渡部俊さん(朝日航洋株式会社 航空事業本部営業統括部係長)

がんと就労の問題にどう取り組むか、多くの企業が模索する中、がんサバイバー自らが社内制度の認知向上、さらには制度改革まで進めた事例があります。ドクターヘリや物資輸送などの航空事業を手掛ける朝日航洋の渡部俊さんは、2012年に初めてがんが見つかって以降、再発するがんの治療をくり返しながら仕事を続けています。

それを可能としているのは、自らが先頭に立って改善した、社内の休暇制度があったことも理由のひとつでしょう。一社員が、がんと就労の課題にどのように切り込んでいったのか。渡部さんにお話を聞きました。

■がん告知後も穏やか。精神的なショックは急に訪れた

──がんが見つかった時の経緯を教えてください。

渡部俊さん(以下渡部):最初は急な腹痛があり、耐えきれずに家の近くの総合病院に駆け込みました。2012年の5月のことです。受付に着いた瞬間にほぼ意識が飛ぶくらいの激痛で、エコー検査の結果、腸閉塞の可能性があると言われました。病院に妻を呼んで一緒に先生の話を聞いていたのですが、がんの告知は意外とあっさりしたもので、「渡部さん、これほぼ悪性腫瘍だから」と言われて、私も「あ、そうですか」と答えるくらい。

「がんはどうにかなる病気」と軽く考えていたので、そのまま外にタバコを吸いに行っていました(笑)。ただ、横で話を聞いていた妻は気が動転していました。妻は病院の薬剤師なので、抗がん剤治療がどれほど大変かにも詳しいからかと思います。

──がんの告知を受けた後、渡部さんは最初に何をされましたか?


渡部:当社はヘリコプターによる災害復旧の仕事も請け負っています。私のがんが見つかった2012年は、東日本大震災の翌年で、私も東北に出張することが多い時期でした。抱えている仕事はたくさんありましたが、治療のためしばらく働けないので、検査入院中も、一旦退院して出社した時も、ずっと仕事の申し送りをしていました。

──大変な病気だとわかったのに、すぐ治療に専念できたわけではなかったのですね。

渡部:仕事をしながら、手術や入院の準備もしないといけないので、病気のことを調べる暇もありませんでした。でも今思うと、それがよかったのかもしれません。妻からも、「ネット検索はしないで。生存率を見てヘコんだら治るものも治らないから」と言われていたので。

──そんなにネガティブにならずに治療に入れたということですか?

渡部:そうですね。がんを告知されてからの気持ちの曲線を描くとしたら、普通ならがんの告知で気持ちが落ちると思いますけど、私はがんの告知でも手術でも落ち込まなかった。抗がん剤治療も、1クール目は副作用も強く出なかったので「これなら大丈夫だな」と。でも抗がん剤の2~3クール目あたりでは副作用が出てきてしまい、気持ちもガクンと落ちました。そこで初めて、自分がものすごくつらい治療をしているということを意識したんです。1クールがだいたい3週間なので、2~3か月後くらいのことです。

やはり2回目、3回目と蓄積されてくるものがあって、副作用がつらくなってきました。インフルエンザと二日酔いを足したような吐き気と倦怠感がずっと続くような感じ。きつかったのは暑さです。末梢神経障害のため、冷たいものを飲むと喉が締め付けられるようになったので、白湯しか飲めませんでした。また、自分の体温より低い物や空気に触れると、皮膚の表面に電気が走るような痛みがあり、8月の猛暑の中クーラーをつけずに手袋をして、靴下を履いて生活していました。

■「本当は休めたのに……!」社内制度の周知不足を痛感

──渡部さんが社内の休暇制度を見直そうと思ったきっかけを教えてください。

渡部:最初のがんの治療時、医師からは「抗がん剤治療に180日間かかる」と言われていました。病院からは入院をすすめられましたが、会社を休めるのは有給休暇と代休を合わせて50日ほど。これでは足りないので休職も考えましたが、休職してお金をもらえなくなったら治療そのものができなくなると思い、通院で自己管理しながら抗がん剤治療をすることにしました。

でもある日、会社の人事部から、「積立失効有給休暇制度があるよ」と言われました。その制度は、失効した有給休暇を積み立てておき、私傷病休業などの際に有給休暇として使用できるもので、私のケースではそれを含めると100日休めました。

──その制度を知っていれば、無理に出勤しなくても、最初から入院して治療に専念できたわけですね。

渡部:そうなんです。私だけでなく、当時相談していた上司も知りませんでした。普通はがんが見つかった直後に会社の休暇制度のことを調べる余裕もないと思います。休暇制度のことを知っているかどうかは働き方や治療方法にも大きく関わることなので、この制度を社員にもっと周知しないといけないと思いました。

――たしかに自分の会社の就業規則を熟知している人は少ないかもしれません。就業規則を社員に周知させるために、どんなことをされましたか?

渡部:最初のがんの治療中に「がん患者の治療と就労の両立に関する所感と提言」と題したレポートを作り、メールで役員に提出しました。社内制度に関する従業員教育や、治療中の休暇を取るための手続き方法などをまとめたものです。それから仲間を集めて委員会を設置しました。

また、がんに対して誤った認識を持っている人も多かったので、正しい情報を載せたハンドブックも作りました。そして最終的には、積立失効有給休暇制度の内容も一部変えました。これまでは休暇の取得理由が私傷病の治療に限られていましたが、罹患者にも生活のための休暇が必要なので、子どもの運動会などでも休めるようにしたのです。ほかにも、有休を使い切らないと利用できなかったこの制度を、有休の残り日数が5日分となった時点から利用できるようにしました。

──渡部さんはこれまで5回がんにかかっています。いくら休暇が積み立てられるといっても、足りなくなることはありませんでしたか?

渡部:抗がん剤治療がなければ2週間くらいの休みで治療ができたので、まだ休職したことはありません。ただ、治療のための有休をためておくのに、普段は有休を使わず、お盆も正月明けも仕事をしていました。決して「我慢して有休を使わない」のではなく、「ここまでは休む必要ないな」というラインまでです。

上司も柔軟な働き方を認めてくれて、平日でも体調が悪ければ休ませてもらい、その代わりに土日でも体調がよい日には仕事をしています。前線の営業員は土日も現場に出ているので、その手伝いに行くこともあります。当社がヘリコプターを提供している人気ドラマの撮影にも立ち会えました。

■社内ルールは使いづらかったら柔軟に変えていく

──渡部さんはこれまでにも、何かしらの社内制度改革に関わったことがあるのですか?

渡部:今回のように委員会を設置して何かを変えようとしたことはありませんが、古いルールを変えていくというのは普段からやっていることです。どの職種の人でも、今の仕事のマニュアルが古くなれば、新しくしますよね。それと同じで、「使いづらかったから変えてみよう」と思ったのです。

──とはいえ、御社のように従業員が1000人を超える会社で社内ルールを変えるのは、手続きも大変なことも、ありそうですよね。

渡部:航空業界は守らなければならない法律上のルールには厳格に従っていますが、当社は風通しがよい社風で、働き方などその他のことに関しては柔軟なのです。もちろん、ルールを変えるにはさまざまなプロセスがあるので、私なりに工夫したこともあります。

たとえば、普通ならまず直属の上司を通してから、さらに役員に掛け合ってもらうと思いますが、私はいきなり役員にメールで提言書を出しました。正攻法でやっていたら1年以上かかるかもしれません。私はそんなに待てなかったんです。

──正攻法でなくても大丈夫だと思われた理由はあったのでしょうか?

渡部:営業での経験です。営業では、相手によって自分の話し方を変えます。じっくりと話を聞きたいお客さまに対しては1から順序立てて説明しますが、結論だけ手っ取り早く知りたいお客さまに対しては結論から先に言う。そのように、「相手によってやり方を変える」経験を社内の取り組みに応用したというわけです。

■“社員ドリブン”で制度を変えるために必要なこと

──実際に行動してみて、社内制度を変えるのに必要なことは何だと思いますか?


渡部:3つあると思います。一つは「勢い」。私の場合、いきなり役員にメールで提言書を出してしまうような勢いですね。でも勢いだけでは失敗します。残り2つは勢いとは矛盾しますが、「根回し」と「応援者」です。私も、勢い任せにメールを出したわけではなく、「こういうメールを出すので援護射撃をお願いします」と事前に根回ししておきました。根回しする相手は、自分の活動に興味や関心を持ってくれる「応援者」です。私の場合は当初、がんと就労の問題に関心の高かった人事課長が最大の応援者でした。

──最初はお二人で、どのような活動を?

渡部:私は社外のセミナーに顔を出して人脈づくりから、人事課長は調べものから始めました。そしてある時、国立がん研究センターのサイト「がん情報サービス」の、「がんと共に働く」の企画に、「うちの会社でもこういうことを始めようとしています」と応募してみました。まだ人事課長以外は知らないことなのに(笑)。すると、がんサバイバーの支援を研究している方から「取材をさせてほしい」と連絡をいただき、その取材記事が載ったものを役員に配りました。

──役員の方たちは驚かれたでしょうね(笑)。

渡部:そう、外から知ってもらう、いわば逆輸入です(笑)。その取材記事を見せると、役員へのプレゼンもスムーズに進みました。社外にはがんを治療しながら働くことに向けて取り組んでいる企業があることを、すぐに理解してもらえたのです。そして私が「人を集めて大々的にやりたいので、会社の中の正式な委員会にしてほしい」とお願いしたところ、ちょうど働き方改革の機運が高まっていたこともあって、社内の「働き方改革委員会」の一組織として先行して活動できるようになりました。

──渡部さんが道を作ったことで、今後もし社内で病気になる方がいても、同じような苦労をすることはなくなりそうですね。

渡部:私が道を作ったというより、もともと社員がつくってくれていたものをよく読み込んで理解したら、しっかりと対策を立てられるとわかったんです。皆さんも会社の休暇制度のことを一度しっかり読んでおくといいかもしれません。

(後編につづく)

<プロフィール>
渡部俊(わたなべ・しゅん)
1982年生まれ。朝日航洋航空事業本部営業統括部係長。2012年、30歳の時に大腸がんが見つかり、計5回再発。自らのがん治療の経験をもとに、積立失効有給休暇制度の改善、「私傷病の治療と仕事の両立支援ハンドブック」の作成などを行う。同社の「がんアライアワード2019」ゴールド受賞に大きく貢献した。

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/香川誠
撮影/横田達也