渡部俊さん(朝日航洋株式会社 航空事業本部営業統括部係長)

1,250人の従業員に、がんに対する正しい知識を身につけてもらうべく社内ハンドブックを作成した朝日航洋の渡部俊さん。ハンドブックのスローガンは、「私傷病を理由に辞めない、辞めさせない」。がんになっても仕事は続けられる。渡部さんはそのことを自らでも体現していますが、実際、がんになったら何をすべきなのでしょうか。渡部さんに伺いました。(前編はこちら)

■がんになっても好きなものを食べて、今まで通りの生活を変えていない

──プライベートの生活は、がんの前後でどう変わりました?

渡部俊さん(以下渡部):最初のがんが見つかったのが、結婚した半年後のこと。私は妻に「ごめんね」としか言えませんでしたが、妻は現実的に考えていて、抗がん剤治療に入る前に、念のため精子を冷凍保存しました。抗がん剤の副作用で無精子症になった場合に備えたのです。その後2015年に第一子が生まれ、そのさらに後がんの再発と子どもの誕生が交互にありました。

私の生活はがんに大きく振り回されているように思われるかもしれませんが、実はその影響はあまりなくて、子どもが3人できたことによる変化のほうが大きいですね。食事の支度をしたり、お風呂に入れたり、保育園へ行く準備をしたり……朝が早いので、遅くまで同僚とお酒を飲むといったようなことはなくなりました。


──お子さんは渡部さんの病気のことを理解していますか?

渡部:まだわかっていないので、退院後に家に帰った時も「パパ遊ぼう!」と手術の傷痕に思いきり体当たりしてきて、痛い思いをしています(笑)。上の子は最近、一緒にお風呂へ入ると手術痕を気にするようになってきましたね。お腹のあたりを触りながら「痛いの?」と聞いてきます。

まだがんのことを理解できる年齢ではないので詳しくは話していませんが、そのうちちゃんと話すつもりです。というのも、小中高校で使われるがん教育の教材に、私が出ているんです(笑)。子どもが学校でそれを見るまでには言っておきたいなと。

──食生活はどのように変わりましたか?

渡部:全然変わっていません(笑)。好きなものを食べて、手術直後を除いてお酒も飲んでいます。担当医の先生と相談して、生活環境を下手に変えて心に負荷をかけるよりも、今まで通りにしていたほうが私の場合はいいだろう、ということで。お酒解禁日は「ありがとう」という気持ちも湧いてくるので、今まで通りの生活が自分へのご褒美みたいになっています(笑)。

■職場では、点を取るフォワードから、ボールを供給するボランチへ

──がんの治療が続く中で、仕事への不安はありませんでしたか。

渡部:がんになったからクビになるとか、そういう心配はしていませんでした。ただ、治療中はいつもよりマイナス思考になりがちなので、抗がん剤治療中に人事異動があったときには、それをネガティブにとらえていました。私は営業の現場が好きなのですが、異動先の営業統括部は内勤で後方支援をする立場。もしかしたら、会社が私の体調に配慮して、出張などの少ない部署に異動してくれたのかもしれませんが、抗がん剤治療中は「自分はもう現場に必要ないのか」とマイナスにしか考えられませんでした。

──マイナス思考になった時に、ご自身の行動やふるまいはどう変わりましたか?

渡部:たとえば「痛くない?」と聞かれた時に、「心配してくれてありがとう」と返すのがきっと普通ですよね。でも抗がん剤治療中の私は、表面では「大丈夫」と答えますが、内心は「痛いのにそんなこと聞いてくるのは意味がわからない」と思っていました。相手には悪気がないのに、それを悪く捉える状況でした。そして「そう思ってしまう自分はダメな人間に見えているんじゃないか」と思えてしまいました。

──でも今は前向きに活動されているようにお見受けします。どこかで切り替わるような出来事があったのですか。

渡部:新しい部署では上司に管理される立場ではなかったので、「だったらフリーに動いてもいいだろう」と考えるようになりました。手が空いている時は、前線の営業の手伝いに行ったり、自分からまわりの人に「何かやれることはない?」と聞いたり。サッカーでいうと、点を取りに行くフォワードから、全体を見るボランチに変わったような感じです。次第に、点を取ることから、味方へボールを供給することに仕事の楽しさを見出していきました。

■契約書の「甲」に名前を書けないもどかしさ

──治療方法などは、渡部さん自身で決めていましたか?

渡部:薬剤師の妻に任せていました。やはり自分で決定していくとなると、生存率などのネガティブな情報も目にしてしまうので、専門の人に任せることにしました。知り合いが消化器外科の専門医として働いている病院に入院できたので、私は運がよかったと思います。

──メディアの取材を受けるようになって、社外の方から相談されることもありますか?

渡部:これまで社内外で20人ほど、相談を受けたことはあります。印象的だったのは、同業他社の方からの相談でした。その方は数十名規模の会社で機体整備の仕事をされていたのですが、がんになって書類を扱う仕事に転属となりました。自分としては体力も回復してきたつもりだったのに、会社はそうは見てくれない。そんな時に私が取材を受けた記事を読んで、どうすれば現場にカムバックできるのか聞かれたのです。

──その方にはどのようにアドバイスを?

渡部:本人がいくら「自分はもう働けるんだ」と言っても、まわりは信用してくれません。自分が受けた治療の内容、薬の副作用の症状、検査結果、できること、できないこと、といったことを事細かに書いてもらい、それを職場の業務に当てはめた「今自分ができることリスト」を作ってもらいました。書類作成や整理ができる、車の運転ができる、整備のこういう作業ができる、といったことをまとめたものです。その方は実際にそのリストを作り、整備の現場にも復帰されました。

──「できないこと」をはっきりさせておくことも大切なんですね。

渡部:がんになった当事者も、何ができるか、できないかをはっきりと会社に伝える責任があると思います。何も知らせないと、「この人は仕事を任せても途中でリタイアしてしまうかもしれない」「出張に行った先で倒れるかもしれない」と思われてしまい、話が先に進みません。先ほどがんの前後で何が変わったかという話についてですが、がんになっていちばん変わるのは社会的信用です。がんになった人間はある意味では社会的信用を自らつくっていく必要があります。

実は、がんに罹患しなければ普通にできていたローンを組むとかそういったことができないとわかったとき、ショックでした。契約書の「甲」に自分の名前を書けないというのは、一家の大黒柱として、「家に自分の居場所はあるのか?」「自分はこの家に必要なのか?」と思いますよね。とても悩みました。

──そういった悩みをどう乗り越えたのですか?

渡部:居場所は誰かが与えられるものじゃなく、自分で作っていくものだと考えるようにしました。私自身の今の居場所は、家なら子どもと遊ぶことだし、仕事であれば現場に行ったり取材を受けたりするようなこと。自分が表現できる場所が居場所だな、と思います。もちろんこれは私自身の居場所であり、人によっては別の居場所があるということも尊重したいと思っています。

■「お金のことは気にせずに」とはならないがん治療

──2019年1月にライフネット生命が一般社団法人キャンサーペアレンツと共同で行った「子育て世代のがん患者における教育費に関する調査」によると、子育て世代のがん患者2人に1人が「自身のがん罹患によって、子どもの教育計画に影響があった・今後ある」と回答しています。渡部さんご自身、家計の面ではどのような影響がありましたか?

渡部:結婚した翌年、生命保険や医療保険の資料請求をして検討していましたが、その間にがんが見つかりました。結局保険には入れませんでしたので、治療費は全部持ち出しとなりました。高額療養費の制度があるので医療費は上限で月額約9万円までですが、食事代なども足すと一回の入退院で10万円以上かかり、さらに抗がん剤は1回(1クール)で約6万円かかります。最初の入退院で約20万円かかり、退院後も毎月6万円以上減っていく。高額療養費の払戻金が入金されるまでに3か月以上かかるので、一時的にお金が少ない状態となりました。

会社からは「無理しないで休んだほうがいい。休職制度もあるんだから」と言われますが、そうすると欠勤・休職した日数分の給与だけでなくボーナスも支給されません。よく、「お金のことは考えずに休め」と言う人もいますが、治療費が払えなかったら治療もできません。こういうことがあるので、若い後輩たちに、「安い掛け金のものでいいから保険には入っておいたほうがいいよ」とよく話しています。

──がんサバイバーとして得た知識や経験を、ハンドブックだけでなく、普段から共有されているんですね。

渡部:はい。ただ、基本的にアドバイスはしないようにしています。あくまで話を聞くだけ。というのも、その人の精神状態が今どうなのかがわからないからです。私が抗がん剤治療中にネガティブ思考だったように、当事者が治療中に前向きに受け止めることはなかなか難しい。みんなよく、「病院はここがいいよ」とアドバイスをしたり、「何とかしてあげたい」と手を差し伸べたりしますが、そういうことより自然に接してあげるのがいいと思います。唯一アドバイスするとしたら、「高額療養費制度の申請は早めに済ませましょう」ということくらいでしょうか。

──最後にがんサバイバーの方へ、メッセージをお願いします。

渡部:特別なことをせず、普段どおり生きていくのがいいと思います。楽しく一日一日を過ごしていれば、10年20年もあっという間です。下手に20年30年先を考えると、生存率などを見てしまうので、がん罹患者にはきつい。私でいえば80歳まで生きられる確率は20%、これを高いと見るか低いと見るか。事故に遭うこともあるんだから、私は20%あるならいいほうじゃないかって思うんですよね。何ごとも考えようで、前向きになれると思います。

<プロフィール>
渡部俊(わたなべ・しゅん)
1982年生まれ。朝日航洋航空事業本部営業統括部係長。2012年、30歳の時に大腸がんが見つかり、計5回再発。自らのがん治療の経験をもとに、積立失効有給休暇制度の改善、「私傷病の治療と仕事の両立支援ハンドブック」の作成などを行う。同社の「がんアライアワード2019」ゴールド受賞に大きく貢献した。

<クレジット>
取材/ライフネットジャーナル オンライン 編集部
文/香川誠
撮影/横田達也