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何かを始めることは難しいことです。しかし、「とりあえず」でやり始めてみると糸口をつかめることもありますよね。学生時代、恩師からのアドバイスを受けてその「とりあえず」を身に着けた成川が、体験談をブログにまとめました。


父と私は、趣味も考え方も違うのですが、20年前、ひょんなことで共感することがありました。
プロ野球にはほとんど興味がない私ですが、その日は父と一緒にテレビのプロ野球番組をぼんやり眺めていました。40歳を超えても活躍している選手を見た私が、「プロ野球選手って、年とともに体力や瞬発力は衰えていくはずだけど、経験と技術を積み重ねていくことで衰えをカバーしているのかね」と言うと、父は嬉しそうに、「おお、いいこと言うね。そういうことなんだよ」と返してきました。

その頃、私は大学院で数学を専攻していました。ずっと数学を続けたいと願っていたものの、自分の資質の無さは努力でカバーできないレベルだと、確信に至った時期でした。そして、重い気持ちを飲み込んで一般企業へ就職することを決めた後、卒業に向けて人生最後の純粋数学での論文を書き始めた時期でもありました。

論文のテーマは、先生(指導教官)から提案された「あの関数とこの関数って似てるよね。具体的にどういう関係にあるか、考えてくれないかな?」というものでした。曖昧ですが面白いテーマで、抽象的な世界で自分なりに頭を捻っていたのですが、探りたい関係性が具体的には捉えられず、なかなか研究が進みませんでした。

そんな中で先生から受けた助言が、「とりあえず計算してみなさい。計算することで見えてくるものもあるかもしれないから」でした(ちなみに、関数を積分表示から無限級数表示へ変えるなどの計算です)。当時の私は半信半疑で、面倒にも感じたのですが、実際に計算してみると具体的な世界が見えてきます。「とりあえず計算」を繰り返して、なんとか卒業させてもらえる程度の結果には辿り着きました。

しかし、研究では一つの疑問を解消すると、また別の疑問が湧いてくるものです。その疑問を解消するためには、さらに抽象的な直観や厳格な論理が必要で、「とりあえず計算」するとしても、どこをどう計算すると視界が広がるのかが難しい部分でした。その後、迷ったり悩んだり、遠回りもしましたが、自分の限られた能力の中で「とりあえず計算」を繰り返して、視界が開けていく、という過程を何度も経たと思います。締め切り前の元旦の朝、ストーブの前の床の上でひたすら計算するようなこともありました。そして最終的には、友人の助けや幸運も重なり、自分なりに最高の論文を書くことができました(英訳したものが海外の論文誌にも載りました)。

一般企業に就職して以降、当時学んだ数学をそのまま仕事に生かす機会は、残念ながらありません。しかし、数理的な業務で悩んだときには、先生の言葉「とりあえず計算してみなさい」をよく思い出します。実際、曖昧な課題や複雑な課題を前に悩んだ折に、計算を通じて突破口が見えてくることは時々あります。多くの方の場合、曖昧だったり複雑だったりする課題に取り組む場合、キーワードを紙に書き出したり、表や図を使ったりして関係性を可視化して頭を整理して糸口をつかむ、ということはよくあると思います。私の場合、それに加えて、先生の言葉が重要なヒントとして今も生きています。先生には、今でも尊敬と感謝の念が絶えません。

今にして思うと、先生の「とりあえず計算」は、どこをどう計算すると視界が広がるのかを含め、先生が積み重ねてきた多くの経験と技術の一つだったのかもしれません。そう考えると、「数学者とプロ野球選手って似てるよね」と思え、一人で密かに笑ってしまうのでした。そして同時に、「私が経験や技術を積み重ねても数学の世界で活躍し続けることはできなかっただろうな」と思え、また一人で苦笑いしてしまうのでした。

リスク管理部/数理部
成川