西村由紀江さん(作曲家、ピアニスト) [写真:オフィシャルサイトより]

子どもの頃に習ったピアノは、いまは実家で誰にも弾かれず飾り棚になっている──そんな家庭は意外と多いのではないだろうか。実は、ライフネットジャーナル編集部某の実家のピアノも、そんな飾り棚と化していたが、とあるプロジェクトに寄付され、いまは石巻のご家庭で幸せな第二の人生を送っている。

そのプロジェクトは「Smile Piano 500」といい、自宅などに眠るピアノを寄付で集め、東日本大震災の被災地でピアノを失ったご家庭に届ける活動を続けている。このプロジェクトを立ち上げた、作曲家でピアニストの西村由紀江さんに、お話をうかがった。

■被災地にピアノを届けたい

──「Smile Piano 500」を思いついたきっかけはなんですか?

西村:震災の直後に、朝の情報番組で見た陸前高田の女の子のインタビューです。「いま欲しいものはなんですか」と聞かれたとき、「ピアノ」って答えていたんです。彼女は家を流されているし、ご家族や友達を亡くした人も多くいらっしゃるその状況で、ピアノが欲しいという女の子がいる、ということがすごく心に残って、いつかその子の元にピアノを届けたいなと思ったのがきっかけです。

──着るものとか食べる物ではなくて「ピアノ」。

西村:そうなんです。衝撃を受けました。何かしたいけれど、どうすればいいのかと悩んでいたところ、都内のチャリティコンサートで、あるピアノの調律師さんと出会いました。彼は仙台の被災地に行って、調律師仲間を見舞ってきたところでした。そのときに「ピアノが津波で500台くらい流されたらしい」と教えてくれて、彼が調律師仲間から聞いてきた情報をもとに、何か一緒にやりましょう、という話になりました。私はピアノを自分で運ぶことはできませんが、調律師さんが「自分はメンテナンスと運搬でできるだけ力を貸すから、西村さんは一緒に行って、ピアノを弾いて子どもたちに笑顔を届けてほしい」と。

そのときに調律師さんたちが口を揃えて言っていたのは「ピアノの炎を絶やさない」ということ。みんな、ピアノが好きだと思ってくれている人たちの気持ちをつないでいきたいという一心で動いていました。

■ピアノが持つ特別な力

──ピアノには、なぜそれだけ人を動かす力があるのでしょうか。

西村:一つは、ピアノはとても身近なものなので、人の記憶と深く結びついているんですよね。幼稚園や学校で、誰もが必ずピアノを聴いたり、ピアノに合わせて歌ったりした経験もあるでしょう。もう一つは、木でできているものだということ。いろんな電子機器が発達している今、ピアノが持つ木のぬくもりの力を、ますます感じています。特に被災した人たちにとって、ピアノは子どもの頃の記憶が詰まった、ぬくもりのある愛しいもので、それを私たちが届けることで、その記憶とか懐かしさをつなげていければ、という気持ちです。

──確かにピアノって、本体は木、音を出すハンマーは羊毛、弦は金属ワイヤーでできていますから、植物、動物、鉱物の部分があって、森羅万象が含まれている感じがしますね。

西村:なるほど、確かにそうですね。よくピアノは「小さなオーケストラ」とも言われるんです。どんな楽器よりも音域が広くて、いろいろな音を出せる小宇宙のような。それともう一つ、ピアノは誰でも叩けば音が出るんですよ。それもいいところかもしれません。

■使われずに眠っているピアノがたくさん

──新しいものを買うのではなく、寄付でピアノを届けることは、初めから思いついたのですか?

西村:はい。私がデビューしてからよく取材を受けるときに、「わたしも昔、ピアノをやっていたんですけど、途中で辞めちゃったんです」という方がすごく多いことが気になっていたんです。「そのピアノ、今はどうしているんですか?」と聞くと、「もう物置みたいになっちゃって、誰も弾いていません」という方が多くて。眠っているピアノがたくさんあるんだな、もったいないな、というのがずっと頭の隅にあったんです。だからこの活動を始めるときも、新品のピアノを贈るのではなくて、どこかのお宅で眠っているピアノを、調律師さんのメンテナンスでよみがえらせて、そのピアノが第二の人生を歩めたら素敵だなあと思いました。

それで「Smile Piano 500」のホームページを立ち上げて、「ピアノを譲ってくださる方がいたらご連絡ください」と呼びかけたら、あっという間に150人くらいから 「うちのピアノをぜひ」と、エントリーがあったんですよ。

Smile piano 500 サイトより

──寄付したい方が、たくさんいらっしゃったんですね。

西村:それはとてもうれしかったんですけど、実は当初、届ける先が見つからなくて。ピアノが流された方は家も流されていますから、まずは食べるもの、着るもの、住むところを確保していかないと、ピアノが集まっても届けられない。タイミングが早すぎたんです。そこでまずは、ピアノ本体をお届けする先がなくても、ピアノの“音”をお届けしようと思って、2011年の6月の末から7月にかけて、東京から車で被災地の学校に行き、コンサートを、7、8校でやりました。福島県の南相馬とか、岩手県の大船渡、陸前高田、そして山田町とか。

──音を届けるにも、目的地までの道の確認や学校のスケジュール調整などだけでも大変ですよね。

西村:そうですね。震災直後の道路状況にはほとんどナビが対応していなくて、「橋を渡ってください」と言われても橋がないとか、そんなことはしょっちゅうでした。

実は、2001年から小学校でのコンサートを始めまして、そのとき最初にお世話になったのが、岩手の小学校の先生だったんです。その先生に、2011年の震災の後にお電話したとき、学校でピアノを弾けたらと思っている、と相談したら、「じゃあ、私のできる範囲で被災した人たちの学校の先生に全部電話して、話をつけるから」と言ってくださって。その頃はまだ、状況が混沌としていて、被災地ではいろんな人が急に訪ねてきたり、コンサートをしに来たり、マスコミが来たりして、大変だったそうなんですが、その先生のおかげで、3日で7、8校くらいで演奏することができました。被災した町の中でもピアノが残っている学校を、先生がちゃんと探してくださって。

■震災直後からの、ピアノを聴く人の反応の変化

──震災直後の時期と現在で、現地で演奏したときの反応に、違いはありますか?

西村:被災地での演奏では、年々反応が変わってきているのを感じます。震災直後のことで覚えているのは、音楽室も被災した学校の図書室みたいな小さなお部屋でピアノを弾いたときのことです。喜んでくれる生徒さんももちろんいましたが、体育座りをしたままずーっと俯いて、一度も顔を上げない男の子がいたんです。彼はお母さんを亡くしていました。だけど、私がピアノを弾き終えて最後に「今日はありがとう」と、アップライトピアノから後ろに振り返ってお辞儀する瞬間、俯いていた男の子がふっと顔上げて拍手してくれたんです。そういう、音でのふれあいはたくさん経験させてもらいました。

──以前、震災後に現地で慰問演奏をしていたバイオリニストの方が、「歌詞がある音楽だと、何かの言葉が刺さってしまうと、心の傷が開いたりして怖いけれど、楽器だったら言葉がないから」というようなことをおっしゃっていました。もしかしたらピアノも、歌詞のない音楽だからよかったのかもしれないですね。

西村:そうですね。被災地かどうかは関係なく、私のコンサートに来てくださる人の中には、心の傷を抱えている方もいらっしゃるんです。そういう方からのお手紙で、「西村さんのピアノだけはすごく辛いときでも聴けた」と言ってくださる人もいて。それは私の、というだけでなくピアノの力ですね。

──ピアノの音が、何か心に作用するのですね。

西村:そうですね。震災から数年経ったある時期に、ピアノを届けに行った先で、とても元気な笑顔の“肝っ玉母さん”といった感じの方にお会いしました。その方の家は、娘さんが習っているからと、ピアノを希望されたのですが、ピアノをお届けして私が弾き初(ぞ)めをするときに、娘さんだけでなく「お母さんも一緒に聴いてください」と言ったら、お母さんは「私、ピアノのことよくわかんないから、別に聴かなくていいわ」と、台所に行こうとしたんです。私が「せっかくだから、ぜひ」と引き留めて、聴いてもらいました。そうしたらもう、1音目を弾いた瞬間に、そのお母さんの目から涙がこぼれ落ちたんです。演奏が終わった後に、「私、なんで泣いてるのかしら……。でも、とっても気持ちよかった」っておっしゃって。

きっと、そのお母さんはずっと、娘さんの前で絶対泣いちゃいけない、元気でいなきゃいけない、ピアノを届けに来てくれた人を明るく迎えなきゃいけないって、気が張っていたと思うんですよね。その心が、ピアノの音色によって、ふっとほぐれて、それが涙として流れたのかな、と思いました。私の作ったピアノの曲がどうかということを超えて、ピアノの音色そのものに、すごい力があるのではということを感じたんです。

■震災から8年経った今だからこそ

──震災から8年経った今でも、ピアノを待っている方、ピアノの寄付を希望する方がいらっしゃるのですね。

西村:そうですね。ずっと仮設住宅にいたけれど、やっと高台に新しいお家が建つので、2年先になるけれど、そのときにピアノを届けて欲しい、というようなエントリーもあるんです。

──8年経ってやっと、ピアノを迎えられるということもあるのですね。

西村:そうなんです。でもそろそろ、今年くらいから、ご希望が少なくなってきました。Smile Pianoの「500」という数字は、震災で失われたピアノの数を表しているのですが、そのうち学校など公的な施設にあったピアノは、国などの補償でほとんど購入されているので、大半はもう戻っているんですよ。なので、それが400台くらいだとしたら、私は残り100台を個人のご家庭一軒一軒にお届けするという、国ではやらないことを補っている感じです。

──「500」という数字の目標をめざすのではなく、必要なところにピアノを届ける、と。

西村:そうですね。私は、ボランティアをやりたいと思って始めたつもりはなく、しかもこんなに、8年も続けられるとは考えていませんでした。テレビでたまたま見た「ピアノがほしい」という女の子の声を聞いて、ピアノを届けたいと思ってから、夢中になっている間に、いつの間にか、今があるという感じです。ピアノを失った人がいて、そのお友達もまた失っていて、「じゃあ次はその人に届けよう」というつながりがこれまで途切れませんでした。そのつながりが途切れない限りは、続けていきたいなと思っています。

■ピアノを届けることで起こった変化

──この活動をされていて、ご自身の曲作りや演奏に、影響はありましたか。

西村:ピアノに対する愛おしさ、敬意、感謝、といったものがすごく増しました。だからコンサートで演奏するときも気持ちが違います。

あとは、毎日が当たり前にあることのありがたさを感じます。ピアノによって、生活に潤いが戻ったり、ピアノを弾く人がいることで近所のコミュニケーションが復活したり、という話も聞くんですよね。ピアノの音で「あ、○○ちゃんが弾いてるの?」と近所の人が集まって来て、なんとなく震災後に疎遠になっていた人がまた仲良くなったりする、と。ピアノには、そんなふうに人と人とをつなぐ力がある。それを感じさせてもらうことで、私は改めて、ピアノを続けてきて、ピアノに携わってきて本当に幸せだなあという気持ちを持ちながら日々過ごしています。

だから今年新しく出したアルバム「PIANO SWITCH」は、ピアノの楽しさを少しでも広めたいという思いで作りました。例えばピアノを習っていて、練習が辛いなと思っている子が、このアルバムを聴いて「やっぱりもうちょっと続けてみよう」と一人でも思ってくれればいいな、という気持ちもあって、「PIANO SWITCH」というタイトルとコンセプトを作りました。SWITCHというのは、ピアノを楽しく弾く、楽しく聴く「スイッチ」ということなんです。それもやっぱりピアノをお届けする中から生まれて来た気持ちです。

(後編では、実際にSmile Piano 500で寄付された、59台目のピアノを届けた日のことをレポートします)

<プロフィール>
西村由紀江(にしむら・ゆきえ)
作曲家/ピアニスト。幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジア諸国への演奏旅行に参加。マエストロや世界の一流オーケストラとも共演し、絶賛を博す。
桐朋学園大学入学と同時にデビューし、「101回目のプロポーズ」「子ぎつねヘレン」など、ドラマ・映画・CMの音楽を多数担当するほか、TV・ラジオの出演やエッセイの執筆も行う。年間60本を超えるコンサートで全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」、そして被災地にピアノを届ける活動「Smile Piano 500」にも精力を注ぐ。2019年4月、メジャー通算40枚目となるアルバム「PIANO SWITCH!‐BEST SELECTION‐」をリリース。
●オフィシャルサイト

<クレジット>
取材・文/ライフネットジャーナル オンライン 編集部