長期のプロジェクトで新しい現場に入った時は、2か月ぐらいは向こうのやり方を黙って見ておく。その後で自分の考え方や方針を示して、改善すべき点は変えていく。そういう余裕も生まれてきました。

■ハイチ大地震、「助けに来てくれてありがとう」という言葉に涙した

──ライフネットジャーナルは生命保険会社のオウンドメディアなんですが、危険な場所で働く小口さん達は保険には入れるのでしょうか。

小口:入れますよ。国境なき医師団の時は“インターナショナル SOS” という名前からしていかにも請求が発生しそうな保険に入っていましたが、幸い、一回も使うことなく終わりました。赤十字国際委員会(ICRC)ではスイスのHelsanaという保険に加入します。

──それは何よりですが、今までに怪我したことは?

小口:怪我もないですね。マラリアも一回もないです。お酒を飲んで野外のソファーで寝て、だいぶ蚊に刺されてもいまのところ大丈夫です(笑)。

2014・2015年のイエメン。病院の機能構造についてのチーム・ミーティング中。難しい局面でもみなで力を出し合って乗り越える

──これまでを振り返ってみて、「あれは難しかったな」と思うミッションについてお話しください。

小口:そうですね。大変だったと同時に、いまの自分の仕事の原点にたどり着くのは、2010年のハイチ大地震の時です。忘れもしない、家族でお正月の鍋を囲んでいるときに、電話がかかってきました。「小口さん、明日ハイチ行きます?」って言われたんです。

──えっ、明日!?

小口:そうです。「成田空港に行けば、あとは必要なものを持ってスタッフが待っているから」と言われて翌日、成田に行ったら、テレビの取材が国境なき医師団に来ているという緊急事態でした。一緒にハイチへ派遣されたキレキレの大先輩が取材に応じていましたが、僕のほうは、心ここにあらずで……。

その時はすごく緊張していて、ハイチに到着する前に泊まったホテルに、日本から持って来た大金を置き忘れてきたり、日本からアメリカへの移動中に、飛行機の中にパスポートを忘れてきたり。こんなことは後にも先にも初めてでした。キレキレの先輩には、「お前、だいじょうぶか?」と聞かれました(笑)。

──その緊張はどこから来たんですか?

小口:やはり状況が非常に深刻でしたので……。現地の通信システムはダウンしていましたし、衛星通信の映像をみればどれぐらい大変な状況かがわかりました。ロジスティシャンとして一通りのことができなければ、このミッションはまっとうできないとわかっていましたので、自分の力とこれから直面しなければならない現実とのギャップに、ぼう然としてしまったというか。

でもそれも、現地に入ってみれば、そんな心配や不安が頭に思い浮かぶ間もないほど忙しかったので、すぐに目の前の状況に一心不乱になることができましたけれども……。幸い、自分たちの活動で沢山の命が救えましたし、路地に座っていた現地のおばさん──この方も家族を亡くされていましたが、「助けに来てくれてありがとう」と声をかけられたときは、思わず涙がこぼれました。

本当に目の回るような忙しさで、僕らも食事が満足に取れない。1日に4時間ぐらいしか睡眠をとることができず、気力体力とも一杯一杯だったときに、おばさんにかけられた「助けに来てくれてありがとう」というシンプルな言葉は、いまに至るまで忘れることはできません。

ある意味、皮肉なことですけれども、僕らの仕事は災害や紛争が起きる場所で発生します。災害や紛争がなくならない限り、必要とされます。ハイチのミッションではとても大変でしたが大きな収穫を得たミッションでもありました。

■「中立」を守るとは何か?

──さまざまな利害が対立する中で、「中立」という立場を守りつつ、人道支援の場で働き続けるというのは大変なことですね。

小口:そこは僕らの仕事において一番大事なことの一つです。立場は中立・公平・独立を取らなければいけない。しかしその理念は高く掲げていても、いざプロジェクトを実施するとなると、その国の政治的なまたは、勢力的ないざこざの中で活動することになるので、口で言うのは簡単ですが非常に大変なことです。

シリアやアフガニスタンなどの紛争地では、自分たちが直接、物資を渡すことができない状況もあり、反政府勢力や政府との交渉を何度も重ねた末に物資をやっと配付できる、などさまざまな問題を解決していかなくはなりません。

こういった難しい現実の中で中立を守るということがとても大事になってきます。中立な立場で、人道支援を行うということは人としてすべきこと、という普遍性にもつながり、僕たちの活動に政治・経済・宗教・人種的な立場ではないという透明性をもたらしてくれます。

翼の向こうに小口さん達が届ける物資や医療や知識を必要とする人がいる(アフガニスタンでのミッションにて)

──外から理想を語るのは簡単ですけれども、現場で働く方たちにはとっては日々、決断を迫られる厳しい状況なのだと思います……。

小口:たしかに、すべての命を救いたいという意志のもと働いても、どうしても助けられない命があるという厳しい現実はあります。ただ、国籍など関係なく、いろいろな人たちと「みんなの健康のため」に一緒に働くことには、とてもやりがいを感じます。これからも形はどうであれ、僕なりに続けたいと思っています。

物資を必要とする人たちのもとに確実に届けるためには、片方で非合理的な現実を受け入れざるを得ない場面もあり……でも、それを押してやらなければ何も届かないという現実の中で、辛抱強くどれだけ続けられるのかが、人道支援の場で求められていることですね。

今年は長女も誕生し、僕の家族もできたので家族と一緒にできることを模索していきたいと思います。

──これからもお身体に気を付けて、がんばってください、今日は貴重なお話をありがとうございました。

<プロフィール>
小口隼人(おぐち・はやと)
1979年神奈川県生まれ。子どもの頃はサッカー少年、開業医の父に連れられて登山など戸外のアクティビティに親しむ。高校時代、サッカーのプロ選手になる夢をあきらめて、専修大学に進学。大学3年の時にアメリカの大学に留学。留学中に人道支援の世界に興味をもち、ロンドンの大学院で公衆衛生を学んだ後、国境なき医師団のロジスティシャンとして働き始める。2007年から2015年まで、スーダン、ハイチ、コンゴ民主共和国、マラウイ、スリランカ、シリアなどの人道支援の場で働く。その後、赤十字国際委員会(ICRC)に移り、ロジスティシャンとして2018年1月までアフガニスタンでのミッションに参加。国際人道支援の最前線で10年間活躍している。

<クレジット>
取材・文/樋渡優子

<関連リンク>
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