左から、美紀子さん、西村由紀江さん(作曲家・ピアニスト)、志信さん

ピアノは1台1台、ともに過ごしてきた人々のさまざまな記憶を宿している。学校には必ず音楽室や体育館にピアノがあり、音楽の時間に使うだけでなく、学校行事で校歌を歌う度にピアノ伴奏の音を耳にする。これほど多くの人々の生活に溶け込み、音の記憶が共有されている楽器は、ほかにないだろう。

そのピアノが、2011年の東日本大震災の津波で多数流された。その数は500台とも言われている。

これを聞いて行動を起こしたのが、作曲家でピアニストの西村由紀江さんだ。使わなくなったピアノを全国から寄付で集め、メンテナンスをして、震災でピアノを失った家庭に届け、その場で自ら弾き初(ぞ)めをする。ピアノをなくしてから新しいピアノを受け取るまでの家族の物語に耳を傾け、ピアノを届けた日のことを、ウェブサイトで紹介する。そのプロジェクトは「Smile Piano 500」といい、これまでに58台ものピアノを届けてきた。

ピアノの到着に合わせて集まった親戚と記念撮影。シャッターを押すのは志信さん

今回機会をいただき、59台目のピアノを、岩手県釜石市のご家庭に届ける現場に立ち会わせていただいた。

(前編「誰も弾かなくなった眠れるピアノを被災地へつなぐSmile Piano 500──西村由紀江さん」はこちら)

■ローカル線を乗り継いで釜石へ

東北新幹線新花巻駅から、釜石線に乗り継いで約2時間。道中は山と野に囲まれて、車窓の景色はずっと緑色だったが、目的の駅につく直前に、景色が一変した。線路脇のなだらかな斜面に、唐突に墓地が広がっている。見慣れた典型的な墓地とは何かが違う。そのわけはすぐにわかった。真昼の太陽を浴びて、ほとんどの墓石がピカピカに光っている。こんなに新しい墓石ばかりの墓地を見たのは初めてだった。

目的の家は、住所を入力してもアプリ上の地図には出てこない。最寄駅に着いたものの、駅は無人で、周囲には人もいない。とりあえず駅から広い通りに出て、当てずっぽうに一本道を歩いてみると、5分ほどのところに、営業中の食堂が1軒あった。中で働く老紳士に、所番地で目的の場所を尋ねてみると、申し訳なさそうに、わからない、という。確かにこの近くには違いないが、復興後に建物が建った順に3桁の数字で表された番地がつけられているので、エリアに規則性がなく、地元の人でも場所がわからないそうだ。しかもその方は、もともとこの土地の人ではないという。この内陸の町には、8年前の津波で海沿いの町から移住した人が多いのかもしれない。

■“いのちのガソリン”

2011年の東日本大震災の折、テレビやネットを通じて大きなタンカーが陸に乗り上げた様が繰り返し映されたのを覚えている方も多いことだろう。今回59台目のピアノが向かったのは、そのタンカーの目と鼻の先に住んでいたご家庭だ。いまは内陸の町の一軒家に住んでいる。

震災前に住んでいた海沿いの家は3階建ての二世帯住宅。2階にはご両親が住み、3階にはピアノが置かれていた。夫の志信さんは学生の頃からバンドでベースを担当し、一時はプロをめざしていたほどの腕前。妻の美紀子さんは、ピアノを習ったことがある。市内のバーでピアノを弾いていた人に教わったのだ。ピアノに憧れていた美紀子さんの母から「どうしても習って」と懇願され、高校3年のときに母が購入したのだという。現在は子どもが2人。長男、長女には、楽譜が読めるようになってほしいと、幼いころから音楽教室に通わせ、美紀子さんがかつて弾いていた年季物のピアノを弾かせていた。親子三世代、生活の中に音楽があった日々は、あの日に一変した。

志信さんは生まれも育ちも釜石。地元でガソリンスタンドを経営している。津波が来たときは美紀子さんと本社スタンドの2階にかけこんだ。波はその高さも超えてきた。周囲にあった食堂などは流されてしまったが、頑丈なつくりの社屋は流されずに残った。めちゃくちゃになった街を見た志信さんは「この街をなんとかしてやろう! と、スイッチが入りました」という。

そこからが戦いの始まりだった。市内にあった26のガソリンスタンドのうち、20は津波で破壊され、残りのスタンドも電気が使えず給油できないか、石油会社の直営店は本部と連絡がとれず在庫を動かせない。自社の判断でガソリンを供給できるのは、独立した地場の企業で、なおかつ津波を免れ、震災の前日にたまたまタンク満タンにガソリンをストックしていた志信さんの支店のスタンドに限られたが、停電である。

ガソリンがないことには、警察も消防も動けない。斎場にご遺体も運べない。そこへ地元の建設会社が発電機を提供し、地震の翌日の昼から、志信さんと美紀子さん、従業員の不眠不休のガソリン供給が始まった。このスタンドならガソリンが買えると情報が広まり、昼も夜もなく長蛇の列ができた。二人が自宅に戻れたのは1週間ほど経ってからだった。家の向かいにはタンカーが乗り上げ、自宅は3階まで浸水して家財はめちゃくちゃに折り重なっていた。ピアノもうつ伏せで背の木枠をむき出しにして倒れていた。

志信さんたちのスタンドは「いのちのガソリン」と呼ばれ、ノンフィクションの本でも紹介されているので、詳しくはそちらに譲る。不幸中の幸いは、家族がみな無事だったこと。ご両親も、横浜にいた長男も盛岡にいた長女も再会できた。しばらくスタンドにダンボールを敷いて寝泊まりする日々が続いた。美紀子さんの母は、海水に浸ったピアノをなんとか救いたいと、さまざまなところに問い合わせたが、崩壊状態の建物から出すことができず、泣く泣く処分した。

■「明日に架ける橋」

志信さんたちが、その後長い仮住まいを経て、内陸部の現在の家を購入したのは震災後2年ほど経ってからのこと。すでに両親は他界して、長男は家庭を築き、長女は社会人となっているが、ようやく家族の平穏な暮らしの場を取り戻したところで、Smile Pianoにピアノを申し込んだ。ほどなく、同じ岩手県内のご家庭からピアノが来ることが決まった。

そのピアノは盛岡で整骨院を営む方が使われていたもので、偶然にも、それは志信さん・美紀子さん宅にあったピアノとほぼ同じ、約50年前に生産された、同じメーカーのものだった。

陽のあたるあたたかいリビングの大きな窓から運び込まれた黒いアップライトは、リビングと和室を仕切る壁にそって配置された。そこはまるで、ピアノを置くために作られた空間のように、サイズがぴったりだった。

志信さん、美紀子さんと、その日にピアノを迎えるために集まった、姪っ子と、美紀子さんの姉たちに、わぁっと笑顔が広がった。

ふたを開けた志信さんは、おずおずと短いフレーズを途中まで弾くと、すぐに照れ笑いしながらピアノを離れた。

そのとき、現地に同行していた西村由紀江さんが「おぉ!」と感嘆の声をあげた。
実はその前日、西村さんは盛岡のテレビ番組の中でそのピアノを弾いていた。長らく使われていなかったピアノは、初めは紙か何かが挟まっているかと思うような、響かない音だったのだそうだ。調律をして、放送までの間、西村さんはひたすら鍵盤を弾き込んだ。

「不思議なもので、ピアノは使わないと音が出なくなるし、弾いているうちに響きが目覚めてくるんですよ」

その成果もあったのか、ピアノも新しい家に喜んでいるのか、志信さんがポロンと弾いた一節はよく響く明るい音がした。前日の音とはまるで別の楽器のようで、西村さんは驚いたのだった。

志信さんがさわりだけ弾いたその曲は、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」。家族の明日に、橋が架かった瞬間だった。

■ピアノのメロディが家に鳴り響く

ご家族の話にじっくりと耳を傾けていた西村さんが、いよいよ新しく家族になったピアノを弾き初めする。曲は「微笑みの鐘〜ビタミン〜朝日のあたる家」。前日のテレビ番組でも弾いた、西村さんのオリジナルの音楽3曲のメドレーを、少し短いバージョンで披露した。ご家族はリビングでピアノを遠巻きに囲んで、じっと聴いていた。隣の仏間では、ピアノが大好きだった、美紀子さんのお母様と、お父様もきっと聴いていたことだろう。

西村さんは、“親父バンド”でベースを弾いている志信さんに、セッションしましょう、と誘った。いえいえ、そんな、と照れて断る志信さんに、西村さんも美紀子さんも姪っ子もお姉さんも、「せっかくだから、いいじゃない!」とハッパをかける。じゃあ……と2階からベースとアンプを持ってきた志信さんと西村さんで、「スタンド・バイ・ミー」のセッションが始まった。どんな調の、どんな曲でも弾けてしまう西村さんの自由な音がキラキラとベースにからまり、それはすてきなセッションだった。

「私、お父さんがベースを弾くところ、初めて見ました」と美紀子さん。「いつも、ライブがあっても恥ずかしいから来るなと言われるんです」

長く眠っていたピアノは、新しい家で、人々をつなぐ架け橋となって、響きを輝かせていくことだろう。

(了)

<プロフィール>
西村由紀江(にしむら・ゆきえ)
作曲家/ピアニスト。幼少より音楽の才能を認められ、ヨーロッパ、アメリカ、東南アジア諸国への演奏旅行に参加。マエストロや世界の一流オーケストラとも共演し、絶賛を博す。
桐朋学園大学入学と同時にデビューし、「101回目のプロポーズ」「子ぎつねヘレン」など、ドラマ・映画・CMの音楽を多数担当するほか、TV・ラジオの出演やエッセイの執筆も行う。年間60本を超えるコンサートで全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして「学校コンサート」や「病院コンサート」、そして被災地にピアノを届ける活動「Smile Piano 500」にも精力を注ぐ。2019年4月、メジャー通算40枚目となるアルバム「PIANO SWITCH!‐BEST SELECTION‐」をリリース。
●オフィシャルサイト

<クレジット>
取材・文/ライフネットジャーナル オンライン 編集部