リカ・デリシャスさん(スーパーオーガニックHD株式会社CEO、国際NGO 一般社団法人OASISBANK 代表理事、世界有機農業アジア連盟元日本代表理事)

革新的なテイスト、モノ、サービスで世界をオーガニックで満たすカンパニー「スーパーオーガニック」を率いるのが、リカ・デリシャスさんです。コンテンポラリーアートと建築を学び、建築デザイン会社の統括マネージャーとして働いていたリカさんがオーガニックの領域で起業し、持続可能な社会を目指して挑戦を続ける理由とは? 刺激に満ちたリカさんの起業ストーリーをお聞きしました。

■人を幸福にする仕事をしたい

──リカさんは15歳でアメリカに行かれています。きっかけを教えてください。

リカ・デリシャス(以下リカ):母によれば、私は7歳のときに「人を幸福にする仕事をしたい」と言っていたらしく、高校生になる前に建築家になろうと決めていました。そこにいるだけで幸福になれるような家を作りたかったんです。父が「女性は日本では活躍するのは無理。中学校か高校からは海外に出た方がいい」という人だったので、高校の時にアメリカの全寮制の学校に入りました。

──目標通り、大学で建築学を専攻されたんですか?

リカ:ロードアイランド・スクール・オブ・デザインという、アメリカの芸術大学ではナンバーワンの大学に入学しました。ちょうどこの頃、3DのCGアプリケーションが開発されて、微分を使って行っていた構造解析がPCの中で可能になったんです。私は高校生のときからMacを扱っていたコンピューターの第一世代ですから、この動きに触発されて、大学入学後にコロンビア大学に編入しました。

──なぜコロンビア大学だったのでしょう?

リカ:コロンビア大学建築・都市計画・保全大学院の学長に、脱構築主義建築で知られるフランス人のベルナール・チュミさんが就任され、マックの3Dアプリケーションを世界のどこよりも早く取り入れたんです。建てられないものを建てる技術があることを知るといても立ってもいられず、19歳でニューヨークに渡ってコロンビア大学に編入し、昼間はハリリ&ハリリで働きました。

──ハリリ&ハリリといえば、現在アメリカで最もプログレッシブなデザイナーと評されている建築家ユニットですよね。そこに入られたきっかけは?

リカ:たまたま偶然ドアを叩いた先がイラン生まれの姉妹が設立したハリリ&ハリリでした。本当に作品が面白くて惹かれたのですが、彼女たちは、女性はイランで活躍できないという理由でアメリカに移民してきた方たちで、いま思えば、社会と闘う中で独自の世界観を作ってきたんだということがよくわかります。

事務所では最初は電話番から始まって、コネチカット州のとある住宅のリノベーションの仕事や模型作りもやらせてもらい、最後にはグリニッチにある家を一軒完成させるところまで担当しました。今の若い人たちがIT革命で情報を自由に操れるのと同じように、建物の形を3Dアプリで自由に操れるようになった「元年」に学業の分野にいられたのは幸福でした。

■安心安全な野菜の産地に住もう

──その貴重な経験を経て帰国した後に、建築デザイン会社を立ち上げられたんですね。

リカ:はい。父の会社で経営を学びつつ、23歳で会社を作り、デザインがわかるストラクチャーエンジニアというポジションでいろいろな仕事をやらせてもらいました。建築家がかっこいい建物をデザインしたときに、実際に建物の構造として建築可能かどうかを解析するわけです。宮内庁からTOYOTA、ベネッセ、海外であれば観光庁やミュージアム、Apple等、本当に面白い仕事を手掛けてきましたが、長男が生まれてから計算ができなくなってしまいました。

──構造解析の仕事が物理的にできなくなった?

建築業界の最前線でバリバリ働いていた頃は、よく現場で大好きなマイケル・ジャクソンの格好をしていた。

リカ:子育てをして母乳をあげることと、何千人もの人が訪れる超機密な建物の安全性を担保する構造解析の仕事とのバランスがとれなくなったんです。最初のうちは子どもを生んだ後もベビーシッターを雇えば仕事はなんとかできると思っていました。でも、実際やってみるとこれがもう本当に大変で、打ち合わせに行っても全然集中できない。クライアントに申し訳ないなと思うようになり、長男が4か月になったときに仕事を辞めました。

──そこからどうオーガニックに結びついていったんですか?

リカ:きっかけは離乳食です。どうして日本ではオーガニックの食材が揃わないのか、なぜ安心安全なものを揃えようとすると物流コストがとんでもなく高いのか。それを考えたら、安心安全な農産物を作っている農家の近くに越した方がいいなと思うようになりました。長男が2歳からスキーを始めたんですが、ニセコにスキーをしに行ったときに可愛い家を見つけて、もうここに住むしかないと(笑)。3日後に引っ越しました。

■気がついたら“八百屋”になっていた

──決断力と行動力に圧倒されます。北海道に越してからすぐにオーガニックビジネスを始められたんですか?

スーパーオーガニック ウェブサイトより。新鮮なオーガニック食材の定期宅配は、現在主に外国人向けサービスとしてマーケットテスト中

リカ:最初の1シーズンは毎日息子たちとスキーをやっていました。楽しかったですね。春になり山菜の時期になって、アイヌの末裔の人と山菜を採りに行ったんですが、そこでたまたま知り合った農家の人たちが面白い人たちだったんです。みなオーガニックな農産物を生産していて。彼らの農産物を東京時代に住んでいた六本木の友人たちにお中元で送ったら大好評。代金をちゃんと払うからまた送って、という話になって、気がついたら私は“八百屋”になっていました(笑)。

ニセコのオーガニック農家、ラララファームの服部吉弘さんと長男のロイドくん

──建築の世界から離れて意図的にオーガニックの世界に進まれたのではなく、自然な流れだったんですね。

リカ:そうですね。子育てにいいと思って進んでいったら、オーガニック農業に携わるようになっていた。現在は国内在住の外国人をメインターゲットに定期直配という形で野菜を販売しています。夏はほぼ100%北海道の野菜ですね。その後、だんだん南下して冬は九州の野菜をメインに販売しています。

(つづく)

 

<プロフィール>
リカ・デリシャス
1974年生まれ。高校からアメリカに留学。建築デザインとコンテンポラリーアートを専攻。NYの建築デザイン会社を経て帰国後、コンテンポラリー建築デザインのディレクションとマネジメントに従事。出産・育児を機に、2010年に北海道に移住し、スーパーオーガニックHD株式会社を創業。2015年には世界有機農業アジア連盟(IFOAM ASIA)の日本代表として、女性としては初めて理事に就任。多方面にわたる創造的アプローチでオーガニックのニュースタンダードを仕掛けている。

<クレジット>
文/三田村蕗子
撮影/村上悦子

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